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北京郊外の「限界集落」探訪

 

文・写真=島影均

人っ子ひとり歩いていない坂道を下ると、デジャビュに襲われました。それが筆者が育った戦後間もなくの街なのか、藤沢周平の時代劇に出てくる光景なのか判然としませんでした。廃屋が軒を連ね、ほとんどの家の分厚い木製の扉は閉じられ、大きな南京錠が掛かっていました。中にはその扉も壊れている家があり、かつて人が住んでいた痕跡を残す内部を拝見することができました。都会のけん騒とは無縁の時代にタイムスリップしたような感じでした。

真冬のある日曜日、北京の南西の郊外にある門頭溝区霊水村を訪ねました。言い伝えによると、漢代にひとりの高僧が修行の場として、山の霊気と豊かな水に恵まれたこの地を選び、住み着き、次第に参拝者が集まり集落が出来上がったそうです。遼金時代には門前町として栄え、明清時代には人口が増えたそうです。かつては優秀な人材もここから輩出されたらしく、何人もの科挙の郷試合格者(挙人)を出したという家も残っていました。また、村内には人民公社の建物もあり、壁には「農業は大寨に学ぼう」という懐かしい標語が残り、現代史の勉強にもなります。

そこが今では、若年層が北京の市街地に職を求め、移り住み、老人ばかりが残された「限界集落」になっています。ひなたぼっこをしていた老人に声を掛けると気さくに答えてくれました。「ここに住んでいるのは何人くらい?」「100人ちょっとかな。若いもんはみんな出て行ったよ」。

過疎から「限界集落」に進み、ついに「消滅集落」となる都市化、高齢化の後遺症は日本が一足先に経験していますが、中国でも人ごとではありません。2年前に都市人口と農村人口が逆転しましたが、都市化はもっと加速されるでしょう。さらに高齢化も急速に進んでいます。日本はすでに高齢社会に突入していますが、2030年に中国は日本を超える高齢社会になると想定されています。

さて、霊水村が急に脚光を浴びたのは昨年、人気テレビ番組の撮影が行われたからですが、それをきっかけに集落全体を歴史博物館として観光客を誘致しようとしているようです。そのためか、集落の入り口に「霊水挙人村」と書かれた巨大な扁額風の看板があり、優に100台は収容できそうな広い駐車場がありました。  食堂を探しました。「一門五挙閣桟」という真新しい看板を見付けました。「一門五挙」は一族から挙人を5人出したという意味でしょう。「閣桟」は宿屋でしょうか。がらんとした食堂には人の気配がありませんでした。やっと奥から中年女性が出てきて農家料理を作ってくれました。なかなかいい味でした。

「限界集落」を象徴するような廃屋

今も集会所に使われているらしい人民公社の建物

 

人民中国インターネット版 2014年6月10日

 

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