【漢詩望郷(43)


『唐詩三百首』を読もう(35)杜甫を読むM

                 棚橋篁峰


 私は、今二度目の杜甫の旅をしています。生誕から終焉の地へ今日でも並大抵の旅ではありません。ですから、杜甫の時代にあっては、言語を絶する苦難の旅であったはずです。中でも乾元2年(759)長安から成都への旅は、理解しがたい困難な旅であったと思うのです。杜甫と同じ路を歩いていると、杜甫に出会います。路行く人に「なぜこの路を行くのですか」と声をかけたくなるのです。

 杜甫は、家族を連れ親戚や知人を尋ねてこの路をひたすら歩いたのです。その旅は、杜甫の苦難であると同時に、人々の悲惨な現状を垣間見る旅でした。

 そんな中で『唐詩三百首』では「月夜舎弟を憶う」「天末に李白を懐う」「李白を夢む」等の名作が選ばれます。しかし、杜甫の人生でも最も苦しい日々を送ったと思われる同谷(甘粛省成県)の詩に私は惹かれるのです。

 秦州(甘粛省天水)から同谷に来たのは11月で、同谷滞在は僅か一カ月あまりでしたが、その間の苦難はいうに忍びぬものがあったようです。

乾元中寓居同谷県作歌七首(其一)
 乾元中、同谷県に寓居して作れる歌七首(其の一)

有客有客字子美、白頭乱髪垂過耳。
 客有り客有り字は子美、白頭乱髪垂れて耳を過ぐ。

歳拾橡栗随狙公、天寒日暮山谷裏。
 歳々橡栗を拾うて狙公に随う、天寒く日は暮れる山谷の裏。

中原無書帰不得、手脚凍皴皮肉死。
 中原書無く帰り得ず、手脚凍皴して皮肉は死る。

嗚呼一歌兮歌已哀、悲風為我従天来。
 嗚呼一歌す歌已に哀し、悲風我が為に天より来る。

【通釈】
 旅びと旅びと、その名は子美(杜甫の字)。頭は白く、乱れた髪は耳よりも垂れ下がっている。

 いつも猿まわしのあとについて、どんぐりを拾って歩けば、空は寒く、この山あいの地に日は暮れる。

 中原の故郷からはたよりもなく、帰るに帰れず、手足はこごえあかぎれして、皮膚も肉もひからびてしまった。

 ああ、第一の歌。その歌はもう初めから哀れだ。悲しい風が私のために、天から吹き下ろしてくる。
 
 この哀しい歌の始まりは、同谷の杜甫が住んでいたといわれる地に立つと身に迫ってきます。杜甫が来たのと同じ季節に訪れた私は、「天寒く日は暮れる山谷の裏」を実感しました。この詩は、詩というより杜甫の嘆きだと思うのです。

 前回お話しした「春望」で「白頭掻けば更に短く、渾べて簪に勝えざらんと欲す」といった杜甫の髪は「白頭乱髪垂れて耳を過ぐ」と伸びています。この詩句の意味の違いを考える必要があります。「春望」で短くなった髪は、荒廃した様に対して自らの無力の表現であり、同谷で伸びた髪は、乱れて束ねる気力もない旅人のものです。どちらも杜甫の心を表現したもので実際に髪の毛が短くなったり長くなったりしたものではありません。文字を読むのではなく、杜甫の心を読まなければいけないのです。

 その辛さは「手脚凍皴して皮肉は死る」「悲風我が為に天より来る」で極まります。このときの生活の苦しさは、連作の二首目で「男は呻き女は吟り四壁静なり」(男の子も女の子も、腹を減らして呻吟っており、何もない部屋は、四方の壁だけだ)と詠っていることでもわかります。

 あまりの苦しさに杜甫一家は成都へ向かいます。同谷から成都へは、李白が「蜀道の難」で「青天に上るよりも難し」と詠った難所です。杜甫の胸中を察してみてほしいのです。