●特集

中国の変貌を見つづける


 
 

 

 「滄海変じて桑田となる」という。

 激動する世界の中で、中国はこの50年、社会主義建設から「文化大革命」、そして改革・開放と、まさに「滄海桑田」の大きな変貌を遂げてきた。

 『人民中国』は、新中国とともに歩んできた。いわば中国現代史の目撃者であり、証言者である。そこで1950年代から10年ごとに、『人民中国』で取り上げられたその時代を象徴する「ヒトやモノ」を一つ選び、それを再び現代的視点から見直してみることにした。

 起伏に富んだ「ヒトやモノ」のその後の変遷は、中国でいままさに起こっている変化にいたる必然性を示している。同時に現在の姿から、中国の人々の未来に対する希望や自信を読み取ることもできる。

 新中国が成立してから4年後の1953年に創刊された『人民中国』(日本語版)は、今年で創刊50年、今期でちょうど600号を数える。

 

     その1
高速化めざす「人民鉄道」
鉄道網建設の時代から
              文・張春侠  写真・劉世昭 楊振生

専門的に基礎訓練を受けた乗務員の平均年齢は21.5歳。右は洪占勇列車長

 1953年、創刊されたばかりの『人民中国』は、中国の鉄道建設を紹介する記事を掲載した。当時の中央人民政府鉄道部の運輸局局長が書いた『新中国の人民鉄道』である。

 当時、新中国の鉄道建設は、やっとスタートしたばかりだった。営業総延長はわずかに2万4000キロ余りに過ぎなかったが、列車の基本的な施設・設備や運行速度は以前に比べ、すでにいくらか改善されていた。

 人々は、廃墟の中から再建された新中国の鉄道を、親しみを込めて「人民鉄道」と呼んだ。そして、「人」という字と鉄道のレールの断面を組み合わせた鉄道マークがデザインされたのだった。

 当時の中国の鉄道は、世界の中で低い水準にあったことは明らかである。しかし、それから50年が経った。中国の鉄道事業はいったいどんな変化を遂げたのだろうか。それを身をもって知ろうと、記者はこのほど、北京発上海行きの第 次列車に乗ってみた。

スピードこそ生命

 乗った列車は、夕方6時に発車し、翌朝八時に終点に到着する夜行列車だ。出張の時間を短縮できるうえ、ホテルの費用を節約できるので、旅客から大変歓迎されている。

 この列車で劉さんという人といっしょになった。劉さんは北京の店のほかに上海にも分店を開いているので、いつも北京と上海の間を行ったり来たりしている。以前は、時間に間に合うよう、いつも飛行機でとんぼ返りしていた。だがいまは、この列車の常連だという。
 「数年前の汽車は遅くて、北京から上海に行くのに17、8時間もかかり、必ず一晩泊らなくては仕事が終わらなかったものです。いまは列車で一晩寝れば着いてしまう。仕事を終えてその日に帰ることができます。どんなことがあっても遅れることはない。飛行機は速いことは速いが、お金がかかるうえ、時には天候のせいで飛べないこともある。汽車の方がどれだけ便利だかわかりません」と劉さんは言った。

 こんな話をしているところへ、列車長の侯来林さんがやってきた。彼は1983年から北京―上海間を往復する列車の乗務をしてきた。

 「83年当時は北京から上海まで20時間以上かかったので、旅客も乗務員もくたくたに疲れたものです。いまは1400キロをわずか14時間で着くようになったのです」と、侯列車長は感慨を込めて言うのだった。

 1997年から2001年までの間に、中国の鉄道は前後四回もスピードアップを行った。その総営業キロ数は1万3000キロに達し、中国の大部分の地区と主要都市を含んでいる。スピードアップの結果、客車の平均運行速度は25%速くなった。特急列車の最高時速は120キロから140キロ〜百60キロになり、広州―深ロレ間の最高時速は200キロに達した。

 中国が独力で設計・製造した電気機関車「中華之星」が牽く列車は、秦皇島―瀋陽間の旅客専用線で時速312・5キロの最高試験速度を樹立した。また2002年末、上海に建設されたリニアモーターカーは、世界で初めてコマーシャルベースで運行し、最高速度は毎時432キロに達した。

 これを50年前と比べてみよう。総営業キロ数は現在の三分の一しかなかった。列車の運行速度は当時、時速30〜40キロだった。いまとは天地の開きがある。

 今日、中国の鉄道は、すでに全面的な高速時代に入っている。中国鉄道部によると、2003年と2005年に、中国の鉄道はさらに二回のスピードアップを行い、北京、上海、広州を中心とする「三つのスピードアップされたエリア」を打ち立てることになっている。

 「三つのスピードアップされたエリア」とは、@半径500キロ前後の都市間で「日帰り」ができるA1200キロから1500キロ前後の都市間で「夕方出発し、翌朝着ける」ようにするB2000キロから2500キロ前後の都市を「一日で行く」ことができる――である。また、現在検討中の北京―上海の高速鉄道も、時速350キロで運行されることになるだろう。

「お客様は神様」の精神で

 「旧い鉄道は三等級に分かれていたが、人民鉄道は客車の区別を『軟席車』と『硬席車』の二つに改めた。また従来、食堂車はもっぱら一、二等車の乗客のためにサービスしていたが、いまではその不合理な制度をなくし、乗客は誰でもみな清潔な食堂車に入って、手ごろな値段で食事をとれるようにした」――これは50年前に書かれた『新中国の人民鉄道』の一節である。

 たしかに当時は、クッションを入れた「軟席」や「誰もが食堂車を利用できる」ことが、それ以前の列車とは違う根本的な変革だった。しかし今日、「全車両寝台」「ホテルと同じ豪華列車」が、普通の庶民生活の中に入ってきた。

 上海から北京に向かう汽車の中で知り合った70過ぎの張おばさんは、北京の息子に会いに行くところだった。年寄りが旅の途中で不便を感じないようにと、家人が特に高級な「軟臥」(クッション入りの寝台)の切符を用意してくれたのだった。

 「私はこれまで、こんな良い汽車に乗ったことはないよ。テレビや電話やトイレだってついている。乗務員のサービスもいい。まるでホテルにいるみたいだ」と張おばさんは言った。

 現在、北京―上海間には「豪華列車」が全部で四本走っている。この列車はすべて寝台車で、「高級軟臥」と「軟臥」の車両には、ベッドごとに一台の壁掛け式のテレビがあり、12のチャンネルの番組を選んで見ることができる。乗客はイヤホーンを使うので、他の乗客の邪魔にはならない。

 「高級軟臥」のコンパートメントには、それぞれトイレがあり、車内にはインターネットに接続できる電話が備えられている。食事を注文したり、乗務員を呼んだりすることもできる。

 「硬臥」(普通の寝台)の車両は「半閉鎖式」の六人部屋となっていて、やや独立した空間があるので、旅客はゆっくり休むことができる。

 「柔らかな灯、金色に輝く装飾、気品のあるバー、どれをとっても絶対一流です」。まだ28歳の若い列車長の洪占勇さんは、自らの勤務する列車について自信満々だった。

 素晴らしい設備以外にも優秀なサービスが特色である。

 こんな話がある。

 上海の王さんという人があるとき、北京行きの第 次列車に乗ったのだが、汽車がまもなく北京駅に到着するときになって、王さんは自分の飛行機の切符や身分証明書などをみな自宅に置いてきてしまったことに気づいた。王さんは慌ててしまい、どうしたらよいのかわからない。これを知った乗務員は王さんに、家の人に連絡して、忘れ物を上海の駅に持ってこさせ、次の北京行きの列車に託せばよい、と勧めた。

 しかし、王さんの家には80を過ぎた母親がいるだけで、その母も外に出かけることができない。そこで乗務員は自分の友人に、王さんの家に行き、忘れ物をとってきてくれるよう頼んだ。そして次の日の早朝には、王さんの手元に忘れ物が届き、王さんは飛行機の時間に間に合ったのだった。

 「こうしたことは、私たちが当然しなければならないことなのです。なぜなら私たちの職責は、旅客のためにサービスすることなのですから」と、まだ21歳の乗務員、トウ園園さんは言った。彼女は仕事に就いてからまだ一年余りだが、すでに優秀乗務員になっている。この列車の乗務員の平均年齢は21歳半だという。

 乗務員として仕事を始める前に、みな厳格な業務訓練と軍事訓練を受け、さらに航空会社に行って専門的に基本訓練を受ける。「旅客こそ神様」「旅客の要求こそいつも一番」というのが乗務員のモットーのようだ。

 汽車がゆっくり北京駅に近づくころ、乗務員は北京の天候を放送し、旅客の荷物を専門に運ぶ「赤帽」たちもホームで列車の到着を待ち受けている。先進諸国では当たり前のサービスだが、こうしたことからも、中国の鉄道が絶えず大きく発展しつつあることを見て取ることができる。