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「ありがとう」と「谢谢」

 

吉竹美紀子

彼女の好きな日本語は「ありがとう」、そして私が大学入学前に唯一知っていた中国語は「谢谢」だった。出会いは去年の冬、私が応募したアルバイトの派遣先のホテルに彼女はいた。彼女は私より歳が3つ上で、研修生として1年間そのホテルに勤めている最中だった。彼女は仕事が分からない私に、驚くほど流暢な日本語で説明してくれた。彼女は中国で日本語を勉強しており、日本のアニメや歌にも興味があった。日本語が話せる中国人と話したことが初めての私にとって、小さな出来事だったが何故かとても嬉しかった。

しかし、話す機会がほとんど無くあっという間に別れの時は来た。もっと彼女と話せば良かったという悔いの気持ちだけが残った。冬休みが終わり、大学生活に戻った。変わらない毎日だったはずなのに心の変化があった。毎週1時間半しかない中国語の講義だったが、いつも以上に楽しかった。教えてくれていた先生は中国人であったが、本当に綺麗で上品な日本語を話す。真剣に中国語を教えてくれる先生の姿を見て、私も真剣に中国語を学ぼうと勉学に励んだ。勉学に励んだ結果が運を引き寄せたのか私の思いが通じたのかは分からないが、春休みにもう1度、冬休みに働いた同じホテルで働くことが決まった。この2度目となる彼女との出会いがさらに私を大きく変えることになった。

2月中旬。2度目の再会。彼女は私を覚えてくれていた。彼女は日本語が上手な上に面白い日本語を話す。普段聞いている日本人が話す日本語とは違ったイントネーションや話し方に、私は彼女と話す度笑みがこぼれた。気付けば仕事終わりに部屋で語ったり踊ったり、休みの日にはカラオケに行ったりご飯を食べに行った。去年の冬より時間が過ぎるのを早く感じた。きっと彼女の存在が日に日に大きくなっていたからだろう。私が働くホテルのレストランに訪れる観光客の半数以上が中国人観光客であった。私がありがとうございましたと言うと、「谢谢」と感謝の言葉をくれた。言語の壁がないとは言わないが、挨拶や感謝の言葉が分かるだけでこんなにも親近感が沸くものかと驚いた。

3月下旬。今度は彼女がホテルを去る番だった。私は彼女の中国の話を毎日聞くのが楽しみになっていた。彼女が北海道から旅立つ前日の夜、思い出が詰まった写真のアルバムを渡した。彼女は「ありがとうありがとう」と泣いて喜んでくれた。彼女が北海道を離れた2週間後、私は彼女に会いに中国へ行った。初めて行った中国は空が青かった。5日間の短い旅行だったが、彼女と彼女の友達と美味しい中華料理を食べたり民族衣装を着たり、水郷の町である周荘に行き歴史あふれる建造物を見物したり、遊覧船に乗り夜の上海を堪能した。メディアで取り上げられたことや頭の中で作り上げられただけの中国のイメージがひっくり返った。自分の体で感じ、自分の目で直接見ることがどれほど大切であるか、この旅行を通して感じた。 

日本に戻ってきてから、私は1つ夢が出来た。私の出身地である北海道には沢山の中国人観光客が訪れる。中国人観光客に快適な時間を過ごしてもらう為に、旅行雑誌だけでは分からない北海道の良さを伝えることや、旅行のサポートを出来る仕事をしたい。大学生の私でも今から出来る話し掛ける勇気と手を差し伸べる行動。彼女に出会えたおかげで強くその気持ちが生まれた。そして、まだ中国を知らない日本人が中国を知る良い機会にも繋がると思う。この1年間、大学の講義やアルバイト先、さらに中国、様々な場所で中国に触れることが出来た。「中国に遊びに来て!」という彼女のささいな一言が私の背中を押してくれた。後悔しないように将来に向かって失敗を恐れず挑戦し続ける。日本に来て、私に中国と前向きな気持ちを教えてくれた彼女に谢谢!

 

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