特集 (その3)
バーチャルのヒーロー目指す

韓国で開かれたWCGCの大会で、韓国チームと記念撮影する陳迪君(左か三人目)(陳迪君提供)
陳迪君 21歳 北京理工大学学生

 2003年6月25日午前11時、陳君は約束通り、北京・西直門外にあるケンタッキーフライドチキンの店にやってきて、数人の「昔馴染み」と顔を合わせた。「昔馴染み」と言っても、実際に顔を合わせるのはこれが初めてだった。実は彼らはネットで知り合った友人たちなのだ。

 この日の集まりは、FIFA(国際サッカー連盟)公認のサッカーゲームの基本的なハードとソフトの共同開発を検討するためのものだった。陳君にとってゲームソフトの開発は初めてだが、FIFAのサッカーゲームでは長い間遊んできた。

 現在、彼は、韓国で開かれた2002年世界電子競技ゲーム大会(WCGC)の中国区のFIFAサッカーゲームのチャンピオンである。彼の言葉を借りれば、彼はサッカーゲームの「半プロの選手」だという。

FIFAサッカーゲームに向かうと、彼はすぐに「戦闘状態」になる

 中国では、コンピューターゲームの選手という職業は、正確に言えばまだ存在していない。しかし中国におけるコンピューターゲームの不断の発展につれて、多くの若い人たちが、ますますこれに熱中している。中でもFIFAサッカーゲームやカウンターストライク(CS)などの技を競う一部のゲームは、毎年、大小のコンテストが開催され、ゲームのファンたちが争ってこれに参加する。陳君は、こうした若者の中で、才能が抜きん出ている。

 小さいころ、陳君は賢く、良い子であった。何をしてもいつも大人を安心させた。両親は彼に、バイオリンや水泳を習わせるなど多元的な教育を施した。陳君の幼年時代の生活は豊かで多彩だった。

 彼は8歳の時から電子ゲームで遊び始めた。その後、FIFAのサッカーゲームに行きついてから、彼の生活は変化を始めた。1998年、陳君は自分の「チャンピオンシップ・マネージャー」というゲームソフトを友人の「FIFA98」というゲームソフトと交換した。彼はこのゲームに夢中になった。

陳君(中央)はネット友だちと「創業」について相談している

 あるとき、ネットを通じて、このゲームの名手と知り合った。彼は北京工業大学の4年生だった。

 いかにしてこのゲームで遊ぶか、その秘訣を教えてもらおうと、陳君は毎日3、4時間も、彼とネット上で競技をした。それが終わると、さらに電話をかけて彼と交流した。このようにFIFAのゲームに夢中になったおかげで、陳君は毎月千元以上もの電話代を使った。そして彼のFIFAゲームの水準は、次第にネットゲームの名手たちの間で認められるようになった。

 2000年から、陳君はWCGCの中国区の選抜コンテストに参加し始めた。最初に対戦した相手は、強敵だった。試合は三回戦って二回勝った者の勝利となる。

 第一試合は2対8と陳君はすぐ遅れをとってしまった。彼はボーッとなってしまった。初めて大きな試合に参加したため、精神的に大変不安定だった。こんなに大差をつけられたので、陳君は簡単に試合を放棄しようと思った。

まだ若いが、石磊さんは洋装店の経営者だ。

  第一試合の勝負が瞬く間に決まってしまったため、陳君は「今度はがんばろう」と思い直した。彼は思い切って戦い、第二試合にはすぐに勝って、スコアをイーブンに引き戻した。第三試合で陳君は、一ゴールの差で勝利を勝ちとった。

 「このように、ゲームで遊んでいるときに、一種の自由で起伏に富んだ気分になる。ゲームの中で、忍耐と頑張りを私は学んだ」と陳君は言う。

 試合に参加するために、陳君はほとんど毎日、コンピューターの前に座って数時間、練習する。試合の前には、昼夜兼行で練習する。おもしろくなくなると、彼はちょっと映画を見てリラックスする。

 「競技のゲームはスポーツの試合と同じように、全身全霊を投入しなければなりません。私たちはスポーツ選手です。だから試合の時には良いコンディションを保たなければならないのです」と彼は言う。

 こうした彼を、母親は大いに支持している。「現在、息子は多面的に発展しようとしています。彼がしたいことをさせようではありませんか。私たちはそれを妨げてはなりません」と彼女は言う。

 2002年、陳君はWCGCの中国区のチャンピオンとなり、中国の代表として韓国に行き、試合に参加した。そこで陳君は韓国の多くのゲームの名選手と知り合い、良き友人となった。

若者たちは、心の中の偶像であるサッカーのスター選手を一目見たいと集まる(撮影・馮進)

 また彼は、コンピューターゲームの雑誌にコラムを書き始め、FIFAゲームを遊ぶためのテクニックを紹介している。このように陳君の生活は次第に豊かなものになってきている。

 ゲーム産業と深くかかわるにつれて、陳君は、コンピューターゲームが単なる娯楽ではなくなり、事業として行うことができるのではないかと感じるようになった。「中国のコンピューターゲームをする人たちは、全体的水準がすでに高くなり、世界のほかの国々と差がなくなっている。しかし、韓国や日本では、ゲームはすでに経済の大きな産業になっているのに、中国のゲームの置かれた環境は大いに劣っている」と彼は言う。

 こうした陳君の考え方に、多くの友人が共鳴している。一部の友人は、Eメールで、陳君と共同で事業を創業しようと誘ってきている。「ゲーム産業には、若く、創造力のある人が必要です。自分の好きな業界に身を投じることができれば、私は大変楽しい」と陳君は言うのである。