天星景区にある「銀鏈墜潭瀑」(銀のネックレスが流れ落ちる滝)

「黄果樹瀑布」は、中国最大の滝である。黄果樹瀑布とその付近にある瀑布群、千姿百態の水上石林、プイ族が住む村落……。それらが、ともに組み合わされた国家クラスの「黄果樹風景名勝区」は、貴州省のなかで、もっとも旅人を引きつける観光名勝となっている。黄果樹瀑布はいまや、貴州省の代表的なイメージであり、シンボルとなっているのだ。

 


黄果樹瀑布

  黄果樹瀑布は、省都・貴陽市の西南137キロに位置し、自動車にのれば、約2時間でつく距離である。

 ゴウゴウうなる雷鳴のような滝の音は、遠くにいても耳に入った。滝のそばまで近寄ると、巨大な水流が、勢いよく滝つぼに注ぎ込むのがわかった。ガイドさんの話によれば、滝の高さは74メートル、幅81メートル。中国最大の瀑布だという。

 瀑布は「犀牛潭」と呼ばれる滝つぼに、注ぎ込んでいた。滝つぼの深さは17メートル。その表面は、つねに滝からはね飛んだ無数のしぶきで覆われており、水けむりがもうもうと立ち込めている。そこには日光が屈折反射し、虹が生まれて、きらびやかである。夏の雨季には水量が多くなり、はね飛んだしぶきは、落下地点から百メートルの高さにある黄果鎮(町)の街路まで、飛び散るのだという。人呼んで「金の街路に、銀の雨をまき散らす」である。

 珍しいのは瀑布の裏のなかほどに、「水簾洞」と呼ばれる崖廊洞窟が隠れていること。この長さ134メートルの洞窟にもぐり込み、洞窟の外でゴウゴウうなりを上げる滝の音と、洞窟の内で、ポタポタと落ちるしずくの音を聞くのは、また別の趣がある。内側から滝の「窓」を通して景色を見たり、流れ落ちる滝に触れてみたり……。こうした「水のすだれに触れる」神秘的な感覚は、中国古典の神話小説『西遊記』に登場する、孫悟空のふるさと・花果山の水簾洞をほうふつさせる。

鎮寧プイ族ミャオ族自治県の五里坪浄水場(同県政府・提供)

 驚いたのは、黄果樹瀑布は上流にむかって後退していく滝であること! この一帯は典型的なカルスト地形だ。地表を流れる河が岩石を溶かし、裂け目から地下に流れ、「落水洞」と「地下河」ができる。ここでは、地下の伏流が溶かした巨大な洞窟がくずれ落ち、地下の流れが地上の河へと変化した。また、河が浸食している落下地点が、瀑布となるのだ。

 考察によれば、犀牛潭とその下流の「三道灘」「馬蹄灘」「油魚井」の三つの滝つぼは、みな50〜10万年前に、この白水河が浸食したものである。つまり、油魚井から上流の犀牛潭までは150メートルあるが、黄果樹瀑布は上流に向かって、それだけ「移動」したと言えよう。

ふしぎな石の世界

滑石哨村のプイ族の村落

 黄果樹瀑布から下流へ2キロほど行くと、道沿いに、「滑石哨」と呼ばれるプイ族の村落がある。伝え聞くところによると、明の洪武帝の時代に、いまの江西省からきた移住者がここの山地を開拓したさい、大きな「滑石」(平坦でなめらかな石)のかたまりを見つけた。それで、旧名「滑石哨」と呼んだのである。

 ここは亜熱帯に属しており、気候は温暖湿潤、いたるところ緑が生い茂っている。大きなガジュマルの幹はうねって、まるで竜のようであり、深い緑は天を覆うかのようだ。考察によれば、村にはガジュマルの古木が11本あり、もっとも樹齢を重ねたものが2000年、もっとも若いものでも840年あるという。今でも生気にみちあふれ、緑をこんもり茂らせている。聞くところによると、プイ族の樹木崇拝は、「古木を神のごとく敬う」のに関係しているそうだ。

 村に入ると、そこは石の世界を思わせた。石を敷きつめた道路、石を積み上げた家屋、石板の瓦、石造りの門枠、門のしきい、机……。腰かけも石板でできていた。また、器やふみうす、鉢、水がめさえも、石製だった。水がめは五枚の石板でできており、コンクリートでキッチリつなぎとめているので、水が漏れない。

 聞けば、石造りの家屋は、木材を節約するばかりか、建築費が安く、強固であるし、防火もできる。冬暖かく、夏涼しい。防音防湿の効果も高く、じつに住み心地がよいという。レンガ造りの家と比べても、レンガを焼成する必要がないので、レンガを造る燃料と土の節約にもなる。汚染を抑え、環境保護の役に立つ。

 滑石哨の35戸の村人は、すべて「伍」という姓である。男性はみな外で働き、女性は家で家事や子育て、家畜の飼育や野菜の栽培などをする。

 村落に伝わる祭りは、じつに多い。旧暦の正月30日に行われる「了年節」は、その特色にあふれている。村人たちは、ニワトリやアヒルを絞めて、にぎやかな宴席をもうけ、旧きに別れ、新しきを迎える。豆腐ともやしの料理を必ず用意するが、それは江西省の古い土地に伝わる正月のならわしで、その年の旧暦正月30日に、江西省の豆芽街から貴州省へと移り住んだ日を記念するため、行っている。

 この日には、また「油団ガオを食べている。もち米の粉に、砂糖とふかしたサツマイモを入れて混ぜあわせ、こぶし大の団子にしてから、油で揚げれば、カリカリとした甘くておいしい食べ物になる。それは昔、貴州入りする身内の者におくった携帯食で、一家団らんのときを早く迎えられるよう、祈るものともなっている。

天生橋にのびる石林

天星景区にある石林

 黄果樹瀑布の下流6キロに、「天星景区」と呼ばれるふしぎな観光スポットがある。その天星景区に入ってすぐの、水上に置かれた飛び石を踏み進めてゆくと、目の前に迫力あふれる千姿百態の石林があらわれる。ラクダに似たもの、オランウータンのようなもの、雄々しい鷹やワニの頭に見えるもの、さらに「髪をすくミャオ族の女性」の石、「帆かけ船」の石など……。それらは静かに河面に映り、自然の山水画ギャラリーをつくりだしているのであった。

 驚いたのは、この長さ650メートル、幅280メートルの石林は、なんと峡谷の間にできた、「天生橋」(天然の橋)の上にのびていることであった! 古代の地殻変動や河水の浸食作用により、白水河の河水の一部が、浸食された地下へとしみ込み、それが巨大な「天生橋」をつくりだした。地表にのこった別の流れは、河床のやわらかな岩石を浸食して溝をつくり、もともと河床であったところが、石林の「いただき」となった。こうして、一部は硬い岩石がのこって、それが石林を形成したのである。

 高々とそびえる独立した石峰の上には、サボテンや各種の低木が生育している。なかには、石の裂け目から生え出たガジュマルの木さえある。石壁にピタリとついて生長したあるガジュマルは、裸体の女性にそっくりで、「美女榕」(美女のガジュマル)と呼ばれて、多くの旅人を引きつけている。

日本援助の飲用水計画

滑石哨村の前に生きる、樹齢千年のガジュマルの木

 貴州省の西南部、鎮寧プイ族ミャオ族自治県(鎮寧県と略)を旅すると、多くの村落に建てられた浄水場を見ることができる。浄水場には白いタイルや瑠璃瓦が施されており、石造りの家とは対照的な風景だ。

 それらはみな、日本政府の無償援助による飲用水プロジェクトである。1990年7月、中日両国は協定を交わし、それによって日本政府が15億円を無償援助した。鎮寧県など貴州省の9つの県と市に、310カ所の浄水場を設け、住民86万6000人の飲用水の衛生条件を改善するのが目的だった。

 貴州省は多雨多湿、河が縦横に流れひろがり、水量はたいそう豊かである。しかし、多くの山村が河から離れており、村人たちは1、2キロ離れた河から水を汲まなければならず、非常につらい労働だった。そのため人によっては、洗面器一杯の水で顔を洗い、足を洗い、それを家畜に与えていた。と同時に、山の枯草や稲田に与えるこやしまで、河に流した。村里の井戸水でさえも、人畜や生活ゴミの汚染をまぬがれなかった。

 飲用水がこのような不衛生な水のため、村人たちはよく寄生虫病や腸チフス、下痢などの伝染病に悩まされていた。かつての村落では医者や薬が少なく、加えて迷信が流行していた。村人たちは病気にかかると、仕方なくニワトリやアヒルを絞めて、祈祷師を呼び、魔よけをしてもらうほかなかった。そして、多くの病人が助からなかった。

 村落に浄水場が建設されると聞いた村人たちは、喜びいさんで知らせあい、資金を集め、技術者の指導によって、衛生基準に照らした水源を開発し、ポンプを設置し、深い用水池をつくり、水道管を敷設した。その結果、15億円に貴州省政府と村人が出資した2500万元(当時、1元は約23円)を加え、358カ所の浄水場を建設。計画より48カ所も多く建設され、百万人あまりの住民がきれいな水を享受した。

居龍蔵博士が1902年に撮影した黄果樹瀑布(東京大学総合研究博物館・提供)

 浄水場が建設され、水道水が各家にやってきたとき、多くの村々では門を飾り、村人がドラや太鼓をたたき、爆竹を鳴らし、娘たちが祭りの服を着飾って、それはもう祭日のような喜びにわいた。

 「飲水思源」(水を飲むときは、その源を忘れない)ということわざがある。村人たちはそのとき、さまざまな形で、感激の気持ちを表した。ある浄水場には、このような対聯(めでたい対句)が貼られたという。

 「飲水工程千秋永祚 中日友好万古長青」(飲用水プロジェクトはとこしえに福をもたらし、中日友好は永遠に栄える)