【放談ざっくばらん】

 

中国人の心を語るニーチェの研究者

                                文  泉 京鹿


 

 北京市東部、外資系企業のビルの地下にあるスーパーマーケット内の書籍コーナー。ビジネスのノウハウ本から文芸書まで売れ筋だけを集め、多くが国内外の流行作家や経済人の著書、人気ドラマの原作、海外の翻訳物というラインナップに混じって、たびたび著作が並ぶ哲学者がいる。周国平氏だ。

 周国平氏は、中国社会科学院哲学研究所の研究員で、ニーチェ研究の第一人者として知られている。『尼采 在世紀的転折点上(ニーチェ 世紀の転換点)』『尼采与形而上学(ニーチェと形而上学)』等の著作や、『悲劇的誕生―尼采美学文選(悲劇の誕生―ニーチェ美学文選)』『尼采詩集(ニーチェ詩集)』等の中国語訳は、刊行当時の80年代、全国で大きな反響を呼び、後に香港で刊行された『影響中国的33本書(中国に影響を与えた33冊の本)』という本にも取り上げられた。

 60冊以上に及ぶ周氏の著作の中で、現在、ビジネスマンや若者向けの書籍コーナーに並び、多くの人々に読まれているのが、人生論ともいえる随筆集である。『人与恒久(人と恒久)』『愛与孤独(愛と孤独)』『愛情不風流(愛情は無粋)』といった普遍性を持つタイトルの本を手にする読者は、周氏が哲学研究者であることを知らない人も少なくない。2001年に刊行されたロック歌手・崔健との対談集『自由風格(フリースタイル)』も話題を呼んだ。

博士論文がベストセラーに

 上海生まれの周氏は、税務署の一般職員の父と専業主婦の母の下、ごく普通の家庭に育った。1962年、17歳で北京大学に入学。数学が得意で文学好きの周氏は、「理系の学問と文系の学問の要素を併せ持った総合的な科学の学問」として哲学を選ぶ。文化大革命の渦中にあり、6年間在籍した大学で、勉強らしい勉強をした記憶は2年間だけ。

この夏、日本語版が上梓された『ニュウニュウー18カ月で娘を喪った哲学者の至上の愛』の表紙

 卒業後は田舎の共産党の県委員会宣伝部に配属され、10年近い年月を過ごす。外から隔絶された山間の地で、孤独を慰めるのは読書だけだった。学校の図書館の管理人と仲良くなり、片っ端から文学作品や歴史書を借り漁った。宣伝部の事務所にあったマルクス・エンゲルス全集39巻、レーニン全集39巻も読破した。

 78年、中国社会科学院の哲学科研究生として北京に戻る。この年、ドイツ語の勉強も始めた。西洋の哲学を学んでいくうちに、自分にとっての哲学が、これまで国内でいわゆる哲学とされてきたものとは違うことに気づいた周氏は、ニーチェ哲学の研究に力を注ぎながら、独自の表現を模索してゆく。

 博士論文でもある『尼采 在世紀的転折点上』は、刊行後数カ月で10万部以上のベストセラーに。当時、西洋哲学を紹介する本がこれほど画期的に人々に受け入れられたのは、「ニーチェの著作を通じてニーチェを紹介しながら、自身の感じたことを素直に表現した」ことにあるのだろう、と周氏は分析する。それまで反動的思想であり、難解であると認識されていたニーチェ哲学を、人々にとって身近なものにしたこの本は、中国におけるニーチェの再評価を構築したといってもいいだろう。

普遍的真理が共感を呼ぶ

 「哲学の意義は数え切れないほどあるが、少なくとも二つの角度からとらえることができる。ひとつは、古代ギリシァから多くの哲学者たちが思考を重ねてきた、学問としての哲学。もうひとつは、人生と世界に対する問題を考える、ということだ」。哲学は我々一人一人の人間すべてに関係があるという認識のもとに、周氏は哲学を、そして自分を語る。

 ニーチェ研究とも、人生論的な随筆集とも一線を画したノンフィクション『ニュウニュウ  一個父親的札記』という本がある。悪性腫瘍で幼い娘を喪った父親の苦悩と愛情が綴られたこの傑作は、『中国婦女報』連載当初から全国で大反響呼び、96年に刊行されてから現在でもロングセラーを続けている。未熟ながら私が翻訳の大任を授かり、毛丹青氏の監訳のもと、『ニュウニュウ―18カ月で娘を喪った哲学者の至上の愛』(PHP研究所刊)と題して、この夏、日本語版が上梓された。

 毛丹青氏は、この本が受け入れられた背景に中国人の意識の変化を指摘し、「イデオロギーを超え、国境を超えている」と評価する。周氏の著作の世界には、中国語はおろか、中国の政治、経済をまともに勉強したことがないままに北京に留学し、この国の懐で仕事をするようになった私にも非常に理解しやすい、中国の人々が共感する普遍的真理がある。

 周氏との出会い、周氏の著作との出会いを通じて、中国の人々が抱いている喜びや苦悩、希望や不安、人生を追求する強い力を、あらためてここに垣間見た気がした。それは中国の人々との交流や経験による私自身の実感を裏付け、今後もこの国の人々とさまざまな形で関わってゆくことの意義に、ある種の確信を与えてくれるものでもあった。

自分のために書く

 素顔の周氏は、明るく美しい妻と、元気で可愛い娘との家庭生活を何よりも大切にする良き夫、良き父親である。

 「今、彼女は私の父親として愛情の全てを独占している。なぜなら、今この時、彼女こそが私の唯一の子供であり、この世のすべてなのだから。あの頃、ニュウニュウが私の唯一の子供であり、すべてであったのと同じように」

 「ニュウニュウ」を亡くし、その母親である妻と別れ、数年後再婚し、再び娘の父親となった周氏が2000年に新たに刊行された『ニュウニュウ』珍蔵版の序文(日本語版では割愛)に記した一節だ。多くの読者を獲得したロングセラーを生み出した筆者である前に、一人の父親である周氏の言葉がそこにある。

 「私はいつでも自分のために書く。読者が受け入れてくれるかどうかということは、あくまでも副産物にすぎない。けれどその副産物が非常に豊富であることを、私は非常に嬉しく思っている」。自分のために書いた十数年前の随筆、そして12年前の父親としての体験は、現在に至っても時代遅れの印象を与えない。周氏の著書も、自身の読書傾向も「一過性のファーストフード」とは異質なものだ。

 哲学関連書籍のほか、国内外の古典や名作など膨大な蔵書の並ぶ周氏の本棚には、少なからぬ日本文学の翻訳も目に付く。芥川龍之介、川端康成、三島由紀夫、安部公房、大江健三郎らの作品に、日本人の、生命や人生に対する繊細な感覚や独特な理解を知ったという周氏の、日本の文学への評価は高い。

 『ニュウニュウ』を除き、周氏の著作で日本語に翻訳されたものは、これまでところ皆無である。周氏の展開する人生論のそれが日本人にとって必ずしも新しいものばかりとは限らないが、多くの中国人が求める彼の著作は、中国人が何を感じ、何に悩み、何を求めているのか、流行やビジネスの外でその人生観を見つめるには、地味ながら格好の書であると思われる。若干大雑把すぎるなぞらえ方かもしれないが、あえて言うならば、日本における五木寛之さんのような存在というところであろうか。

 今後の周氏の一つの目標は、小説の執筆だという。文学や哲学の豊富な知識、そして自由な感性を持つ周氏が、どんな世界を見せてくれるのか。「その時は是非、また私に翻訳させて下さい」と早々にお願いした私は、遠くない将来、また多くの中国人をうならせるであろう名作を、心待ちにしている。