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雪山群の麓を行く

 

シェーカルの金剛山に位置するチュド寺
チョモランマのふもとにある町  

翌朝になると、窓の外には風光明媚な景色が広がっていた。昨夜たどり着いたものの、ティンリ県までの道のりは一面真っ暗であったため、町の様子はわかっていなかった。

出発まであと一時間ほどあったためカメラを手にホテルを出ると、山の写真を撮ろうと構えている隊員たちに会った。その方向を見ると、山の上に古城のような建物が見えた。赤褐色の山と建築群が紺碧の空と互いに映え、荘重で神秘的であった。

シェーカル(協格爾)の金剛山に位置するこの建築群は、古城ではなく、1385年に築かれた「チュド(曲徳)寺」と呼ばれる古い寺院である。山によりかかるようにして建てられたチュド寺は、過去に四度の修復を経て、次第に規模が大きくなっていった。山にそびえ立つ寺ということ以外、チュド寺にはもう一つ特色がある。サキャ(薩迦)派とシャル(夏魯)派がずっと昔から同じ寺院に平和的に共存していることである。チベット仏教の寺院において、これは非常に稀有なことだ。二つの派別はそれぞれ七つの扎倉(読経する僧院)を擁しており、寺には金めっきの施された高さ九メートルの釈迦牟尼像が奉られて

羊の肉を買った若いチベット人
1645年、第五世ダライラマ(ガワンロサンギャムツォ)の統治時代、寺院の僧侶たちはみなゲルク派だけを信仰していた。その後、チュド寺はラサのセラ(色拉)寺に属することになり、セラ寺が地元の土地を管轄し、地代を徴収し、人の派遣などを行うようになった。かつて、チュド寺で印刷されたチベット仏教の経文は奥チベットでその名を広く知られていた。寺院には今日に至るまで、手刷りの経やその経板(経文を印刷する原版)、タンカ(チベット仏教に用いられる布製宗教画の総称)、『シェーカル志』、絹織物、仏像、仏具など百点あまりの高い研究価値のある貴重な文物が保存されている。

ティンリ県から西へ60キロほど行くと、突然、ある小さな町とその付近に点在する民家が目に飛び込んできた。「珠峰雪豹客棧(チョモランマ旅館)」と書かれた道の脇に建てられた看板が目を引いた。ここはチョモランマからはずいぶん遠く離れているはずだ。資料を調べてみると、ガンガ(崗嘎)鎮という名のこの町は、標高4350メートル、チョモランマまで60キロはあることが分かった。地元ではちょっと知られたチベットスタイルのこの「珠峰雪豹客棧」は、多くの登山愛好者やバックパッカーに喜ばれている。客棧の展望台からは、チョモランマが一望に見渡せる。

地元の女性は必ず腰に精巧な銀製
街道の両側にはいくつかの露店とまばらな人影が見えるだけで、もの寂しい。地元のチベット人が屠った羊を丸ごと道端の棚にかけ、買いに来る人を待っている。日用品がどっさりと積んである二輪車のそばでは、売り子が眠り込んでいる。遊牧民もやってくる。彼らは町の外でテントを張り、縄を張って生肉を干している。よく見ようとして近寄ると、テントの外に鉄製の鎖につながれた二匹のチベット犬が急に立ち上がった。黙ったまま、恐ろしい目をしてじっと見つめてきた。

遠くからチリンチリンと鈴の音が聞こえてくる。舞い上がる埃の向こうに、チベット人たちの馬車隊が見えた。彼らは私たちに追いつき、自分の頭や腰から玉製、銀製の装飾品を取り外し、私たちに押しつけようとする。物々交換をしようということらしい。私の時計を指して、自分の玉器と交換しようと身振り手振りで示す人がいたが、私は別の女性の腰にかけてある銀製品が気に入っていた。値段交渉をして、精巧に彫り刻まれた純銀の装飾品を最終的に20元で手に入れることができた。

別れ際に、携帯用の食品を少し彼らにおすそ分けした。チベット族の人々は、馬車に戻ると馬に鞭をあて、喜びながら走り去っていった。(馮進=文・写真)0810

 

 

 

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