いま、ブームだからこそ

                  
 
   四年半にわたり、「漢詩望郷」を連載させていただき、多くの読者からご支持をいただきましたことに厚く御礼申し上げます。

 今回から「中国茶文化の素顔」を連載させていただくことになりました。読者の皆様に、中国文化に対する新しいお話しができることを楽しみにしています。

 中国茶が中国でも日本でもブームを迎えています。ブームというものは独特の雰囲気を持っていて、これまで見向きもされなかったものが突然人々の話題に上り注目を集めることがあります。それはまた、大変おもしろいことで新たな発見があるのです。

 しかし、中国茶は広大な地域に住む中華民族が数千年にわたって培った文化の集大成ということが出来ると思うのです。ですから茶文化の様々な側面から俯瞰的に眺めてみる必要があると思います。そんな素顔を見ながら茶文化に現れた詩歌を読んで、中国茶に親しんでもらいたいと思っています。
 

 

中国茶文化の始まり

蒙頂甘露の皇茶園

 茶樹は六、七千年前から存在していたらしいのですが、最初にお茶を飲んだのは、一般的に神農氏であるといわれています。もちろん神農氏は伝説上の人物ですから本当のことはわかりません。だいたい、五千年ぐらい前のことでした。

 『神農本草経』には、「神農が百種類の草を食べて、七十二種の毒に冒されたが、茶葉で救われた」と書かれていて、最初は薬としてお茶を飲んでいたようです。さらにお茶は食用としていたこともわかっています。

 現在も西南地域では、茶葉と米でお粥を作り、木の若葉を茶と同じように煎じて飲む習慣を持つ少数民族がいます。

 約三千年前から四川省ではすでに一定規模の茶葉生産を行い、しかも中央宮廷に高級茶葉を献納していたと言われています。さらに二千年ほど前、前漢の終わり頃には蒙頂甘露が植えられたという伝説もあり、やがて茶を飲む習慣は魏晋南北朝時代になると、長江の中流、下流に伝わります。

 三国時代、呉国(二二二年〜二八〇年)の皇帝孫皓は酒の代わりに茶で官吏韋曜をもてなしたと『三国志』に書かれていていますし、『南斉書』に武帝が「動物を生け贄にするのをやめて、茶等を奉納する」と書かれています。

 この頃から文人たちも茶を好み、茶は文化的な雰囲気を持ち始めます。晋代の詩人、張載の「成都楼に登る」には、「芳荼は六清を冠し、滋味は九区に播く」が五言の古詩の中に出てきます。さらに晋代の文人 m育の「 賦」という茶について詠った有名な詩歌があります。

 霊山は惟れ岳、奇産の鍾まる所。
 厥 草を生ず、谷に弥ねく崗を被う。
 豊壌を承け之は滋 潤い、
 甘霖を受け之は宵に降る。
 月は惟れ初秋、農功休むを少く。
 偶 同じく旅を結び、是れを採り是れを求む。
 水は則ち岷方に之に注ぐ、彼の清流を゙レむ。
 器を択び陶を揀べば、東甌より出ず。
 ゙ヒを以って之を酌み、式は公劉を取る。
 惟茲に初めて成る、沫は沈み華は浮く。
 煥は積雪の如く、曄きは春敷の若し。

【通釈】
 霊の宿る山岳に、素晴らしいものが出来る。

 お茶の木が生え、谷や岡に一杯だ。

 豊かな土壌で潤いのあるお茶になり、甘みのあるよい雨は宵に降る。

 月が良いのは初秋の頃、野良仕事を休むこともない。

 偶然同じ時期に旅をして、お茶を摘みお茶を飲みたいと思う。

 水は、岷江に注ぐ水、その清流の水を汲む。

 茶器を選び陶器を選べば、東甌のものが良い。

 瓢箪の容器で茶葉を汲む、その方法は周代の公劉が酒を飲む方法だった。

 そうしてお茶ははじめて出来、泡は沈み茶葉は花のように浮く。

 きらめく様は雪のように白く、輝きは春のお花畑のようだ。

 この詩歌を読むと、お茶の生産の様子や水の選び方、茶器の選び方、飲み方に至るまで描かれていて、すでにお茶を美味しく飲もうとする人々の様子が分かります。

 こうして、中国人にとってお茶は欠くことの出来ないものになったのです。(つづく)

 
中国茶文化国際検定協会会長、日中友好漢詩協会理事長、中国西北大学名誉教授。漢詩の創作、普及、日中交流に精力的な活動を続ける。