[特別寄稿]

二つの国の中学で学んで
                         王邸ゲツ 北京の高校一年生
冀老師(右)と筆者の王邸ゲツさん。王さんは北京教育学院付属高校に合格しました。

 私も受験を終えて、ついに中学校を卒業しました。中国と日本――この二つの国の中学校で、各一年半ずつ過ごしたこの最高の経験は、永遠にすばらしい思い出になることでしょう。とくに中国に帰ってきたばかりで何もできなかった私を助けてくださった先生と友達の優しさは忘れることができません。

 私は中二の一学期の終わりに帰国しました。両親は日本へ留学に行き、生活が安定してから、私も5歳の時に日本に渡りました。十四歳までの九年間は日本で暮らしました。

 小さいころから陽気だった私も、大きくなるにつれて、いつかは母国に戻ることを感じていました。私は日本人ではないから日本にずっといることはありえません。そしてついに中二の夏、中国に戻りました。中国では九月が新学期なので、私は九月にまた新しく中二になりました。

 初めのころ、私は自分の国の言葉をしゃべることさえ困難でした。日本での九年間は、あまり中国語を使わなかったからです。毎年の夏休みと冬休みには帰国しましたが、親戚とはあまり中国語をしゃべりませんでした。もちろん自分の両親以外は、誰も日本語ができないので、いつも笑ったり、うなずいたりしただけでした。両親といっしょの時も、日本語を中心にした会話ばかりでした。

 でもこんな私に、中国の先生がたは暖かい手を差し伸ばしてくれました。もちろん、友達も進んで助けてくれました。私は初めて教室に入った時、たくさんの友達が私を囲んで「分からない時は、私に電話してね」と言ってくれました。また多くの友達がいつもそばにいてくれました。私はそれを、昨日起きたことのように覚えています。

 私は数学がとくに苦手でした。中国に帰ったのがけっして原因ではなく、実は日本にいた時も苦手だったのです。母は、数学はいちばん中国語が少ないから、いちばん早く進歩するだろうと言いました。私もそう信じていたので、最初は毎日、貴重な時間を数学の勉強に使いました。

 母が言った通り、数学はどんどん進歩しました。私はそのことがとても嬉しくて嬉しくて仕方がありませんでした。

 でもまもなくその小さな嬉しさは消えてしまいました。私は友達の計算の速さと成熟度に驚かされたのです。それに気付いたのは、ある日の数学の授業で行われた計算の小テストの時でした。

 授業が始まる前まであんなににぎやかだった教室も、急に静かになりました。友だちの表情は真剣そのものでした。この難しい計算問題の小テストを前にして私は、どこからも手を付けることができず、ただぼうっとして、問題を見つめていただけでした。取り残された気がして、不安でいっぱいになりました。それでも「少しでもやろう」と、もう一回ペンを手に取って、少し計算し始めました。が、すぐに提出の時間が来てしまいました。

 友だちはみんな満足した顔をしていました。「簡単だったね」という声もあちらこちらから聞こえてきました。その時、私はどうしても自分の感情を抑えることができず、気がついたら涙でいっぱいになっていました。

 私、悔しい……。どうして私には他の友達のような、コンピューターのような頭脳がないの?

 冀老師(先生)はそんな私に気がついて、昼休みにこっそり私を職員室に呼びました。そして、いろいろ励ましてくれました。そのとき、私は初めて、友だちは私より何倍も、毎日努力して勉強していることを知りました。私は、あんな少しの努力で満足していた今までの自分に腹が立って、情けなく思い、また後悔の涙が出てきました。

 「大丈夫。将来はきっとあなたが一番よ!」。冀先生が言われたこの言葉を、勇気が出るおまじないにして、私は再び机と新しい自分に向かいました。時にはまた涙が出ることもありましたが、それでも一歩ずつ、前に向かって歩き出す決心をしました。

 継続は力なり。ある日の分数の授業で、冀先生は黒板に五つの計算問題を書きました。5人の生徒が前に出て、みんなの前で計算するのです。冀先生は5人の生徒を一人ずつ指名しました。そして思ってもみなかったことに、最後の問題は、私が計算することになったのです。

 「できなかったらどうしよう。間違ったらどうしよう……」。そんな私に、冀先生は微笑むだけでした。とうとう自分に挑戦すべき時が来たのです。

 私は大きな深呼吸をして、チョークを手に計算をし始めました。一歩一歩、慎重に……。私はその時、みんなの視線を感じました。

 計算し終わると同時に、私は冀先生の顔を見ました。せめて「計算が合っている」とこっそり言ってくれないかな、と思いました。でも冀先生は何も言いません。ただ微笑んでいるだけでした。

 「計算は合っているよ」と、前列に座っていた男の子が私に言いました。私は「本当? ありがとう」と答えました。その時です。みんなが私に向かって拍手をし始めました。そしてその拍手の音はだんだん大きくなりました。拍手してくれた人の中に冀先生もいました。

 私はその時、自分がみんなの励ましに包まれていることを知りました。そしてまた、あまりにも嬉しすぎて、今度は温かい涙を流しました。

 みんなの助けがなかったら、みんなの優しさがなかったら、いまの自分はなかったと思います。やさしさって本当に素敵ですね!

 残念ながら、高中(高校)受験の数学は、満足できる点数ではありませんでした。大好きな冀先生やみんなの期待に応えることはできませんでした。でも、両親や先生、友達は、そんな私を慰めてくれました。

 「あなたにしたらいい点数だよ」と言うのです。それは確かです。確かだけれど、私もっともっといい点数を取りたかったんです。

 でも嬉しいことは、みんなが私に期待をしてくれていることです。それが私の一番の慰めであり、一番の自慢でもあります。

 これからも、たまにはまた、つまづくことがあるかもしれませんが、一歩ずつ進んで行きます。大きく、強く、前へ。