文 坪井信人  写真 劉世昭 魯忠民 楊振生

 9月20日午後、北京の中国外文出版発行事業局(中国外文局)の多目的ホールにて、『人民中国』創刊と日本での発行50周年シンポジウムが開かれ、同日夜には北京新世紀飯店にて、祝賀レセプションが開催された。このイベントは、6月に開催が予定されていたが、SARSの影響で延期となっていた。7月12日に、東京で開かれた『人民中国』創刊50周年記念シンポジウム「日本の中の中国」(日中友好協会、東方書店などシンポジウム実行委員会主催)に出席した一部の方々も駆けつけ、50年を振り返る貴重な意見交換が行われ、未来に向けての再出発の日となった。

 シンポジウムには、『人民中国』の編集・翻訳担当、管轄機関である中国外文局の幹部、発行所の東方書店をはじめとした日本の協力会社の幹部、執筆者、日本各地の友好団体や読者会の会員など、約50人が参加し、3時間に及ぶ意見交換を行った。

 『人民中国』社長の沈文玉は冒頭、「輝かしい過去はすでに歴史になった」と前置きした上で、未来に向けて、貴重な意見を伺いたいとあいさつし、発売元の中国国際図書貿易総公司・張泰鳳副総経理は、「発行部数が10万部に達したら素晴らしい」と夢を語り、参加者からは大きな拍手が起きた。司会を務めた『人民中国』副社長の王衆一は、「本当の草の根交流が必要なのはこれから」と基調講演を行い、緊迫した空気の中でシンポジウムが始まった。

『人民中国』の知名度向上のために

 最初に発言したのは、中日双方のメディア関係者で組織された長久会の西垣内義則さんで、体裁や内容について、「2年間でだいぶ改善された」と、『人民中国』が変わり続けていることへの喜びを語った。同会は2001年6月、訪日した『人民中国』社長・沈文玉と副社長・王衆一の求めに応じて懇談し、「目次を見やすくしてほしい」「若者向けの内容を増やしてほしい」など、数多くの改善案を提出していた。西垣内さんは、「読者の力で雑誌は変わる。沈黙すべきではない」と述べた。

 『人民中国』の広告代理である中国広告社の寺田亘利社長は、「どんなに美しい女性も、部屋に閉じこもっていては、誰もその美しさに気づかない」と、『人民中国』が日本での広報活動を怠っていると指摘。日本のメディアで広告を打つなどの積極的な戦略の必要性を提案した。

 一方、「改革・開放」後の1978年、日本人初の『人民中国』編集委員となった村山孚さんは、「宣伝予算がないのなら、日本メディアに話題を提供することが大切。(2002年9月号の)田中・毛会談の裏話は新鮮だった」と、魅力的な記事を日本メディアに転載してもらうことの重要性を主張した。同記事は、朝日新聞と読売新聞に抜粋され、「新事実」として紹介された経緯がある。

若者の心をいかにつかむか

 中国書籍懇話会を代表して発言した内山書店の内山籬社長は、読者のターゲットが定まっていないことを指摘。「若者に読んでもらいたいのなら、政府活動報告を差し込んだり、大慶油田の特集(今年10月号)を組むことはふさわしくない」と語り、「新しい協力関係を築くためにも、10万部に達する内容が必要」と述べた。

 東方書店の朝浩之取締役は、若い世代に読者を広げる必要性を強調しつつも、すべての内容を若者向けにするのではなく、中日議員連盟や友好都市、友好団体のような「基層読者」を満足させた上で、読者を広げていくことが重要と続けた。

 中国中央テレビ4チャンネル(CCTV4)を日本で放送して5年になるCCTV大富の張煥錏編成部長は、「我々は、日本人が欲しているモノを察して内容を変えた。『人民中国』は読者との距離が遠い」と意見を述べた。一方、CCTVのディレクター・李暁山さんは、「シンポジウムを見る限り、読者との距離は感じない。求められているのは、作り手の態度」と述べ、作り手がいかにターゲットを特定するかが重要だと話した。

 CCTV大富では10月以降、『人民中国』のCMが放映されている。

 この他にも、横浜市立大学の矢吹晋教授をはじめ、『週刊中国語世界』などの発行元である日中通信社の張一帆社長、読者代表や各地の友好団体の関係者が、今後の『人民中国』への期待の言葉を述べ、シンポジウムは予定を30分ほどオーバーして終了した。

親交ふかめた祝賀レセプション

 場所を移して行われた祝賀レセプションには、中国内外から、約260人が出席。中国対外出版グループ総裁で中国外文局局長の蔡名照氏が、「『人民中国』は必ずや、今後さらに良い業績をあげ、さらに多くの読者を獲得し、さらに多くの友人と親交を結び、中日友好のために、さらに大きく貢献すると確信している」とあいさつしたのをはじめ、駐中国日本国大使館の原田親仁首席公使、日中友好協会の鈴木重郎副会長、東方書店の山田真史社長から祝辞をいただき、国務院新聞弁公室の趙啓正主任による乾杯で、懇親会がスタートした。

 懇親会では、美食に舌鼓を打ちつつ、『人民中国』関係者と出席者が交流を深め、途中、『人民中国』の発展に貢献のあった方々への表彰、読者有志によるスピーチ、各界から届いた祝電の披露などが行われた。

年齢を忘れてステージに、ジャンプ

 数え切れない方々に支えられ、いまの『人民中国』がある。レセプションでは、長年、『人民中国』の普及に協力している方々をはじめ、若者の視点で『人民中国』に記事や写真を寄せている日中双方の学者、ライター、カメラマンなどの中から、特に50人の功労者に対して、華表(中国のシンボルとされる宮殿前に立つ石柱)をかたどったトロフィーと表彰状を進呈し、感謝の意を表した。功労者本人に表彰の事前予告を行わなかったため、ある年配の読者が、喜びのあまり、階段を使わずにステージに飛び乗る一幕もあり、会場には驚きのどよめきがもれた。

 表彰式後に壇上にのぼり、『人民中国』への思いを語った神宮寺敬さんは、夫婦そろって1960年代から購読を続けている長年の読者。かつて、周恩来総理から招待を受けたエピソードなどを披露した。神宮寺さんは、『人民中国』副社長の王衆一とともに、シンポジウムとレセプションの司会を務めた北京放送アナウンサーの王小燕さんが、日本で研修を受けた際にホストファミリーとなった方である。

 『人民中国』に掲載された流坑村の写真に魅せられ、同地での写真撮影を始めた高橋亜彌子さんは昨年、神奈川県横須賀市に『人民中国』読者会を作り、12人で北京にやってきた。高橋さんがよく通る声でレセプションに参加した喜びを語った後、同読者会とともに北京に来たシンガーソングライターの岡田輪学さんが、ギター片手に壇上に上がり、自作の曲を披露、『人民中国』の新しい門出に華を添えた。思い思いに歓談していた出席者たちも、この時ばかりはステージに耳を傾け力強い歌声に聞き入った。

 

9月20日夕方、創刊50周年を祝うレセプションは北京新世紀ホテルで盛大に行われた
9月20日、『人民中国』創刊50周年シンポジウムが北京で開催された








発言する中国中央テレビ4チャンネルの李暁山ディレクター
発言する長久会の西垣内義則さん
発言する東方書店の朝浩之取締役
広告代理として発言する中国広告社の寺田亘利社長











祝辞を述べる中国外文出版発行事業局の蔡名照局長
祝賀レセプションであいさつする『人民中国』社長沈文玉










本誌のかつての編集顧問である村山孚さんに功労賞を贈呈。贈呈者は国務院新聞弁公室の趙啓正主任
一部の受賞者と来賓
神奈川県横須賀市から訪中したシンガーソングライター・レセプション会場のムードを盛り上げた



『人民中国』の発展と普及に貢献した50名の功労者(順不同、敬称略)

  三好 敏 久保精助 大野邦弘 大塚道子 小林 泰  
  小路広史 山田真史 中川健造 丹藤佳紀 内山 籬  
  内藤 清 毛 丹青 片岡和男 平井輝章 白鳥良香  
  石川英子 寺田亘利 西野長治 佐渡多真子 李 順然  
  村上司郎 村山 孚 村松 伸 阿久津国秀 阿野 篤  
  和田武司 林 謙三 金田直次郎 神宮寺敬 原口純子  
  宮家邦彦 酒井 誠 高橋亜彌子 高橋香愁 斎藤和弘  
  黒崎 保 勝田 弘 彭 飛 朝 浩之 棚橋篁峰  
  湯田美代子 須藤美華 馮 昭奎 福島正和 キン飛  
  劉 継忠 横山芳男 鮑 栄振 韓 美津 藤巻啓森  
 
祝賀レセプションの席上、表彰式を行いました。功労者は、愛読者、発行者、執筆者、広告代理など、各方面の協力者の中から、全体のバランスを考えて選出しました。