聞き手・本誌編集長 王衆一 構 成・原口純子

 神戸在住の作家・毛丹青氏は、中日両国の文壇を舞台に、二カ国語で創作、という独自の在り方が、注目を浴びている。1987年来日、商社勤務などを経て、98年、日本語のエッセイ集『にっぽん虫の眼紀行』でデビュー。今年春には、氏の作品が、日本の大学入試問題に採用され、非母国語者による日本語の文章が出題された稀有な例として、話題を呼んだ。あたかも水陸両棲のカエルのように、二つの言語世界を軽々と往来する毛丹青氏に、「言葉」をテーマに、中日両国への思いを語ってもらった。

王衆一 毛丹青氏

  毛さんの文章が、今年、北海道大学、立命館大学など複数の大学の国語の試験に使われたということで、どんな感想を持たれましたか?

  日本語で文章を書く者としては、いくつか評価の基準があると思っています。一つは、本がどのくらい売れたか、これは文章が広く受け入れられていることになるでしょう。二番目は、何かの文学賞ですね。そして三番目が国語の入試問題ではないか。国語の入試問題は、各大学が教授会などを開いて、非常にきびしい審査を経て決定するもので、どの文章を使うのか、かなりの論議があったことは、間違いないですね。そういう意味では、文学賞をもらった以上の(編集部注・『にっぽん虫の眼紀行』が第 回神戸ブルーメール文学賞受賞)嬉しさだったですね。

  中国の大学入試問題で、外国人が中国語で直接書いた文章が使われた例は、まだ聞いたことがありません。

  詳しく調べたわけではありませんが、関係者の話では、日本でも、非母国語者が書いた日本語が採用されたのは、非常に珍しい例のようです。文化庁の、ある関係者が、日本語も国際化しつつある、と語っていたのを思い出しました。日本にも、たくさんの外国人が住み、日本語自体が変化しつつあります。私の本の解説を書いて下さった柳田邦男先生が、このような文章が、いまの時代に生まれたのは、当たり前である、と。ただ、2、30年前には、このような現象は起きていなかった。日本は不景気で人に元気がなくなっている一方、この5年間ほど日本語が大きなブームになっている。書店に行くと必ず「日本語コーナー」があるくらいですからね。日本語がどのように発展していくのか、という点で、私たち非母国語者の日本語に注目が集まっているのではと思います。私がデビューしたのは、九八年なんですが、ちょうど同時期、非母国語者の作家たちが何人か出てきています。バブルがはじけた90年代後半から、逆に発展してきたわけなのです。

出題の背後に危機感

  毛さんが創作を始めた九〇年代後半は、日本の思想に保守化の傾向が見られるようになったように感じますが、日本語に関しては多様性が受け入れられている。相反する現象のように思えます。

  私から見れば、日本の経済がダメになっていく10年間は、文化とすれば、非常に成熟しつつある。進化していく日本語を積極的に受け入れようという社会的な風潮が起きているわけでね。イデオロギーが保守化する一方で、日本語に関しては、少なくとも2、30年前と比較すると、いい文章ならどんどん評価していこうと、変わっている。

  文化の面では、非常にオープンになったということですね。

  もう一つ、あえていうと、日本語への危機感があると思う。これから未来の大学生になろうという大勢の人たちが、国語入試問題を広げた時に、なんだこれは、日本人ではなく、中国人が書いた日本語じゃないか……そんなことを思わせた教授会の狙いには、明らかに、いまの日本語の閉塞感に対する危機意識があると思います。そうじゃないと、こんな文章を選ぶはずがないです。こんな異色の人間が作った日本語を今度は標準にしなさい、と、なぜ言うのか。これはいまの時代の一つの象徴だと思います。

  つまり、一部の有識者の、いまの日本語に関する危機感から来たものだと。

  そう思いますね。これには今後の大きな流れが現れていると思います。

日本語の風景

  それにしても、毛さんが日本語の世界で創造しているのが、中国で暮らす私たちにとっては、不思議に思えます。

  私はよく「日本語の風景」という言葉を使います。日本語のなかには、漢字とカタカナと平仮名があるでしょう。カタカナと平仮名というのは、漢字を薄めた形になっているわけですね。漢字ばかりを並べていくと、非常に重圧感があるわけです。例えば、日本の方が中国語の文章を読むと、非常に疲れます、と。なぜ疲れるかというと、要するにメリハリ、リズム感がないからなんです。私から見ると、漢字というのは脂のように、非常に濃いわけなんです。ところが日本語は水のように、時には激しく、時には静かに、動かせる要素があるわけなんですね。僕には秘策があって、原稿を書いて、校正刷りが出ると、自分の目から3メートルくらい先に並べてみる。漢字とカタカナと平仮名が一つの模様みたいに見える。漢字だけだと、そうは見えないですよ。一つの塊りに見えてしまう。私がなぜ、「日本語の風景」という言葉を使っているかといえば、カタカナ、平仮名が「海」だとすると、漢字は「舟」なんですね。海のなかに漢字が小舟のように、動かせるように浮かんでいる。その時、薄めようと思ったら、漢字をやめて、平仮名にしてしまう。意味とか、文法とかいうのは二の次で、まず、遊んでみよう、というのが秘策なんです。

  多くの人にとって、外国語は勉強を通しての知識の集積になりますが、毛さんにとって日本語は、自分の感性を生かして、表現の世界を広げていくものなんですね。

  目で文章を書け、といつも自分に言い聞かせているんです。あまり頭脳的に「てにをは」とか何とか考えすぎると、感性というものが、つぶれてしまうんですよ。だから五感で日本語を動かす。五感で書く……。もちろん、編集者とやりとりして、時にはケンカになったりしますよ。例えば、文法的に「は」を使うべき時に、「が」を使う。僕は、「は」のほうが、「が」より占める面積が大きい、それだけで理由になるんです、そう使って下さい、という。ある人物なり、風景なりを眺めて浮かぶ一瞬のイメージ、それをどう表現するかは自由なんですが、そのイメージこそが大事なんですね。あまり理屈に頼らずに、いわゆる固くならないように、感性を大事に、言葉を操っていくのが、ある種、自分のポリシーだと思います。

   

侵入する日本語

  では、母国語の中国語に関しては同じような感覚がありますか。

  私の中国語の文章は、友人たちに水っぽい、と言われますよ。中国語本来の、奥地に流れていくような重さがない。私のこのような考え方は、日本語にはあうけれど、逆に中国語にはあわないのではないかと、実は最近、危惧さえ感じているところです。私の中国語は、かなり日本語に侵入されてしまってますね。

  日本語の考え方が毛さんの頭を侵入したというのは、これは大げさに言いますと、文化の融合ということではないでしょうか。たぶん、こうしたことは、中国の歴史上に、たびたび起きたことだと思います。例えば、いま私たちが使い慣れている北方の方言、いわゆるマンダリンというのは、日本語の格助詞にあたる介詞というのが豊かにあるんですが、南方の言葉には、ほとんど無いですよね。これは騎馬民族が侵入した結果の文化融合がもたらした言葉の変化と言われています。

  まったくその通りですね。ただ、一つ違うのは、あの時代の言葉の融合は、会話の上で長い時間の流れのなかで起きたことで、私の場合は「書く」という作業で起きていますから、もっと何倍も凝縮され、しかも瞬間的に感じている。二つの言葉を操って書くというのは、大変な苦痛です。例えば、あるイメージがあったとき、日本語と中国語による奪い合いが起きちゃうんですね。これは早い者勝ちのようなもので、中国語で先にとらえてしまったものを、日本語に直そうと思うと、もう、あれやこれや、かかる。でも、日本語で先に考えてしまうと、これは、気持ちがいいわけ。

言葉のテロリズム

  例えば、中国語の単語をそのまま日本語に持ち込んだことは、ありますか。

  ありますよ。例えば「敬仰」という中国語の単語があります。「敬」と「仰」は、それぞれ辞書にあるんですが、「敬仰」は、ないんです。そこで、そのまま貼り付けるんです。なぜかというと、二つの単発の漢字は、日本の方には分かるから、それをくっつけても、文字として成立するはずなんです。こういった例は、たくさんあるんです。日本の『広辞苑』なんかに載っていない漢字をむりやりくっつけて、いわゆる造語をするんですね。

  今回の大学入試にも、そういう言葉があったのでしょうか。

  正確に調べたわけではないですが、ないと思う。ただ、文章を作るには、中国人としての一つの理論があるんですね。例えば今回、立命館大学に使われていた「日本語を見つめたその瞬間」という文章があるんですが、これは一つの省略もない、完全な一本の文章で使われたんですよ。この文章を書いた時、一つの現象を説明するのに、「並列」で書いたんですね。最初の一段落、次、そして、最後。言っていることは、みな同じ事を言っているんです。これは、最初から同じ事を三回言おうと思って作っている。これは文章を作った時に、そういうロジックが働いていたわけなんです。こういう感性、文章の組み立て、筋立てというのは、日本語に影響されるものではないと思う。

  毛さんの頭のなかは、中国人のロジックなんですね。

  そういえば、誰かが私の日本語のことを「中国人的論理 日本人的情緒」と言っていた。

  中国人の理、日本人の情、ということですね。

  100%日本語ではない部分があるんですよ、自分の感性としてはね。これは、文庫の解説をして下さった柳田邦男先生なんかが、それを見破っているんです。よく「君、日本語うまいね」とか「日本人のようだね」といわれるけれど、違うんだよ(笑)。日本人みたいに上手く書けないから面白いんだ(笑)。日本人みたいに文章書いたら、それは二束三文で、面白くない。日本人が書けなかった、または思いつけなかったことを書くから、面白いんですよ。

  毛さんが書く日本語の試みは、こうしてみると確信犯的な、悪戯のような快感があるのではないですか?

  中国語でいえば「玩」ですね。私の日本語は逆出産になるわけ(笑)。いわゆる人生経験のある大人が、どうやって子どものように表現するか。これこそ言葉の遊びだと思いますよ。

  つまり創造の面白さですね。

  例えば「詩」という表現形式があります。詩は、まったく革新的なイメージを、どのように破壊的な言葉によって作っていくのか、これが使命ですね。私は、日本語で日本人を、特に旅を書いています。ストーリーというものがない、旅というものを表現をしようとしている。このような表現、描写というのは、これまでになかったものを考えなければならない。それが私の使命だと思っています。その時、イメージがどこから来るかというと、中国語の世界なんですよ。例えば、「鶏毛蒜皮」。ニワトリの毛とニンニクの皮。誰も気にかけもしない、下らない細かいこと、という意味ですが、日本人なら絶対にしない表現です。でも、中国では、庶民の誰もが普通に使う言葉です。それを、ワザと日本語のなかに叩き込む。それが日本語の詩になって、ああ、面白いね、といわれる。詩というのは、一つのテロだと思うわけなんです。

二つの言語の海を泳ぐ

  昨年、本誌11月号の特集「『文化越境』する新中国人」で毛さんのことを取り上げた時、読者から大きな反響があったのですが、これからも毛さんの日本語の試みは続くのでしょうか。今後の例えば長編を書かれる予定などは?

  長編を書く予定は、いまのところないです。なぜかというと短いエッセイが私の実験台、手術台なんです。短い美しい文章を作るために、エッセイ集を出し続けたいと思う。私のような人間が、日本語という一つの舞台で活躍するチャンスを得たというのは日中関係、いまの時代の良さだと思うんですよ。日中関係がいまだ良くならない、と絶望する人がいますが、文化的に奥深いところで変化が起きつつあるんですよ。私のような人間がこの2、3年の間にぞろぞろ出て来ると思いますよ。中国人が自信を持って日本語で表現する、メジャー社会に認めてもらう、表現そのものを日本社会に広げていく……。これは、日中関係が良くなっている証拠だと思いますよ。あまり気づかれていない、という残念さが多少ありますが。

  毛さんは、かつて中国の作家、莫言に、日本語の海を泳ぐ魚、と例えられましたが、こうみると、カエルと呼んだほうがいいのではないですか(笑)。両世界を行き来して。

  カエルの表現は非常にいいと思いますよ。二つの世界を潜って、跳ねてね(笑)。今後は日本語と同時に、中国語の世界でも、一つの文体を創造したいと思っているんです。  (2003年8月7日北京友誼賓館貴賓楼にて、本対談は日本語で行われた)