@Japanわたしと日本

日本で「神さま」になった
              北京市月壇中学(中高一貫校) 高校2年 成 芳

 サービス業では、「お客様は神さま」という言葉が、広く使われています。

 2002年8月、私は一週間の修学旅行で、日本の生活を体験しました。見聞できたのは、ほんの少しのことですが、それでも異郷に踏み入り、日本で本当に「神さま」になりました。

 大きな荷物とともに飛行機を降りた時から、私の「神さまの旅」は始まりました。 

日本を満喫した成芳さん(左から2人目)と同級生

百人以上の私たち修学旅行団は、ロープに沿って何列にもなって並び、入国審査の順番を待ちました。係りの方は、そんな行列を前にしても、「次の方どうぞ。お待たせしました。ありがとうございました」と、笑顔を浮かべています。初めての入国検査に不安を感じていた私も、温かい笑顔と礼儀正しい態度を目にして、だいぶリラックスできました。

 空港を出ると、ムッとする蒸し暑い空気が向かってきて、全細胞が息苦しいと悲鳴をあげているかのようで、誰もが瞬時に無力感を感じ、海洋性気候の国に来たことを再認識しました。

 迎えのバスは、早々待機していました。運転手さんは5、60歳の男性で、満面の笑みをたたえて、「こんにちは。よろしくお願いします」とあいさつした後、私たちの荷物を順番にバスに積み込んでくれました。彼の力強い動作と額の汗を見ていたら、尊敬の念と申し訳なさを感じました。もう若くはない運転手さんの一生懸命さに触れたことで、私たちの異国での違和感は消え去っていました。

 着いたばかりの異郷人にとって、このような人を尊重した友好的な態度は、本当に感動的です。運転手さんの数少ない言葉と、てきぱきとした行動から、「神さま」とは何かを実感し始めていました。

 ある日の買い物での体験は、さらに印象に残っています。

 旅行中、私は東京の有名な電気街・秋葉原に行って、友達のためにCDを探しました。すぐに見つかるだろうと思っていましたが、たった一枚のCDを探すのも簡単ではありませんでした。軒を連ねた電気店を回っても、どこで手に入るのかがわからず、次第に集合時間が近づいてきたため、私は慌てふためいて、なりふり構わずある電気店に飛び込みました。

 洗濯機担当の若い女性店員は、びっくりしたように私を見ましたが、すぐに「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれました。幼さの残る顔に笑顔をたたえていたため、私は慰められたような気持ちになりました。特に、女の子特有の大きなえくぼが印象的で、今でもはっきり覚えています。

 私は心を決めて、生かじりの日本語で、「CD売り場はどこですか?」と聞いてみました。でも質問してから、すぐに後悔しました。洗濯機売り場でCDを売っているはずはないですから。「追い出されちゃうかも? 仕事の邪魔をしたと思われちゃったかな?」

 しかし彼女は、不快感はまったく示さずに、「CDですか? こちらへどうぞ」と私を店の入り口まで案内して、交差点の方を指差しながら、「赤い標識のあのお店ですよ」と教えてくれました。その様子は、私には、CDショップの販売員よりも丁寧に思えました。

 私がほしかったのは、彼女のお店とはまったく関係のない商品でしたが、私が声を掛けたその時から、彼女のえくぼが消えることはありませんでした。そして、理解しました。彼女は、私のことを「神さま」だと思ってくれたんだなあ、と。

 多くの収穫を得てバスに戻った時には、もう夕方でした。東京は蒸し暑く、夕陽も見られませんでしたが、この街には、もっと光り輝くものがありました。交通渋滞が激しく、ビルばかりの街にいても、目に見えない力が、私の心をさわやかにしてくれました。きっと、「神さま」になれたからでしょう。きっと、そうに違いありません。