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東南アジアに開かれた北部湾経済区

 

海のホーチミンルート

「海のホーチミンルート」と呼ばれた防城港市の「0号埠頭」

南寧以外の北部湾経済区の三都市には、いずれも特色のある港がある。最大の港は防城港で、中国沿海の24の主要港湾の一つである。この港は水深が深く、波は静かで、三方を山に囲まれ、内陸の湖のように穏やかである。港の海水面や後背地は広く、利用可能な海岸線は長い。

防城港の港務局によると、港の「〇号埠頭」はかつて「海のホーチミンルート」の出発点だった、という。1968年、ベトナム戦争のさなか、「抗米援越(米国に抵抗し、ベトナムを助ける)」のため、海上に、隠れた輸送ルートを拓くことを周恩来総理が決定し、毛沢東主席が批准した。当時、人々は荒れ果てた海岸に、2年余の歳月をついやして、2000トン級の船が接岸できる浮き桟橋一基を含む港を建設した。そして1972年8月に、ここからベトナムへの援助物資が転送され始めた。人々はこの海上ルートを「海のホーチミンルート」と呼んだのである。

その後40年の発展を経て、防城港は現在、36のバースを有している。そのうち1万トン級以上の深水バースは21、最大のバースには20万トン級の船舶が接岸できる。港には鉄鉱石や硫黄、食糧、セメント、燐酸などの大型の専用倉庫と積み下ろしのシステムがあり、各種の雑貨、散荷、コンテナ、石化製品の積み下ろしの能力と、倉庫に保管し転送する能力を備えている。現在、防城港は百以上の国と地域の250以上の港と業務上の往来がある。

防城港市の発電所(写真提供・防城港市対外宣伝辦公室)

欽州港はかつては人口が少なく、水も乏しく、電気も道路もない小さな漁村だった。1924年、孫文(孫中山)は『建国方略』の中で、欽州港を「南方第二の大港」としようとしたが、欽州港はその後、軍港になったため開発することができなかった。1990年代の初期になって欽州市は自ら資金を集めて欽州港の建設を始めた。1999年、広西チワン族自治区は欽州港を「臨海工業港」と位置づけた。

北海港の歴史は古い。漢の時代、すでに対外貿易の港となっており、古代の「海のシルクロード」の出航地点の一つとなっていた。1685年、清朝は「北海常関」を設け、港を管理した。そして1877年、「北海関」が設けられ、北海は再び国際貿易港となった。

1950年代には、北海は新港を開鑿し、一万トン級の船舶が接岸できるようになった。1984年、北海は中国で最初の対外開放14沿海都市の一つになった。

今日の北海港は外沙老港区、石阜嶺港区、国際客運埠頭、鉄山港区からなっている。51あるバースの中で1万トン級バースは4、年間の貨物取り扱い能力は700万トン以上。世界98の国と地域の218の港と貿易している。

北部湾の港湾建設を加速するため広西チワン族自治区は2007年、北部湾国際港務集団有限公司を設立し、防城港、欽州港、北海港をこの集団に組み入れた。同集団は現在、防城港に5~20万トン級のバース11、欽州港に二つの10万トン級埠頭、北海港の鉄山港区に4つの15万トン級の深水バースをそれぞれ建設中だ。計画では、2010年までに北部湾国際港務集団の貨物取り扱い能力は一億トンになり、2020年には3億トンに達するという。

 

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