People's China
現在位置: 連載ぶらり旅 上海

人のぬくもり残る暮らしの遺産

周星馳(チャウ・シンチー) の映画『カンフーハッスル』を観たことがある人なら、映画に登場するローマのコロッセオのような「猪籠寨(雑居ビル、貧民窟)」の住民たちが強く印象に残っているに違いない。このように窮屈で粗末な「筒子楼(かつての旧事務棟を住宅に転用した、中央の廊下の両側に部屋がある寮のような住宅)」は、広東省、福建省一帯では至るところで見ることができる。しかし、ここ上海で目にするとは、思いもよらないものである。  

隆昌公寓のことは、以前にも耳にしたことがあった。そこは息を呑むような魅惑的な雑居ビルで、「これぞ世界遺産!」と呼びたくなるような、どこよりも原始的な上海の庶民の生活が残っているということだった。以来、ずっと気になる存在であったこの隆昌公寓は、2004年に『カンフーハッスル』が上映されると、たちまち火がついたように膨大な数の写真がネット上にばらまかれ、メディアも続々と報道した。遠く離れた地でも広く知られているというのに、地元の人々は隆昌公寓のことをよく知らない。道を尋ねても、近所のお年寄りたちがかろうじて、なんとなく思い当たるという程度である。「それは、楊浦区公安局分署の家族用アパートのことを言っているのかい?」

隆昌公寓に足を踏みいれると、蜘蛛の巣のように張りめぐらされた物干しが目に入り、圧倒される

隆昌公寓は1920~30年代に建てられた。最初は共同租界の警察署の一部で、犯罪者を拘留する場所として使用されていた。新中国成立後、その南側に上海市楊浦区公安局の分局が造られ、隆昌公寓は分局の家族用住宅となった。その後、他所からも引っ越してくる人々があり、何世帯もの家族が同居するいわゆる「大雑院」を構成するようになった。

外から見るとごく普通の五階建てのこの建物は、赤レンガの壁に、エアコンの室外機がびっしりと並び、これといって特別なところはない。しかし暗く狭い通路を通って中に入ると、そこは別世界だ。ロの字型の建物の中心は、小さな広場になっており、真ん中にずらりと物干しが並んでいる。まるで閲兵式に参加する隊列のごとく縦横がきちんと揃っている。「物干し隊列」の周りには自家用車、その周りには自転車が停められている。そこには80年代に流行した「飛鳩」から、いまどきの「ジャイアント」まで、時代を超えたさまざまなブランドの自転車が揃っている。

その小さな広場の周囲を囲んでいるのが、ローマのコロッセオのようなアパートである。一軒一軒の部屋はとても狭く、ドアは廊下に面して並んでいる。各階の廊下はすべてつながっていて、広場をぐるりと取り囲むトラックのようである。かつてこの廊下はとても広く、三人並んで歩くこともできた。しかし時がたつにつれて、住民たちが各自の戸棚や箱、洗面台、かまどなどを運び込んでしまい、すっかり狭苦しくなった。

隆昌公寓の共用の廊下には、それぞれの家庭の生活用品があふれている

1920~30年代に建てられた隆昌公寓は、現在でもかつての姿をとどめたまま、居住者であふれている

アパートの構造上、ここにプライバシーというものはほとんど存在しない。誰の家にどんな客が来て、夕飯は何を食べて、どんな服を洗濯したか、アパート中の人がしっかりと見ている。朝、それぞれの家からパジャマ姿で廊下に出て、顔を洗ったり歯を磨いたりしながら互いに顔をつきあわせる。午後、眠くなれば廊下にある寝椅子で昼寝する。あるいは部屋のドアを開け放って風通しを良くしているため、前を行き来する隣近所の人たちに、家の奥の奥まですっかり見られてしまう。どこの家の赤ん坊が泣き、どこの家の嫁姑がケンカし、ひいてはどこの家の夫婦がイチャイチャしているかまで、隣近所にしっかりと聞かれてしまう。隆昌公寓では、廊下は住民たちの公共の居間であり、共同の台所であり、共同のベランダのようなものなのだ。

現代社会では、都市化が進めば進むほど、人々の生活は閉鎖的になり、個人のプライバシーの保護意識も強くなりつつある。大都市の高層マンションでは、長い間暮らしていても、隣の家の人の顔を知らない人も少なくない。それに比べると、このプライバシーのない「猪籠寨」のような場所は、かつてのぬくもりのある生活を懐かしく思い出させてくれる。

ここでは、セーターを編みながらおしゃべりしているおばさんたち、会社が退けて帰ってきたばかりの離れたところから大声を張り上げている人に向かって、写真を撮ろうとカメラを構えても、彼らは緊張もしなければ、わざとらしいポーズをとることもない。注目されることにも、外からくる人々とその生活を分かちあうことにも慣れているようである。ドアが開けっ放しになっている家の前を通りかかると、家の中に可愛い子供の姿が見えた。外から見られていることに気付いたその子のお婆さんとお爺さんは、その子に手を振らせ、挨拶してくれた。上海のような大都市で、こんな光景に出会うのは、新鮮な驚きと喜びがある。

隆昌公寓に出入りする唯一の入り口は、狭くて長い通路であり、この集合住宅全体の門番の詰め所もここに設置されている。住民の生活の便宜のため、住民委員会は各種の通知をここの壁に貼り付ける

隆昌公寓内には「黒」と「白」の2つの廊下がある。閉切られた光の入らない、真っ暗な方が黒の廊下、外廊下の露天のオープンな方が白い廊下である

そびえ立つモダンなビル群に埋もれている隆昌公寓は、陸の孤島のように、昔日の記憶を留める存在である。著名な作家銭鍾書に『囲城』(日本語題は 『結婚狂詩曲』)という名作がある。本来は「城壁に囲まれた街」を意味するこのタイトルは「中にいる人は外に出て行きたがり、外の人は中に入りたがる」ことを象徴する言葉として広く認識されている。ここはまさに正真正銘の「囲城」である。ビジネスセンターで働き、高級マンション暮らしをしているようなホワイトカラーの人々の多くは、隆昌公寓のような場所をいつまでも残しておいて欲しいと願っているかもしれない。けれど、この「囲城」の中に暮らしている住民たち自身は、この「猪籠寨」を離れ、新しい生活に向かうきっかけを待ち望んでいるのかもしれない。

隆昌公寓

上海市楊浦区隆昌路362号 地下鉄8号線延吉中路駅で、 バス28路に乗り換えて、隆昌路平涼路バス停で下車

 

人民中国インターネット版

 

 

同コラムの最新記事
バーで楽しむ上海の夜
現代工芸の逸品集めた白い洋館
人のぬくもり残る暮らしの遺産
聖堂に息づく東西の美
ロマンスの常徳路