新 疆 現代化すすむ中国・最西端の地(下)

                       文・写真 黄秀芳

   新疆ウイグル自治区(新疆)北部のカラマイ市から東南へ約150キロのところに、新興都市・石河子市がある。50年前は、宿駅と未舗装の道、20戸の人家のほかにはゴビ砂漠があるだけだった。しかし今では、「(市の)半分が緑、半分が高層ビル」と言われるほどだ。2000年には、国連の「人間居住環境改善最優秀モデル都市」として、大連、威海、珠海の沿海の3都市とともに選ばれている。  

命の水のために

西域36国の「車師前国」の都、交河故城の遺跡。現存するのは唐代のものだ

 生活に適さない砂漠をオアシスに変えるには、人間の力のほかに水が重要な役割を果たす。水さえあれば、オアシスが生まれる。ところが、水不足や水資源のアンバランスな分布のために、新疆のオアシスは総面積の4%、わずか7万平方キロしかない。「命の水」という言葉があるというが、新疆に来ると実感できる。わずかな水資源をいかに開発し、利用し、保護するか、それは新疆発展の大きなカギとなっている。

 石河子市は、砂漠に面した都市である。緑を保つために、都市建設の構想は数十年来、「先に木を植え、後で道路を舗装する」である。干ばつの年には、「1ムー(約6・67アール)の耕地がムダになっても、一本の木を救おう」という活動があった。水資源を重視するのは、発展の最重要課題と考えられている。

 市内には、耕地が240万ムーある。うち100万ムーは生態改善に役立つというキュウキュウ草(ハネガヤ)の栽培地、120万ムーは農業節水試験基地だ。基地を代表する企業の一つ、新疆天業株式会社は、節水灌漑用の器材で全国的に知られている。

 水資源が有限なので、新疆では多くの地域で「膜下滴灌」と呼ばれる灌漑方法を採用している。つまり、蒸発を防ぐシートで覆った低圧パイプを、作物のそばまで引いて水をやるのだ。このような方法には、生産量を増やし、肥料を節減し、生産コストを下げるなどのメリットがある。とりわけ最大のメリットと言えば、土壌の塩害を抑え、従来より50%も節水ができることだ。

綿花畑の灌漑用パイプを見せてくれた農業技術者。パイプを引けば従来より50%も節水できるという

 こうした技術や器材は当初、イスラエルから導入されたが、徐々に国産化が進んだ。現在では、天業ブランドの灌漑用器材や生産ラインはすべて中国製であるばかりか、外国製と比べても質の高さで引けを取らない。価格は外国製のわずか5分の1。しかもパイプは、1メートルたったの2角(1角は約1・5円)である。天業株式会社の代表・楊金麒さんは、「農民が買える物を造るのが、われわれの目的なのです」と胸を張る。

 2002年、同社は夏に使用した灌漑用パイプを回収し、環境汚染の問題を基本的に解決、さらにコストと価格を抑えた。このシステムは、新疆以外の地域にも広く普及しているそうだ。

火焔山麓のブドウ農家

トルファン市の「ブドウ祭り」に、各地から参加した人々

 火焔山は、トルファンの「火洲」と呼ばれる場所にある。中国の「三大ストーブ」と呼ばれる重慶、武漢、南京よりもさらに暑く、最高気温が35度を超える日は、年に百日以上もあるという。

 しかし、トルファンはやはり行ってみる価値がある。豊かな自然に恵まれ、独自の文化を育んでいるからだ。たとえば、2000年あまりの東西文化の融合を示す古城遺跡(紀元前2世紀〜紀元20紀初頭のもの)、万里の長城や大運河と並んで、古代中国の三大プロジェクトと言われるカレーズ(灌漑用井戸)、中国の山脈では最も気候が暑いとされる火焔山など。

 「上には飛ぶ鳥がなく、下には走る獣もない。水も草もない」と称される火焔山は、東西に約100キロ、南北に約10キロの大きさで、トルファン盆地の真ん中に横たわっている。露出した地層は主にジュラ紀、白亜紀のものと第3紀グリット岩石、赤泥のマグマからなる。数億万年にわたる地殻変動と風食により、起伏が大きく、山肌が深く削りとられた姿となった。日差しを受けると、赤褐色の山肌はさらに輝き、めらめらと燃え立つようだ。それで古くは「赤石山」「火山」などの呼称があった。

 「火焔山」と称されたのは、明代初頭からである。唐代のころ、玄奘法師がインドへ経典を取りに行くため、この地を通った。それが呉承恩の長編小説『西遊記』に著され、火焔山は旅客の絶えない名山となった。火焔山の看板のもとで、商いをしていたウイグル族の少年は、「観光シーズンには1カ月で1万元(1元は約15円)の収入があるよ」と話してくれた。

トルファン市の「ブドウ祭り」に、各地から参加した人々

 山上は気温が高いが、山全体は地下水を抱く天然ダムとなっている。トルファン市内から15キロ離れた火焔山のふもとに、風光明媚な百果園の「葡萄溝」がある。南北に約八キロ、東西に約1キロの広さで、渓流あり、用水路あり、泉ありと豊かな水に恵まれるため、果物や木々が生い茂っている。両岸につづく崖の上には、まるでベールで覆うかのように野ブドウのつるが伸びている。藤づると絡み合ったブドウ畑も、あちこちにある。

 葡萄溝で迎える朝は、じつに静かで涼しく、「火洲」とは名ばかりのようだ。望楼に似たブドウの陰干し小屋、土レンガ造りの建物などが、シラカバ並木に映えている。アイルケンさん(32歳)は市内へ通勤しているが、この家を離れるつもりはない。「オートバイがあるので、とても便利ですよ」と彼は言う。

 住民たちは、ブドウ栽培で生計を立てている。1992年以降、つまり市場経済の導入にともない、観光業が急速に発展した。観光グッズ販売店やレストランなどが次々とオープンし、こうしたのどかな田園風景にも商業化の波が押し寄せている。

 しかし、やはり葡萄溝とトルファン市の主な産業はブドウ栽培である。ブドウの栽培面積は、耕地面積の45%。農民のブドウによる収入は、全収入の半分を占める。毎年8月下旬――ブドウの収穫シーズンになると、トルファン市ではブドウ祭りが開かれる。近隣に住む農民たちが盛装し、ロバを駆って、トルファン市へとやって来るのだ。

ブドウ部屋に立つアイルケンさんの母

 アイルケンさんのブドウ園も豊作だった。1・6ムーのブドウ園では、1ムーあたりの収穫が六トン。1万元の収入だ。「両親のお手柄ですよ」と彼は言う。新しい生活スタイルを追求する若者たちと同様、93年に新疆師範大学を卒業後、故郷を離れた。妻は中学校の教師で、妹は高校生。その妹も「将来は学校の先生になりたい」と言う。

 後継ぎは減っているが、農家の暮らしは豊かになった。隣家では、すでに自家用車を持っている。アイルケンさんの家でも、パソコン以外なら家電製品は何でもそろう。93年に建てたレンガ造りの家が二棟並び、今年は先に豊かになった農家のように、外壁や床のタイルを貼り換える予定だ。

 ウイグル語の「アイルケン」は「自由」を意味する。息子と娘には「光明」という意味の名前をそれぞれ付けた。自由を求める親の世代は、知識を学び、田園を出たが、次の世代はもっと明るい未来を迎える――。子どもたちの名前からは、そんな願いがうかがえる。

世界へ向かう橋

 アイルケンさんのブドウ園の近くで、ウイグル族の少年(9歳)と知り合った。少年の両親との会話は、彼が通訳してくれた。両親は農業をする傍ら商いもしているが、おそらく言葉の問題があったのだろう、息子を小学3年の時から、漢族の学校に通わせている。

 新疆は、多民族が暮らす地域だ。数世代にわたり、ここに居住する民族は13。中国語、ウイグル語、カザフ語、キルギス語の四つの言語が使われている。広大な地域では、人々の居住地も分散している。地元政府は、少数民族の言語と中国語で教える小中学校をそれぞれ開設している。また80年代からは民族学校でも、小学3年から中国語の授業を行っている。

現代化の進む新疆ウイグル自治区の区都・ウルムチ市

 少年が転校したばかりの数カ月間は大変だった。授業が聞き取れないために、泣いてばかりいたという。しかし、父は強制的に通わせた。一年後にはクラスでも優秀な生徒になった。少年が流暢に通訳する姿に、そばにいた姉は羨望のまなざしを向けていた。

 熱心に英語を学ぶ人が増えているのと同じく、新疆に住む少数民族の中国語熱も高まっている。新疆大学生物学部の教師、イエリーフェイヤ・ユヌスさんによると、「現在、子どもを漢族学校に通わせるウイグル族の家庭が増えています」。彼女も息子が二歳半になったとき、漢族の幼稚園に通わせた。「これで息子は、私のころより早く歩き出したのです」

 80年の歴史をほこり、3万人以上が在校する新疆大学では、2002年9月から、理工学科や基礎課程で中国語による授業をスタート。できるだけ早く、世界の流れに追いつこうというわけだ。また規定によると、新入生は予科で一年学んだ後で、中国語の試験を受ける。この時、中国語の中級レベル「五級」にパスしなければもう一年、留年しなければならないという。

 情報管理と情報システム工学を専攻する大学2年のタイアルジャンさんは、「98%の学生は、中国語の試験を難なくパスします」という。「もし選択できるなら、どんな言語の授業を選びますか?」と聞くと、「中国語です」と、このハンサムなウイグル族青年はキッパリと答えた。「中国語は国語です。これから競争がますます激しくなるので、わが少数民族の言葉のほかに、中国語をマスターするのは有益だと思います」

心に大志を抱くタイアルジャンさん

 彼は、中国語が勉強手段の一つであり、世界へ導く橋だと見ている。中国語を学ぶと視野が広まり、暮らしもさらに豊かなものになっていく。最近では、新刊本の『チーズはどこへ消えた?』を読んでおり、「とても勉強になりますね」と語っていた。卒業後は日本へ経済管理を学びに行きたいと思っている。そのため今は、ミュージシャンの喜多郎と、作家の村上春樹に関心を寄せている。

 開放は、人々に激しい競争をもたらしたが、選択するチャンスも与えた。彼のクラスには44人の学生がいるが、そのうち卒業後に外国留学を予定する人は5%、辺境地区以外への就職を予定する人は30%にも上る。韓国人留学生・徐仲泰さんは、こう評価していた。「(中国語の教育は)少数民族の学生に、チャンスを与えてやることと同じなのです」