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大メコンに生きる(1)聖なる水は天上より来たる

 

聖地に源を発する流れ

瀾滄江─メコン川の源流は中国青海省玉樹州にあるザチュ(雑曲)。ザチュはチベット語で、「水の流れが多い」という意味である。瀾滄江の水源地区の支流の多さは、世界でも非常に珍しい。主な支流であるザチュ(扎曲)川の大小の支流は、400本以上に及ぶ。空から見ると、樹木の複雑かつ膨大な根系が樹幹に養分を送り出しているかのようである。現地の人々は、この川の源は一つだけではないと考えている。

しかし、科学界では一般に、「もっとも距離が長いものを河川の源と見なす」のが河川の源を定めるときの原則である。瀾滄江─メコン川の源については、さまざまな資料に十数種類の説が記載されているが、それぞれ異なる源を起点として計算するため、長さもそれぞれである。もっとも新しい科学データは中国科学院の劉少創氏が測定したもので、青海省玉樹チベット族自治州ザドイ(雑多)県に位置する標高5200メートルの吉富山を瀾滄江の源とし、瀾滄江─メコン川の長さを4909キロとしている。

水源から流れ出したこの美しい川は、チベット自治区のチャムド(昌都)地区を流れてゆく。チャムドはチベット語で、「多数の水が合流するところ」を意味する。源から流れてくるもっとも大きな2つの支流、ザチュ川とゴムチュ(昂曲)川がここで合流し、これ以降の大河が瀾滄江と呼ばれるようになった。  チベット族の人々がここを聖地と見なすのは、川が合流していること、そして川辺にあるチャンバリン(強巴林)寺の存在のためである。雄大な寺院を目の当たりにすると、高僧たちがこの地を選んだ比類なき巧みさに感嘆せずにはいられない。寺は横断山脈の中に位置し、古い氷河が形成する切り立った赤土層の上にそびえ立っている。  チベット仏教ゲルク(格魯)派の創始者であるツォンカパ(宗喀巴)は、16歳のときに仏教を学ぶ途中でここを経由し、この美しい土地はやがて仏法を発揚する地となるだろう、と予言したという。その後の1444年、ツォンカパの弟子のシヤォサンポ(西饒桑布)が8年がかりでこの寺を建てた。寺の入り口に立つと、チャムド鎮の全貌、さらにはザチュ川とゴムチュ川が寺の下の山の麓で合流する様子が見える。

瀾滄江─メコン川流域では、水源についての語りにはそれなりに深い意味がある。

心の中の竜神

川が流れている場所では、地元の人々が川に名をつける。様々な名で呼ばれていても、指すのは同じ川である。中国ではこの川を「瀾滄江」と呼ぶが、ミャンマーやラオス、タイを流れる部分は「母なる大河」という意味の「メコン川」と呼ばれている。この川が南ベトナムに入ると、いくつもの川に分かれて海に注ぎこむ。その形を大地に横たわる9つの竜になぞらえ、「クーロン(九竜)」と呼ぶ。面白いことに、雲南のシーサンパンナの人々は古代、「瀾滄江」を「九竜川」とも呼んでいたという。川の中に九頭の竜が住んでいるという伝説があり、そのために流れがこれほどまでに急なのだと考えられてきた。

竜は瀾滄江─メコン川のシンボルとなった。地元の人々にとって、川はただの水ではなく、神の化身である。古来、瀾滄江─メコン川は一貫して、流域の人々に神として畏敬されてきた。

タイとラオスに、古くから広く伝わる伝説がある。昔々、青竜、白竜という2つの竜神がいた。善良な青竜は邪悪な白竜より強かったが、そのことを受け入れられない白竜は、青竜に勝負を挑んだ。そして、途中で地貌を破壊しないというルールで、高山から海へ向かって走ることになった。勝負が始まったとたん、青竜はたちまち高山や岩石を避けて遥か遠くへと去っていった。青竜に置いていかれそうになった白竜は、山林を破壊したり岩石を砕いたりしながら、急いで追いかけた。2頭の竜は互いに絡みあいながら海を目指した。こうしてメコン川中流、タイとラオスの相接する地域に、流れが緩やかで静かな青い川、あちこちに岩礁のある白い川、という2つの異なる川が形成された。

2つの川が絡みあうようにして交錯しながら、ラオス南部に位置するラオス・カンボジアの国境地帯に流れ込むと、突然河床が裂けて陥没し、「コーン」と呼ばれる巨大な瀑布群を形成する。コーンの滝はメコン川における最大の瀑布群である。地元の言葉で「コーン」を軽く発音すれば「川」のことになるが、強く発音すると更に大きなパワーをもつという意味になり、コーンの滝のことを指す。「コーン! コーン!コーン」。人々は神について語るような口ぶりでコーンの滝を語る。彼らにとって、瀑布の存在こそが神の霊験の現れなのである。

それは、心揺さぶられる壮大な景色であった。川の水がコーンの滝群のところで10キロあまりも広がり、南へ向かって落ちて行く。その高低差は雨季には15メートル、乾季の渇水期には24メートルにも及ぶ。滝と滝の間には4000以上もの島が形成されている。

川のほとりのタイ料理レストラン
1866年、仏領コーチシナ総督の派遣した調査隊がメコン川を遡り、瀾滄江─メコン川の貿易航路を開設しようとしたものの、コーンの滝群のために断念した。今にいたるまで、瀾滄江─メコン川は国際航路にはなっていない。

瀾滄江─メコン川流域の多くの地名には、「衆水が合流する」という意味がある。無数の支流が、この大きな川に絶えずエネルギーを注ぎ込む。漾濞江、ナムグム川、ムン川、トンレサップ川など支流は138本もあり、その流域面積は100平方キロ以上に達する。川の水は肥沃な土地を潤すだけでなく、多彩な文明をも育む。両岸で生きる人々は、多種多様な生活様式を創り出す。川の沿岸にあるチャムドや景洪、ルアンプラバン、ビエンチャン、プノンペン、アンコールなどはみな、古代文明の集まった都市である。この流域ではかつて輝かしい古代文明が生まれていた。百年来、植民者や侵入者たちがこの広大な土地にひどい災難をもたらしたが、そんな暗黒をもってしてもこの風景画の美しさを覆い隠すことはできなかった。

この豊かさ、ロマン、そして優しさを多くの人々に伝えることが、私の背負った非常に重い仕事である。

広々とした川辺に立ったとき、ちっぽけな存在である自分は、ある古い言葉を思い出した。

「子、川の上に在りて曰く、逝く者は斯くの如きかな、昼夜を舎かず」(文・写真=李暁山)0808

 

人民中国インターネット版 2008年8月1日

 

 

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