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故乡过年

ふるさとの年越し

 

我小时候,特别盼望过年,熬到腊月初八,是盼年的第一站。这天的早晨要熬一锅粥,粥里要有八种粮食——其实只需七种,不可缺少的大枣算是配料。

小さい頃、特に年越しが楽しみで、師走の8日まで我慢すると、ようやく待ちに待った年越し行事第1弾となる。この日は早朝から粥を鍋いっぱいに煮て、粥の中には8種類の穀物が要る――とはいっても実際に必要なのは7種類で、欠くことのできないナツメは具であるとも考えられる。

 

终于熬到了年除夕,这天下午,女人们带着女孩子在家包饺子,男人们带着男孩子去给祖先上坟。那时候,不但没有电视,连电都没有,吃过晚饭就睡觉。睡到三星正晌时,被母亲悄悄地叫起来,穿上新衣,感觉特别神秘,特别寒冷,牙齿得得地颤抖。家堂轴子前的蜡烛已经点燃,火苗颤抖不止,照耀得轴子上的古人面孔闪闪发光,好像活了一样。这时候绝对不许高声说话,即便是平日里脾气不好的家长,此时也是柔声细语。

ようやく大みそかがやってくると、この日の午後、女たちは女の子を伴って家で餃子を包み、男たちは男の子を連れて先祖の墓参りをする。その時代はテレビがないばかりか、電気すらなく、夜ごはんを食べるとすぐに寝た。三つ星が正中する頃、母親が静かに起こしに来て、新しい服を着せられた。とても神秘的な感じがして、ものすごく寒かったので、歯がガチガチと震えて鳴った。先祖の位牌が描かれた掛け軸の前にあるロウソクはすでに灯っていて、火がチロチロと瞬いており、掛け軸の先祖の顔をきらめかせ、まるで生きているみたいに見えた。この時、大声で話すことは許されず、普段は機嫌の悪い家長も、この時ばかりはささやくような静かな声で話した。

 

年夜里的饺子是包进了钱的,我们盼望着能从饺子里吃出一个硬币,这是归自己所有的财产啊,至于吃到带钱饺子的吉利,孩子们并不在意。有一年,我为了吃到带钱的饺子,一口气吃了三碗,钱没吃到,结果把胃撑坏了,差点儿要了小命。

大みそかの夜に食べる餃子にはお金が入れられており、われわれは食べた餃子の中からコインが出てくることを心待ちにしていて、これは自分の財産となるから、お金の入った餃子を食べれば縁起がいいとされることなんか、子どもたちは一向に気にしていなかった。ある年、私はお金の入った餃子を食べるために、一気に3碗食べたのに、お金にはあたらず、その結果食べ過ぎで胃を壊してしまい、死にそうな目にあった。

 

现在,如果愿意,饺子可以天天吃,没有了吃的吸引,过年的兴趣就去了大半,人到中年,更感到时光的难留,每过一次年,就好像敲响了一次警钟。没有美食的诱惑、没有神秘的气氛、没有纯洁的童心,就没有过年的乐趣,但这年还是得过下去,为了孩子。我们所怀念的那种过年,现在的孩子不感兴趣,他们自有他们欢乐的年。

今では、もし望むなら餃子は毎日だって食べることができるが、食べ物としての魅力に欠け、年越しの楽しみも大半が失われてしまった。人は中年にもなると、時が過ぎ去るのをより惜しく感じるようになり、毎年の年越しがまるで1回1回警鐘を鳴らされているかのように感じる。ごちそうの誘惑もなく、神秘的な雰囲気もなく、純潔な子ども心もなく、年越しの楽しさもない。しかしこの年になってもまだ年越しをするのは、子どものためだ。われわれが懐かしむあのような年越しには、今の子は興味がなく、彼らは彼らなりの楽しい年月があるのだ。

 

时光实在是令人感到恐慌,日子像流水一样一天天滑了过去。

時の流れは本当に人を焦らせる。日々は流れる水のように、1日1日とすっと過ぎ去ってゆく。

 

节选自莫言散文《故乡过年》

莫言のエッセイ「ふるさとの年越し」より一部抜粋

 

 

◆翻訳にあたって◆

 

莫言は1955年山東省生まれの作家で、2012年にノーベル文学賞を受賞。日本語翻訳作品として『赤い高粱』『豊乳肥臀』『白檀の刑』『白い犬とブランコ 莫言自選短編集』などがある。旧暦12月8日は“腊八”といわれ、腊八粥と呼ばれるお粥を食べるのが習慣。“三星”はオリオン座の中央にある三つの星を指す。また、“家堂轴子”は、先祖の祭壇や位牌が描かれた掛け軸で、先祖の顔写真や絵があるものもある。

福井ゆり子

  

 

人民中国インターネット版 2017年1月

 

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