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最盛期、一万の馬が通った麗江

 

    柳と水路の張り巡らされた古城

 

 「町は水をよりどころとして存在し、水は町の地形にしたがって流れる」。これこそ麗江古城の特色であろう。古城の北にある象山のふもとに源を発する玉泉河は、双石橋の下を流れた後、西河、中河、東河という3本の流れに分かれ、古城に流れ込む。城内でさらに数本の支流に分かれた流れは、道と入り組むようにして、隅々まで行き渡る。こうして、「家々の周りにも水がめぐり、柳が茂る」詩の境地となった。道・横町と水とが互いに入り組んで、家と家とを結んでいる。

 

 古城内の玉泉河の水系には、それぞれ特徴ある354本の橋がかかっている。中でも比較的大きい鎖翠橋、大石橋、万子橋、馬鞍橋、仁寿橋、南門橋など、多くが屋根つきの廊橋、石造りのアーチ橋、石板橋で、ほとんどが明や清の時代に造られたものである。

 

 町を歩いていると、民居の前につながった3つの池がたびたび目につく。現地の人が「三眼井」(3つの井戸)と呼ぶ、ナシ族独特の発明である。3つの井戸には、上、中、下の区別があり、使用に際して厳しいルールがある。上流の水は飲用水であり、中流の水は野菜を洗うときに使い、下流の水は洗濯用水だという。

 

 古城の民居の建築風格は、ナシ族従来の伝統を失わないと同時に、漢族、ペー族(白族)、チベット族の建築の長所を取り入れ、構造スタイル、芸術性などにおいて、独特の風格を形成している。

 

 家は普通高さ7.5メートルの二階建ての木造で、三階建てのものも一部ある。民居のほとんどが枡形の構造で、四面の壁は土レンガで築かれている。また、灰色の屋根の下には、外廊下がある。構造と廊下の違いによって、明楼など七種類に分けられる。

 

 中華人民共和国成立以後、現地では古城の保護を重視し、獅子山を境に西北部に新市街建設計画を採り入れた。こうして、古城の風貌は完璧に近い形で保存されてきたのである。   (馮進=文、写真)

 

 人民中国インターネット版

 

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