古人類の発見相次ぐ北京郊外

                                    丘桓興

 

北京原人で有名な北京の周口店で、また古人類の化石が発見された。この化石を調べた結果、2万5000年前の成人男子の個体と認定され、「田園洞人」と命名された。この近くからはかつて約2万年前の「山頂洞人」と呼ばれる古人類化石が発見されたが、行方不明になっている。「田園洞人」は「山頂洞人」とほぼ同じ時期の人類だという。さらに、さほど遠くない北京市門頭溝区でも、約1万年前の人骨が発見された。こうした相次ぐ発見は、人類進化の歴史の空白を埋める貴重な発見として、中国の古人類学研究者や考古学者の注目を集めている。

 

偶然に見つかった化石群

北京・周口店の田園洞内の発掘現場(撮影・呉寧)

 この古人類が見つかった田園洞という洞窟は、北京原人の化石が発見された周口店遺跡から南に5キロのところにある。ここを発見したのは、田園洞に近い「田園林場」という林業会社の女性マネージャーの田秀梅さんだった。

 2001年の春、この一帯は旱魃に見舞われた。このため田さんは職員を率いて、山に水源を探しに入った。そして山腹で、洞窟を発見したが、入口は一人しか入れないほど狭かった。中をのぞくと、真っ暗で何も見えない。

 しかし中に入ると、洞窟内はとても広く、約40平方メートルあり、天井まで6メートルもあった。洞窟内に堆積した土が湿っていたため、ここに水源があるかどうか確かめるため掘ることになった。

 1メートルほど掘り進んだとき、突然、だれかのスコップが石でも当たったような、「カン」という音を発した。それを掘りだして見ると、ひとかけらの骨だった。さらに掘り進めると、出てくる骨はますます多くなった。

 積み上げられた骨の山を見て田さんは「ここは周口店に近い。ひょっとすると化石かも知れない」と思った。そこで林業会社の法律顧問の董同源さんと相談し、掘り出された骨を、中国科学院の古脊椎動物古人類研究所に送って鑑定してもらった。

 じりじりしながら待つこと一カ月。これらの骨は鹿やヤマアラシなどの動物化石と鑑定されたのだった。

2万5000年前の男性の化石

田園洞内で発掘された化石を手にする考古学研究者(撮影・呉寧)

 中国科学院の古脊椎動物古人類研究所の呉新智院士(アカデミー会員)は、古人類の分野で数十年にわたり研究を積み、豊富な経験を持つ人である。彼は、田園洞でもっと重大なものが見つかるに違いないと予感した。そこで呉さんは、田園洞の緊急発掘を申請するよう提案した。

 それを受けて去年5月、中国科学院の周口店古人類研究センターは、古脊椎動物学、地質学、古人類学と旧石器時代の考古学など各分野の専門家からなる発掘チームを組織した。国家文物局の許可を得て、同号文博士の率いる発掘チームが6月16日から田園洞の発掘を始めた。

 開始後間もなく、大量の動物化石が、角礫岩や粘土層からなる原生堆積物の中から次々に掘り出された。現在までのところ、鹿やヤマアラシなど26種類の哺乳動物化石であると鑑定された。少数の化石には、黒褐色の斑点があり、これは火に焼かれた跡ではないかと思われる。

 1933年、周口店の竜骨山山頂の洞窟で、1万8000年前と言われる山頂洞人が発見された。このときにも動物化石が出土したが、田園洞で見つかった六割以上は、山頂洞でも見つかっている。しかし田園洞で見つかったアカゲザル、アナグマ、原始ジャコウジカなどは、山頂洞では出土していない。

 発掘が進むうち、ある日、白い石のかたまりが掘り出された。この石は、普通の動物の化石とは明らかに違っていた。人の手のひらの骨のように見えた。このあと、多くの、似たような化石が出てきた。

 これらは古人類の化石ではないか。発掘チームは呉院士に現場での鑑定を依頼、呉院士は一目で、これは古人類の化石に違いないと認定した。

 これまでに、以下のような古人類化石が田園洞から発掘されている。

 歯のついた下顎骨、肩甲骨、上腕骨、橈骨、胸骨、大腿骨、腓骨、脛骨、踵骨、趾骨など。

 これらはすべて、身長の160センチはある一人の男性のものである可能性が高い。歯の摩耗の状況から、この男性の年齢はかなり高いということが分かる。形態的特徴からみると、この男性は解剖学上のホモ・サピエンス(現生人類)である。また、現場には、いくつかの歯がばらばらに発見されたが、これらはたぶん別の個体のものであろう。

 考古学者はこの男性の化石を「田園洞人」と名づけた。

田園洞人の科学的価値

出土した田園洞人の化石を人体の元の位置に置くと図のようになる(北京青年報から)

 田園洞で出土されたものを、周口店遺跡の古人類や旧石器の発見と総合的に検討した結果、専門家たちは今度の発見が三つの重要な科学的価値を持つと考えている。

 第一に、田園洞人が、周口店遺跡の周辺地域で、北京原人と山頂洞人に続いて見つかった点である。世界文化遺産に登録され、国際的に有名な古人類研究の拠点である周口店遺跡に、新しい、27番目のスポットが加わった。

 第二に、放射性炭素法による初歩的な年代測定の結果、田園洞人は、山頂洞人とほぼ同時期だと推定された。しかし、山頂洞人の化石は、1941年の抗日戦争の時期に、北京原人標本とともに行方不明となってしまった。現在は石膏模型の標本が残っているだけだ。

 その後、周口店一帯で何回も調査が行われたが、山頂洞人と同時期の化石は見つからなかった。田園洞人の発見は、ちょうど山頂洞人の化石紛失による不足部分を補完するものとなった。田園洞から見つかった資料は、山頂洞人がいた時代に北京地区に人類がいたことを示す貴重な実物の証拠である。

 第三に、今から2万〜10万年前の古人類の化石は、非常に珍しく、貴重なものであることだ。人類進化のこの段階は、現代の人類(新人)、とりわけ東アジアの新人の進化にとって、重要な時期に当たり、現在の国際学術界の研究と論争の焦点となっている。田園洞遺跡と古人類化石の発見は、東アジア地域で新人の進化を研究するうえで重要な意味を持っている。また、更新世(170万年前〜1万年前)晩期の周口店や華北地域の環境を研究するうえで、重要で新しい資料を提供している。

期待される今後の発掘

 発掘はまだ始まったばかりだ。田園洞遺跡の発掘面積は、地表に露出された部分のわずか半分に過ぎない。洞窟のもっと奥に何があるのか、地層の厚さはどの程度かなど、まだ多くの面がはっきりしていない。出土した化石の数も多くはない。とくに、考古学的な情報を満載している古人類の頭蓋骨化石は、まだ見つかっていない。また、石器が出土していない。

 こうした状況から呉院士は、田園洞の発掘にはかなりの潜在的可能性があると考えている。呉院士によると、発掘の現場ではこれまでに田園洞人の頭蓋骨化石のかけらも出てこなかった。これは、頭蓋骨化石が破壊されず、洞窟内のどこかで、考古学者の発掘を待っている可能性がきわめて高いことを示しているのではないか、というのである。

東胡林人の骨は、研究のため北京大学に運ばれた(撮影・范継文)

 より多く、もっと完全な科学資料を得るために、田園洞遺跡発掘チームは、今後も、当初の計画通りに発掘を続けることになっている。とくに古人類が存在し、どのような行動をしていたかについての情報を収集することになっている。

 と同時に、土壌堆積学や環境学、年代学のサンプルを収集し、遺跡の年代、生態環境、堆積、埋蔵条件などについての分析やテストを行う。発掘チームは、最先端の考古学的な手法とハイテクを導入し、田園洞の謎を解明することにしている。

 発掘チームの隊長である同博士の話によれば、出土したすべての動植物の化石の位置はすべて図に記録される。洞窟の入り口にいるスタッフは、化石のかけらさえ見逃さないように、運び出された土を篩にかけて確認する。「一点の化石も見逃してはならない。ネズミの歯の化石でも探し出す」と言っている。

 周口店北京原人遺跡博物館には「田園洞遺跡考古発掘成果展示室」が新設された。ここに「田園洞人」の化石の複製品が展示されている。

「東胡林人」の発見

 さらに嬉しいニュースが飛び込んできた。昨年10月19日、周口店からそう遠くない門頭溝区の斎堂鎮東胡林村で、今から約1万年前の新石器時代早期の墳墓から、完全に整った人骨一体が発掘されたのである。

 この人骨は身長約1・6メートル、頭を東に向け、黄土とラテライトの土壌の中に上向きに横たわっており、「東胡林人」と名づけられた。同時に、多くの石器、陶器、骨器、装飾品や火を燃やした跡などの重要な考古学的な遺物や遺跡が発掘された。

 現在、中国の華北地方で発見された1万年前の新石器時代早期の遺跡はきわめて少ない。しかも、石器や陶器、骨器、貝器、囲炉裏、墳墓が発見されたのは、この東胡林人の遺跡しかない。こうしたことから東胡林人の発見は、山頂洞人から後の、華北の人類発展史の空白を埋めるものということができる。

 しかし、東胡林人の性別や年齢、身分、地位や、当時、人類がどのように生活し、生産に従事していたか、彼らには思想や美意識があったかどうかなどは、今後の専門家の鑑定と分析を待たねばならない。現在、東胡林人の化石と出土文物は、北京大学に運ばれ、鑑定と研究が続けられている。