わが旧家、広東省・藍坊村の「鉅美堂」の前に、半円形の池がある。直径約40メートル、水深約1メートル。池端には石が積み重ねられ、遠望すると一列一列、珠玉がはめ込まれているかのようである。

 その東側は門前の平らな道で、西側は菜園である。菜園にカボチャを植えた人がいて、水上の棚にはカボチャがぶらりと垂れ下がっていた。北側の野原にはザボンの木があり、秋になると黄金のザボンがたわわに実った……。それらは青い空と白い雲、青山と灰色の家といっしょに水面に映えて揺れ動き、美しいまでの田園風景を生みだしていた。それは今でも脳裏に刻まれている。

 客家人は、風水を重んじている。聞くところによると、わが祖先が家を建てるとき、風水師の意見にしたがい門前に池を掘った。つまり、それによって邪気がのみこまれ、平安に暮らすことができ、「囲屋」(北京の四合院のような家屋)に住む人々に、霊気と財運をもたらすとされた。また、池を掘って生じた土は家屋の壁づくりなどに使われて、「一挙両得」ならず「一挙多得」になったのである。

 池は半円形に掘られたが、それは家屋の後ろに盛られた半円形の小山とともに「太極図」を形づくった。それにより山と水、陰と陽が調和して、安寧をもたらし、縁起がよいと考えられた。それと同時に「一家団らん」の意味と、曲線の美も生じたのである。もしも四角形の池なら、門前に口がパックリとあいたようで、景観をそぎ不吉であった。もちろん、それらはいずれも伝統的な風水の教えである。

 池はたいへん実用的で、その効果は絶大だった。囲屋にある三つの中庭から雨水を排出したばかりか、魚を養殖したり、菜園に灌漑したり……。万が一、火事がおきたら、消火用水にもなった。農作業をして帰ってくると、池端にある石段に行き、手足を洗い、農具を洗い、すっかりきれいになってから家へと戻った。

 他の池と比べて優れているのは、池が涸れたり、水があふれて魚が逃げたりする心配がないことである。池の水路は、石で築かれた菜園下の暗渠と池の外で水量を調節する溝をへて、最後に渓峰河へと通じている。上流のきれいな水は、まず調節溝に引かれ、つぎに暗渠を通って池に入る。もしも連日大雨に見舞われ、山からの鉄砲水と中庭の雨水が池に押しよせたとしても、調節溝の堤をこわせば、それはすばやく渓峰河に排出できる。

 池は囲屋に住む人たちが共有しており、その昔は毎年、各家がもちまわりで魚を養殖していた。年末に魚を捕るとき、若干の魚を各家で均等に分けるほかは、養殖した家がそれを売って収入にした。

 その後、養殖は手間がかかるため、丘慶梅おじさんが一手に管理することになった。春が訪れると、稚魚を売る業者がやってくる。油紙で覆った竹かごに稚魚を入れて担いでくると、おじさんはソウギョやコクレン、コイやレンギョを合わせて千匹あまりも買い取って、池に放した。そして、数日おきに若草を投げ入れて、魚のえさにするのであった。

 池にまつわる幼いころの思い出は、数多くよみがえってくる。夏の夜には、遊び仲間と池端にすわり、涼をとりつつ童謡を歌った。「月は輝き、白馬に乗った秀才が池を過ぎる。池の後ろにニラを植え、花が咲いたら嫁がくる。家の前には池があり、養うコイは八尺の長さ、小さいものは酒煮にし、大きいものはお金に換えて学堂(学び舎)をつくる……」

 童謡に歌われる「コイの酒煮」は、もち米を発酵させた黄酒で煮たコイの切り身で、鮮度がよくてとてもおいしい。体によいという功能もある。もちろん、客家人の魚料理はさまざまで、「ソウギョのあっさり蒸し」「レンギョの揚げ物」「コイの焼き物」「コクレンの頭の煮込み」など数多い。かつては、刺身にカラシをつける食べ方もあったが、寄生虫を防ぐため、やがてそうした食べ方はすたれてしまった。

 客家人はきれい好きである。春節(旧正月)を迎えるときには、テーブルやイス、腰掛け、寝台、茶だんす、戸板を池へ運び、水で洗って、通りに並べて日干しする。ズボンの裾をまくり上げた大人が家具を洗うとき、子どもらは戸板や八仙ラタ(八人掛けの正方形のテーブル)の上にひょいと飛びのった。竹棒を両手に持って棹にして、戸板や八仙ラタの船をこいでは、池の中央を過ぎてくるのに夢中になった。

 あるとき、活発に遊んでいた仲間たちが、しきりと私に手招きをして「船遊びをしよう」という。母親を見ると、戸板や家具を洗うようすは少しもなかった。そこで急いで、母親に言った。「うちでもテーブルや戸板を洗おうよ」。母親は、それを聞くなり「戸板を洗うって? ほんとうは舟遊びをしたいんでしょう!」と笑いながら言った。

 何といっても忘れられないのは、池で魚を捕った楽しい思い出である。大晦日の夜には、調節溝の堤をこわし、二日とたたないうちに池の水をすべて排出する。丘慶梅おじさんらが養殖魚を捕るのを待ってから、大人も子どももすぐさま裾をまくりあげ、腰に「びく」をぶらさげて、池の中で魚を追うのだ。顔も体も泥まみれになったが、泥水の中で魚をつかまえた楽しい思い出は、今もありありと目に浮かんでくる。

 春節が過ぎると、人々は泥の乾くのを待ってから池に入り、箕を使って、泥をそれぞれの田へ運びだす。こうすると、へどろを取り除くばかりか、池を深く掘りすすめ、泥は苗代の肥やしになり、苗の生長を保証するのだ。

 近年、養殖業は村人の収入を増やし、暮らしを向上させる方法の一つになった。「鉅美堂」から渓峰河までの100メートルの間には、大きさや形の違う養殖池が6カ所もある。こんにちでは、池を設けるのはその収益が目的であり、風水がどうこうとは言わなくなったのである。

【客家】(はっか)。4世紀初め(西晋末期)と9世紀末(唐代末期)、13世紀初め(南宋末期)のころ、黄河流域から南方へ移り住んだ漢民族の一派。共通の客家語を話し、独特の客家文化と生活習慣をもつ。現在およそ6000万人の客家人がいるといわれ、広東、福建、江西、広西、湖南、四川、台湾などの省・自治区に分布している。