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湖北省・黄石市道士フク村 屈原しのび、飾り舟流す神舟会

 

神舟開眼、諸神登舟

 

神舟の進水式を取り仕切る道士
 竜船が完成するまで、20数日かかる。旧暦550時に、竜船の開眼供養を行う。道士が雄鶏のとさかを突き破って杯に血を3滴たらし、鶏の血をつけた毛筆で竜の目を描き、開眼するのである。また、竜船の重要な各部分も鶏の血で開眼させ、最後は仙人たちの顔に赤色をつけて経を唱え、神霊の霊験を賜り、災害や病気を祓ってくれるよう祈る。こうして、開眼された竜船は単なる竜の形をした舟から「神舟」となるのである。

 

5150時、道士は線香を焚きろうそくを灯し、法事、祭祀を行ってから、占トをはじめ、各仙人に船上にあがってくれるようお願いをする。名前を読み上げられた仙人の神像を、神舟を造った職人があらかじめ定められている場所に運ぶ。64仙人すべてがそれぞれの位置につくまで延々と続く儀式である。

 

神舟会の正式な会期は旧暦515から518。この間、人々は「神舟宮」の前に舞台を組み、昼も夜も楚劇(湖北省の地方劇)の大作を上演する。雨が降ろうが炎天であろうが、この日を心待ちにしてきた演劇ファンたちが、どっと押し寄せる。

 

神舟巡行

 

昼近くになると、神舟を担いだ人々は江畔に向かう
 旧暦516は「神舟巡行」の日である。朝9時、たくましい8人の男たちに担がれた神舟は「神舟宮」を出発し、村全体を回る。巡行の行列はひたすら壮観である。人々に取り囲まれた神舟の前には、色とりどりの旗や黄色い衣笠が数十本掲げられ、そのすぐ後ろには腰につけた太鼓を叩く人々や高足踊りの人々、そして行列の最後には何組もの民間音楽の楽隊が続く。

 

この日を迎えるにあたり、どの家も門にショウブやヨモギの葉をぶら下げる。さらに玄関に香炉を置く机を設け、線香を立て、黄色い紙を燃やし、酒、茶、米、果物などを供える。

 

神舟が家の前にやって来ると、その家の主人は爆竹を鳴らし、神舟に向かって茶葉と米を撒いてねぎらいながら、五穀豊穣を祈る。3時間ほど練り歩き、村中をくまなく回ったあと、「神舟宮」に戻り終了となる。

 

旧暦518は、神舟を長江に流す日である。17日の夜、村民は次々に「神舟宮」を訪れ、神舟の周りに48の常夜灯を灯す。人々はそばに座って、静かに神舟のお供をする。この夜、「神舟宮」内に銅鑼と太鼓の音が鳴り響き、線香の煙とろうそくの光が揺らめく中、人々は夜を徹して神舟との別れを惜しむ。夜の12時になると、神舟会は徹夜した人々に米のおかゆを届けるという習わしがある。夜が明けると、村中の人々が鍋や盆を手に、おかゆをもらいに神舟会の炊事場にやって来る。神舟会のおかゆを食べることで、福が訪れると人々は信じている。

 

長江を下ってゆく神舟

 

神舟を見送るために川のほとりに集まった人々
 旧暦518の午前、「神舟宮」の前と舞台のある広場は人でいっぱいになる。雨が降ろうが、人々の熱意に水を差すことはない。「神舟宮」前に担ぎだされた神舟は、人々から最後の礼拝を受ける。儀式を司る道士は、まず経文を唱えてから剣で雄鶏のとさかを切りとり、神舟の周りを走りながら、その血を船体に塗りつける。

 

法事が終わると、道士と神舟会の頭人の先導に従って、神舟を担いだ16人の若者が小走りに川のほとりに向かう。天地を揺るがすような爆竹の音の中、川のほとりで待つ人々の思いはいやがうえにも高まってゆく。若者たちは、事前に用意した稲わらで作った台に神舟を固定し、牽引船で長江の主航路まで引っ張ってゆく。川に浮かんだ数艘の漁船の船首には香炉が備えられ、神舟の周りを爆竹を鳴らしながら回る。こうして神舟を見送るのだ。神舟を川の中心まで引っ張っていった牽引船は、正午ちょうどに縄を解く。神舟は水の流れに乗って、長江を下ってゆく。

 

村民たちは堤の上で、立ったりしゃがみこんだりしながら合掌し、屈原をしのぶ。そして自らの円満な生活を願いながら、長江を下ってゆく神舟が、いつしか川の彼方に姿を消すのをいつまでも眺めている。

 

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