漢詩望郷(33)

『唐詩三百首』を読もう(25) 杜甫を読むC

                     棚橋篁峰

 西安市の南の郊外12キロ、長安県の少陵原の西に杜公祠があります。杜甫はこの附近で天宝5年(746)から至徳2年(757)の春まで住んだと伝えられ、名作「貧交行」「兵車行」「麗人行」「京より奉先県に赴く詠懐五百字」「月夜」「王孫を哀れむ」「春望」「哀江頭」等を生んだのです。

 明代に建立されて以来、何回となく改修は行われたようですが、1978年を最後に訪れる人もほとんどなく、次第に荒れ果てるのを待つばかりでした。正に杜公祠崩れ草木深き姿を見る如きでありました。

 世界の漢詩人・吟詠家の鏡ともいうべき、詩聖杜甫の長安における寓居史跡を見て、一条の涙を落とす思いでした。詩聖杜甫がその波瀾の人生の中で最も劇的な時期を過ごした長安の故居、今日見る杜公祠は中国全土にある他の杜甫を記念する杜甫草堂・杜甫記念館に比べると荒廃が進み始めていました。

 私達、漢詩に心の潤いを感じるものとして、杜公祠の復興を願わないものがあるでしょうか。漢詩文化遺産を後世に伝えることは、現代漢詩人の歴史的役割であると思います。2000年から有志の呼びかけで、長安杜公祠の修復が始まっています。皆様も機会があれば一度お出かけ下されば幸いです。

 天宝6年(747)皇帝は、詔を発して天下の才子を募集しますが、宰相の李林甫は「野に遺賢なし」として、受験者を全て及第させませんでした。そのため、杜甫は出世の道を閉ざされてしまいます。

 これ以後、さまざまな手だてによって生活を維持しなければならなくなります。「貧交行」はこの頃の作です。いよいよ杜甫の目は、人々の苦しみに向けられるようになります。天宝11年(752)名作「兵車行」が生まれます。杜甫の詩は、律詩も素晴らしいのですが、長文の古詩は杜甫の面目躍如たるものがありますので、段落に分けて読んでみたいと思います。

  兵車行  杜 甫

車リンリン、馬蕭蕭。 
車リンリン、馬蕭々。
行人弓箭各在腰。 
行人の弓箭 各腰に在り。
爺娘妻子走相送、 
爺娘妻子 走りて相送り、
塵埃不見咸陽橋。 
塵埃に見えず 咸陽の橋。
牽衣頓足道哭、 
衣を牽き足を頓し道をさえぎりて 哭し、
哭声直上干雲霄。 
哭声直上して 雲霄を干す。

【通釈】

 車はごろごろと音を立て、馬は鳴き声をあげていく。
 出征兵士は、弓と矢を各々腰につけ。
 父母や妻子は、追いかけながら見送り、
 土ぼこりに、咸陽の橋も見えなくなるほどだ。
 兵士達の服を引っぱり、足を踏みならして嘆き、道を遮って泣き叫ぶ。
 泣き声は天を突き刺すように立ち上る。

 書き出しから、戦争と人々の嘆きと苦しみを鋭く描写しています。唐王朝の栄華の陰に杜甫の目は、時代を見据えるようになるのです(次回へ続く)。

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 私は、この初夏から三回に分けて「杜甫流浪の旅」に訪中します。読者の皆様も参加出来ますので、興味のある方は、お問い合わせ下さい。日中友好漢詩協会(電話)075・465・2444まで。