地下鉄6号線 車公荘西駅(観光)
文・写真=李京艶
マテオ・リッチと外国人宣教師墓地
マテオ・リッチ(1552~1610年)はイタリア人で、中国名は利瑪竇。明代万暦10年(1582年)中国に宣教に訪れ、中国におけるイエズス会の指導者となった。1601年、北京入りして皇帝に機械仕掛けの時計を贈り、また「士大夫(知識階級や官職にある者)」と広く交流した。翻訳書に『幾何原本』などがあり、自然科学の知識を伝授し、中国と西洋の文化交流に尽力した。
マテオ・リッチと外国人宣教師の墓は、北京行政学院内にある。1979年の再建以来、多くの国内外から訪れた参拝者を迎え、中国と西洋の文化交流と関係分野の学術研究を推進している。
明・清時代の外国人宣教師は、中国で宣教すると同時に、西洋の現代科学技術を伝え、また世界に向けて中華文明を伝えた。中国皇帝により重用され、宮廷の要職を担った人も多く、イタリアの宣教師であるマテオ・リッチはその1人だ。 1610年、マテオ・リッチは北京で病死し、明の万暦帝は、「滕公柵欄」を彼の墓地とし、翌年に葬った。清の初期、順治帝はドイツの宣教師であるアダム・シャール(中国名は湯若望)の墓地をマテオ・リッチの隣にした。以降、ベルギーの宣教師であるフェルディナント・フェルビースト(中国名は南懐仁)ほか中国内外の宣教師80人余りがこの地に葬られた。
3人の著名な宣教師の墓は、みな前に碑、後ろに墓という造りだ。マテオ・リッチの墓の東側はフェルディナント・フェルビーストの墓であり、西側はアダム・シャールの墓だ。マテオ・リッチの墓の中央には上部に空想上の動物である「あまりょう(角のない龍の子)」を刻んだ方形の白い墓碑があり、その高さは2.7㍍、幅は0.94㍍、石碑の土台の高さは0.6㍍、幅は1.2㍍だ。上部には、「明代万暦38年(1610年)イエズス会士利公の墓」と刻まれており、その周囲をバラの花が取り囲んでいる。中国の風習により建てられた碑は西洋の特色をも兼ね備え、碑の上部に刻まれたとぐろをまく龍の子は、キリスト教の象徴である十字架を抱いている。
1900年、墓地は義和団によって破壊され、のちに清政府によって「馬尾溝教会」が再建され、77基の墓碑が教会の外壁にはめられた。しかし、1960年代に墓地は再び破壊された。1979年、マテオ・リッチ、アダム・シャール、フェルディナント・フェルビーストらの墓地は再建された。1984年には新しく墓地が拡張され、各国宣教師の碑60基が立てられた。1993年、清代の石門が墓地の南端に移築され、現在まで続く墓地の配置が整えられた。 現存する63基の墓碑の主は、ポルトガル、イタリア、フランス、ドイツ、ベルギーなどから訪れた人々であり、その他中国の神父も14人いる。
墓の前にひざまずく1匹の羊は、キリスト教の理念における迷える子羊を表しており、聖職者は迷える子羊を正しい道に導く羊飼いだ。
墓地の南端にある清代の石門。
新しい墓地で、宣教師のルイス・ブーレオ(中国名は利類思)の墓碑について解説している北京行政学院の沈先生(左端)。
「馬尾溝教会」の残存した建築物の一部である「口字楼」
■所在地 西城区車公荘大街6号北京行政学院内(車公荘西駅C出口から東へ100㍍)
■チケット 10元/1人
■開放時間 8:30~17:00(参観は要事前予約、月曜~金曜 法定休日除く)
■電話 010-68007279 010-68007011
人民中国インターネット版 2014年2月27日