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内外の神々が同居する街

 

外来の宗教も受け入れ

宋・元時代の泉州は国際的な大都市で、世界各地から来た商人たちがここで交易にいそしんだ。その中には、泉州に根を下ろし、次第に漢化された人も少なくない。歴史には、泉州にいたある「異民族の詩人」──蒲寿宬についての記載がある。彼はアラブ出身で、詩や文章が得意で、特に五言律詩に秀でていたという。『四庫全書』は「宋・元時代の中でも優れた作品」と評している。

開元寺の戒壇の周りの斗拱の間には色とりどりの飛天像が飾られている

開元寺の戒壇は「四重軒八角攢尖式」構造で、天井には如意の斗拱があり、その構造はきめ細かく複雑だ。ハスの花に座っているのは盧舍那仏(Locanabuddha)の木像

異国からやって来た人々は泉州に豊かな多元的文化と多元的信仰をもたらし、この地に仏教、道教、イスラム教、カトリック教、バラモン教、マニ教などの遺跡を残した。泉州はまさに「世界宗教博物館」の名声に恥じない都市だ。特に興味深いのは、各種の宗教施設が、互いに何のもめごともなく共存していることで、泉州の寛容さがそこからも感じられる。

開元寺の正殿の後ろにある1対の石柱にはシバ神、猿の神・ハヌマーンが彫刻されている

開元寺の鎮国塔にあるレリーフ。塔の壁に全部で80枚の生き生きとした人物が浮き彫りにされている

旧市街の中心地・塗門街を訪れると、関羽を祭った関帝廟とイスラム教の清浄寺が隣り合って建つのが見える。関帝廟の屋根の装飾は色鮮やかできめ細かく複雑、南洋やインドの建築スタイルによく似ており、一方で清代芸術の遺風も持つ。それに対し、清浄寺は素朴で簡潔な典型的イスラム風建築で、早い時期に破壊されてしまった奉天壇遺跡は、今ではただ青草の間からいくつかの柱の基部が顔を出すだけだが、それがまたいっそうの厳粛さを感じさせる。この二つの建物は鮮明な対照をなしており、まったく違う風土と文化に生まれた芸術スタイルが、このような一体感を伴う美しさを見せていることには感動を禁じえない。

関帝廟と清浄寺からそれほど遠くないところに、孔子を祭る文廟と媽祖を祭る天后宮、さらに唐の則天武后の時代に建てられた千年の古刹・開元寺がある。

開元寺の正殿前の台座にある人面獅身のレリーフ

塗門街にある清浄寺。中国に現存する最も古いアラビア建築スタイルを持つイスラム教の寺院跡

開元寺は泉州でも最も有名な観光地と言って差し支えないだろう。境内にたたずむ二つの石塔・鎮国塔と仁寿塔は、それぞれ唐末と五代の時期に木塔として建てられ、その後改修され石塔となったもので、泉州のシンボルと見なされている。仏教の寺院だが、ヒンズー教とバラモン教の影響を深く受けており、これは中国国内でも非常に珍しい。例えば、正殿の斗拱(ますぐみ)の間にある多数の飛天像は西域起源の芸術スタイルで作られているが、それが今は東南沿海の開元寺にあって、手にした楽器で仏教の音色を奏でているかのようだ。正殿前の台座にある人面獅身のレリーフや、正殿の後ろにある一対の石柱に施されたシバ神、猿の神・ハヌマーンの彫刻は、いずれも起源がインドだ。地元の人の考証によると、これらの部材の大部分が唐・宋の時代に破壊されたヒンズー教寺院のもので、開元寺造営の際、部材が不足したためそのまま流用されたという。一般に宗教施設では他宗教関連のものは受容されにくい。それだけに、開元寺に残されたこれらの部材は非常に貴重で、この地の多元的文化融合の証拠となっている。

泉州市北部の路地裏にある白耇廟

宋の慶元2年(1196年)に建てられた天后宮。中国の東南沿海に現存する中でも最も古く、最も規模の大きな媽祖廟

開元寺よりさらにユニークなのが、泉州の北部に位置する白耇廟だ。狭い路地にある、地元でさえあまり知られていないこの小さな寺は、明代(1368〜1644年)に錫蘭王子が建てたバラモン教の寺院だった。しかし、後に祭られる神が何度も変更され、現在はウィジャヤ神(泉州で「白狗神」と呼ばれ、「白耇廟」の名の由来になっている)のほか、宋代の将軍・楊延昭(楊六郎)、道教の北極真君、文曲星などが祭られている。これらの神々は、一部屋に同居して人々に信仰されることをどう思っているのだろう。まあ、長い間泉州に暮らしてきた神々のこと、たぶんこのような多元的共生には慣れてしまっているに違いない。

 

人民中国インターネット版 2012年5月30日

 

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