【放談ざっくばらん】


 よみがえれ 日本の名作映画よ


                  日本国際交流基金北京事務所 黄海存

 

  25年前の1978年、中日両国は『平和友好条約』を締結した。ケ小平が日本を訪問し、多くの有名な日本企業を見学した。猛スピードで走る新幹線に乗って彼は「これこそ近代化のスピードだね」と感嘆した。

 この訪日によって、戦後、飛躍的に発展した隣国、日本の現状をケ小平が実際に見たばかりでなく、『君よ、憤怒の河を渉れ』(中国でのタイトルは『追捕』)など数本の日本の名作映画が中国にもたらされた。

 それから25年が瞬く間に過ぎた。今日の中国人は、外国映画にすっかり慣れていて、みんなそろって『君よ、憤怒の〜』や『望郷・サンダカン八番娼館』(同『望郷』)、『キタキツネ物語』(同『狐狸的故事』)などの映画を見に行く光景は、もはや見られなくなった。

 しかし、「文化大革命」の時代を終えたばかりの中国人は、文化の面で飢えと渇きに苦しんでいる心理状態にあり、彼らにとって『君よ、憤怒の〜』のような名作映画を見ることは、まるで喉がカラカラに渇いた人が初めて甘露を味わうようなものであった。彼らの受けた深い感銘は、いまの人々ではなかなか実感として理解できない。

 私が初めて『君よ、憤怒の〜』を見たのは11歳のころだったと記憶している。原田芳雄が扮する、もみあげを長く伸ばした矢村警部の「矢村ヘアスタイル」や、分厚い縁のサングラス、日本のパトカーなどは、あまり好感を持たなかった。「矢村ヘアスタイル」がイヤだったのは、当時の中国の子どもには、いまのような「カッコイイ」という概念がなかったからだろう。

 しかし、次から次へと起こる物語の筋の展開が、強く私を引きつけた。こんなに変化に富んで、おもしろく、ドキドキする映画があったとは!

 映画を見終わった一人の女性の観衆が、興奮して皆にこう言ったのを覚えている。「本当にすばらしかったわ。『♪ラーヤーラー』というテーマ音楽もすごくきれいだった。もう一回見たいわ」

『君よ、憤怒の河を渉れ』から

 実際、『君よ、憤怒の〜』は、当時の中国人の考えを一変させた。映画に映った近代化された新宿の街を見て、普通の中国人は、戦後の日本の姿を初めて感覚的に認識した。

 たぶんそのときから人々は、日本の戦後に関するイメージについて、長年の空白を埋め始めた。そして中国の大衆の頭に、日本に関するふたつのイメージが現れ始めた。一つは中国を侵略した「鬼子」が統治した戦前の日本、もう一つは『君よ、憤怒の〜』の中に登場する高倉健扮する「杜丘」らに代表される戦後の日本である。

 改革・開放政策が始まった後の中国で、初めて上映された日本映画である『君よ、憤怒の〜』は、中国でセンセーションを巻き起こした。物語のストーリーの展開も、男優、女優のすばらしい演技も、きわめて観賞性が高い。

 多くの中国人は、一家をあげてこの映画を見に行った。映画に出てくるいくつかのシーンは、当時流行っていた漫才の中に組み入れられたほどだった。いま40歳前後の中国人なら、たくさんのシーンやセリフをみなよく覚えている。

 この映画は、当時の中国人の好奇心を満足させた。当時、中国の映画には娯楽映画が少なく、この映画はその足りないところを補ったのである。

 寡黙で一本気な、がっちりとした体躯の高倉健のような男性が、一時は、中国女性が結婚相手を選ぶときの基準となった。女主人公の「真由美」の名前も、その音を取って「真優美」(真に優美)と訳された。そこからも観衆が、いかに彼女を好きだったか、見てとることができる。

 今年は『中日平和友好条約』締結25周年である。日本国際交流基金北京事務所と中国映画資料館は共同で、今年の早春、「日本名作映画回顧展」を開催した。その少し前に、私は幸いにも同事務所の職員となり、文化交流の仕事に従事したいという長年の夢がかなった。思いもかけず、就職した後の初仕事が今回の「回顧展」の活動だった。

 『君よ、憤怒の〜』が、開幕式で特別に上映されると決まった。あの「♪ラーヤーラー」のテーマソングが流れはじまると、私の心は再び沸き立ち、古い友人と再会したように、思い出や感動、興奮が入り交じって、感無量だった。いっしょに見ていた人の中にも、感動し、思い出が次々と頭に浮かぶ人も少なくないと、私はひしひし感じた。

 軽飛行機を操縦する「杜丘」のかっこよさ、「真由美」の馬上の雄姿や正しいことのためなら愛する人と地の果てまでついていく自己犠牲の精神は、いま見ても、依然、その魅力は尽きない。

 しかし、25年経ってこの映画を再び見たのに、仔細に観察すると、やはり新しい発見があった。映画に登場する暴力団のボスのセリフで、「韓国」という言葉が「南朝鮮」と翻訳されていた。しかし現在、中国と韓国は国交を結んでからすでに10年間経っている。また、別のセリフの中で、誰かの「情婦」という言葉を「小老婆」(妾)と訳していた。今日の若い人々は、奇異に感じたに違いない。

 それと同様に、当時、日本の警察やパトカーに違和感を覚えたものだが、今日それを見ると、中国の警察やパトカーが、すでに日本、いや、世界の多くの国のものと非常に似ていることを発見した。こうした細かいところに、この25年来、中国で起こった大きな変化が現れている。同じ映画を見たのに、当時感じたことから現実の中に立ち帰ると、私は自分が浦島太郎になったような感じに襲われるのだった。

 「天の時、地の利、人の和」があったからこそ、普通の作品である『君よ、憤怒の〜』が中国で成功を収めたとするなら、今回の回顧展で初めて上映された戦後初期の反戦映画の名作『暁の脱走』(同『黎明的逃脱』)も、中国の観衆に少なからぬセンセーションを巻き起こした。

 この映画は、黒澤明が監督・演出し、山口淑子(李香蘭)が主演したことで、重量感を増し、軍国主義を直接的に批判している。抑圧され、苦悶する全編に漂う雰囲気が、兵士たちの戦意を阻喪した感情をうまく伝えている。とりわけ「春美」が歌う美しい日本民謡は、緩やかに響き渡って、酒で憂さを晴らそうとする兵士たちは暗然として涙を流すのだった。

 この映画では、主人公の「三上」が捕虜になったときの落ち込んだ感情や、部隊に送還された後にひどい目にあったことが数多く描かれ、またその間に現れる中国の軍人、趙大尉が、非常に人情味のある人物として描かれている。上司によるあの手この手の尋問や精神的な虐待に耐え切れなくなって、「三上」と彼を愛する「春美」は、自由で美しい生活を求め、部隊を脱走することを決めた。

 しかし、彼らを待っていたのは、中尉による機関銃の掃射であった。広々とした平原を駆けるこの恋人たちには、身を隠す場所がまったくなかった。彼らの生命と運命は、完全に中尉の手に握られていた。自由と幸福を求めるこの二人は、ついに血だまりの中に倒れる。果てしなく広がる大地に、観衆は無限の想いを馳せるのだった。

『暁の脱走』から

 映画が終わると、会場から嵐のような拍手が起こった。その拍手の中には、この映画に感慨を覚えたというもの、感服したというもの、さらに彼らを理解したというものもあったことだろう。

 この旗幟鮮明な反戦映画に対し、私は、戦後初期に日本の映画人たちが深刻に反省していた精神には敬服しながら、同時に一抹の困惑を感じた。朝鮮戦争勃発後、どうして黒澤明の作品は、この映画のような鮮明な批判的精神を失ってしまったのだろう。『サンフランシスコ講和条約』が締結された後に撮影された『羅生門』は、実は戦後日本の相対史観の象徴的なスタートだったのではないのだろうか。

 しかしその後も、多くのシナリオライターたちが反戦・平和をテーマとする映画を創り続けてきた。1989年の今村昌平が撮った『黒い雨』は、一つの側面から、戦争が日本人にもたらした、きわめて大きい精神的な傷跡を描きだした。この映画は最初から最後まで一貫して落ち着いた自然な手法で、原爆に被爆した小さな村に住んでいる村民たちが、生命の最後の時を過ごす様子を描いている。

 しかし誰もこうした社会の下層に暮らす不幸な人々に関心を寄せはしない。彼らは、黙々と、人々の冷やか目や差別、病気がもたらす苦痛に堪えている。彼らにとって愛などは、はるかに遠い存在であり、生きる権利さえ奪いとられたのだ。このように、復讐ではなく、平和を祈る視角からの作品は、人びとに時代の進歩を深く感じさせたのである。

 映画という媒体は、文化交流のなかで非常に重要な役割を果たしている。国は違っても人々の感情は共通しているので、映画は異国の観衆に娯楽をもたらすことができるし、異なる側面から歴史の断片や時代精神を反映するという映画それ自体の特徴によって、異国の観衆が映画を創った国の文化を理解するのを助けることもできる。

 『望郷〜』やテレビドラマの『おしん』(同『阿信』)は、私たちの父親の世代で共感を呼び、『君よ、憤怒の〜』は、50、60年代生まれの多くの中年の人々が無我夢中になって楽しんだ。そして中国の若い人たちは、『一休さん』(同『聡明的一休』)や『ドラえもん』(同『機器猫』)、『ちびまる子ちゃん』(同『桜桃小丸子』)、『東京ラブストーリー』(同『東京愛情故事』)などのアニメや映画・テレビドラマに心を奪われている。

 なぜ日本の映画やテレビドラマが好きなのかと、二十代の若い人に聞くと、「画面が美しく俳優がきれいだから。あのロマンチックな生活環境も羨ましい」というのが一般的な回答だった。彼らにとっては、日本の作品を見るのは一つの暇つぶしの良い方法となっている。いまの若い人たちは、こうした「舶来品」を、なに憚ることなく手当たりしだいに持ってきて、映画の登場人物のセリフを覚え、その人物の衣服と同じような服を着、キティーちゃんやドラえもんの飾り物を身に付けて、何ら異様に感じない。さすがに時代は変わったのだ、と感嘆せざるを得ない。

 映画の主な消費者となった若い世代は、かつて文化の飢えと渇きを経験した世代の心を理解できない。すでに中年に入った世代にとって、『君よ、憤怒の〜』や『望郷』、『おしん』は、当時、彼らが日本を理解する数少ない映画・テレビの作品だった。だから彼らはその記憶を深く心に留めて、忘れはしない。

 同様に、高倉健、田中邦衛、原田芳雄、中野良子、栗原小巻、田中絹代の名前も、彼らを愛するこの世代の観衆の心に、永遠に刻み込まれている。おそらくそこに、名作の魅力があるのだろう。粗製濫造のファーストフードのような映画やテレビドラマを見た後、細部まで精緻に創られた古典的名作をじっくりと味わうと、久しぶりに素朴な故郷の料理を食べたように、その味わいは尽きることがない。

『黒い雨』から

 日本の映画やテレビドラマの発展は、決して順調ではなく、山あり谷ありだった。しかし、たとえどんな時期でも、一部の優秀な人材が頭角を現し、世界的に有名になった。例えば、小山内薫、溝口健二、黒澤明、今村昌平、山田洋次、岩井俊二、北野武、黒澤清らは、いずれも非常に大きな成功をおさめた映画監督であり、彼らの多くの作品は、国際的に重要な影響を及ぼし、アジア映画に栄誉をもたらした。

 残念なことに、いまだに中国で上映されていない日本映画はたくさんある。わずかな映画関係者と日本映画の愛好者がそれを少し理解しているだけだ。中国が世界貿易機関(WTO)に加盟し、中日両国の文化交流がさらに深まるのにつれて、ますます多くの日本映画が中国に輸入され、テレビを通じて多くの人々の家の中にまで入って来ることになるだろう。

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 私たちは、『君よ、憤怒の〜』のような映画がまた現れるのを期待している。私も自分の仕事を通じて、これらの作品を中国の観衆に紹介するためにがんばりたいと思う。