名作のセリフで学ぶ中国語A
 
HERO/英雄
 

監督・張芸謀(チャン・イーモウ)
2003年・中国


  ◆あらすじ

 戦国時代、最強国秦の王は各国の刺客に命を狙われていた。ある日、秦の小役人無名が懸賞がかかった3人の刺客、長空、飛雪、残剣を成敗したと、それぞれの剣を持ってやってくる。その功績を称えて、普段は百歩までしか近づけない秦王に十歩まで近づくことを許される。

 しかし、無名が語る3人をしとめたいきさつは次々に秦王に嘘と論破され、実は無名もまた秦に両親を殺された趙国の孤児で、10年を費やして編み出した"十歩必殺"剣で秦王を殺しにやってきたのだった。その無名に「秦王を殺してはならぬ」と語ったという残剣の話を聞き、激しく動揺した秦王は自らの剣を無名に与え、命を預けるが、無名は秦王を殺さず、戦禍に苦しむ人をこれ以上増やすなと諭して死んでいく。

  ◆解説

 2003年夏、西のマトリックス、東のヒーローと鳴り物入りで宣伝された張芸謀監督の武侠映画『HERO/英雄』は予想通り、アジア各国に続いて日本でも大ヒットした。これまで、ほとんど単館上映ばかりだった中国映画が全国400館の映画館で上映され、今まで中国映画など見たことがない人まで動員した功績は大きい。「アジアの精鋭を集めて(音楽と衣装には日本人も関わっている)ハリウッド映画に殴り込みをかける」と言った監督の意気込みが報われたといえよう。

 この作品を見ると、まるで『始皇帝暗殺』の裏バージョンだな、と思う。始皇帝(秦王)の暗殺を試みた刺客の伝説は『史記』で有名な荊軻の話以外にもいろいろあるらしいが、刺客が始皇帝を暗殺できたのにしなかったとしたら、そこにはどんなストーリーがあったのだろうかという発想が面白い。秦の宮殿は『始皇帝暗殺』のために作られた浙江省横店のオープンセットをそのまま用いており、張芸謀監督の陳凱歌監督への、俺ならこう撮る、という挑戦と受け取った人もいるのではないだろうか。どちらに軍配を挙げるか人により評価は分かれるところだが、秦王の孤独な心情に共感を寄せる陳凱歌と、英雄らしい気概にネヌかれる張芸謀と、秦王の描き方が、それぞれの監督らしく興味深かった。

 重要なのは、映画にこめられた平和主義の思想である。戦争に苦しむ人々のことをお忘れなく、と秦王を諭して死んでいく無名(この名前も意味が大きい)の姿は感動的だ。撮影中には2001年9月11日のテロも起こり、監督の頭の中には現代の秦とも言うべきアメリカの存在が絶対あったはずだ。アメリカ人がこの映画を見て、どれだけその監督の思いを感じ取ってくれるかは分からないが。

  ◆見どころ

 武侠世界の映像化として、これまでにないユニークな表現が試みられた。『グリーン・デスティニー』は「内功」を極めると空も飛べるのか、とちょっと荒唐無稽な感もあったが、『HERO』で用いられた意識の中での戦いというのはとても面白かった。碁会所でのジェット・リーとドニー・イエンのモノクロのシーンのアクションだ。雨の中、琴の音を聞きながら、じっと目をつぶって相手の技を推し量る。実際、武侠小説では真の達人は戦わずして、その気迫で相手を倒すシーンが多いとか。その境地を見事に映像化したシーンだった。剣の最高境地は手にも心にも剣のない状態というのは中島敦の「名人」(これも出所は中国の伝奇小説で近代文豪魯迅にも似たような小説がある。中国にはもともとこういう考え方があるのだろう)を思い出した。

 監督が色彩の魔術師であることは、この映画でも遺憾なく発揮された。ワダエミさんが赤だけでも50数種類の赤を手作業で染め分けたという。エピソードを色分けしたのは秀逸なアイデアで、あれがなかったら観客は混乱しただろう。構成が似ていると指摘される黒澤明の『羅生門』だが、「あの時代にカラーフィルムがあったらクロサワも色分けしたかも」と監督は余裕と自信で語っている。むしろ黒澤映画の馬の撮り方を研究したそうだ。




水野衛子
(みずのえいこ)


 中国映画字幕翻訳業。1958年東京生まれ。慶応義塾大学文学部文学科中国文学専攻卒。字幕翻訳以外に『中国大女優恋の自白録』(文藝春秋社刊)、『中華電影的中国語』『中華電影的北京語』(いずれもキネマ旬報社刊)などの翻訳・著書がある。

イラスト・山本孝子