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一族を見まもる「風水林」
 
 
わが旧家と、その後ろにある「風水林
文・写真 丘桓興

 客家の民家は、山沿いにあっても、田畑のそばにあっても、家屋の後ろに木々や果樹、竹を植える習慣がある。木々の種類は、ほとんどが旺盛な繁殖力をもつマングローブやクスノキ、ハシバミ、マツなどである。いずれも亭々としてそびえ、枝葉が茂り、その根を張り巡らせている。いったん植えられると、おのずと生い茂る樹木なのだ。とくに祠堂(祖廟)の後ろの林は、子孫の幸せを見守り、一族の繁栄をかなえるとされた「風水」(方位や相で家屋などの吉凶を判断する考え方)の造りの一つである。そのため、それは俗に「風水林」と呼ばれている。

 旧家の「鉅美堂」から西へ百メートルほど歩き、渓峰河にかかる新高橋を渡ると、目の前にわが一族の祠堂が見える。祠堂とそのそばにある「忠実堂」という囲屋(北京の四合院のような家屋)は、鉅美堂よりも早く建てられたため、「老屋」と呼ばれている。老屋の後ろにある風水林は、面積が約30ムー(1ムーは約6・667アール)。古木が高くそびえ立ち、その幹は緑のコケに覆われている。低木が茂り、藤づるがあちこちに伸びて、日の光をさえぎっている。まるで原始林のようである。遠望すれば、緑の竜が古屋を守っているかのようだ。1960年代初め、広東省の森林調査チームがやってきたとき、こんもりと茂るこの林を目にして、賛嘆したそうである。

 風水林はわが一族が共有し、みながそれを大切にしている。一族のうちでは、風水林の伐採や柴刈りなどが厳しく禁じられている。また、神秘的な言い伝えにより、風水林を保護しているのだ。たとえば、老木は一族の老人のシンボルだとされている。そのため、もしもある老木が風に倒れると、老人のだれかが亡くなる不吉な兆しではないかと、みな恐れるのである。こうした心理的な民間習俗があれば、だれも風水林を壊すことはできないだろう。

 一族が風水林を大切にするのは、伝統的な風水の思想のほかに、生態環境を保護し、家屋の安全を守るという功利的な目的もある。もともと家屋の後方は、こう配の急な山である。マツやスギ、雑木や低木が植えられているが、南方で雨が多いため、土をつき固めた家屋にとって、鉄砲水や洪水による山崩れはいちばんの敵だ。

 200年以上前に建てられた忠実堂には、手痛い教訓があった。それは、竜岡山に寄り添うように山を拓いて建てられた、二つの中庭と二つの横屋(両わき奥にある建物)をもつ囲屋である。建設13年目の夏、連日の大雨で鉄砲水が発生した。忠実堂の後ろの土崖が崩れ、崖に近い三つの部屋は土石流に突き崩された。

 災害の後、三つの部屋を修築したほか、後ろの土崖に石を築いて石崖とした。また、家屋後方の山坂に、石と石灰モルタルを使って高さ1メートルの半円形の防壁を築き、その裏には栗石を敷いて、石と石の隙間に草を植えた。「花囲堰」と呼ばれるこの風水設備の本来の機能は、囲屋を鉄砲水の被害から守ることだった。

 もちろん最善策といえば、家屋後方の風水林の建造である。それは、水土の保持や鉄砲水と崖崩れの防止に役立っている。花囲堰と風水林ができて以来、忠実堂は200年近くも昔のままに存在している。

 風水林は、子どもたちの楽園でもあった。その北側には何本か梅の木があり、春は梅が熟すころ、私たち子どもは竹ざおで枝をはらい、バラバラと梅を落とした。梅はあまりに酸っぱくて、食べると口がしょぼしょぼになった。それで仕方がなくポケットにいっぱい詰めて、弟や妹のために持ち帰った。そのときの情景を思い出すと、思わず唾がわき出てしまう。

奇妙な形だが、おいしい「畢九子」

 夏は雨があがると、風水林の落葉や枯れ枝の下に、クリーム色のキノコがにょきにょきと生えてきた。摘むとミルクのような液体が流れ出るキノコがあったが、それを俗に「乳菌」と呼んでいた。ふるさとの野生キノコのうち、もっとも美しい形で、色鮮やかで、おいしかったのがこの乳菌である。昼食中でも戸外からの友だちの呼び声を聞くと、すぐに食事をやめて、小さい竹ざるを取り、小躍りしながら林へと向かったものだ。落ち葉や枯れ枝をかき分けて、乳菌を見つけたときの喜びといったらなかった。

 秋になり、山柿の葉が落ちると、小さい赤提灯のような柿がたわわに実った。私たちは端に鉄製のかぎのついた竹ざおを使い、柿を引っかけ、ねじり、引っぱって、それを落とした。柿は家に持ち帰ると、かめに入れ、石灰水に一週間ほど浸して渋みをとった。野生の柿は小さいが、口あたりがよく甘かった。

 冬には、北風が一夜のうちにハシバミの実を地上に落とした。早朝、子どもらは呼びかけあって、一緒にハシバミの下へ行った。一つひとつ真珠のようなハシバミの実を拾うとき、うれしくてたまらなかったものである。

 風水林にはまた、他では珍しい野生の果樹があった。幹は高いが、果実の形はさほどでもなく、ねじれたワイヤーのようだった。客家人は、それを「畢九子」(ケンポナシ)と呼んでいた。晩秋から初冬にかけて落ちてくる畢九子を持ち帰り、もみ殻のなかに埋めておく。すると数日後には、おいしそうな酒の香りが漂うのだった。

 先ごろ帰省をしたとき、県城(県庁所在地)の市場で、ある農家の女性が畢九子を売っているのを目にした。うれしくなり、すぐに一キロほど買って、食べてしまった。

 希少価値があるためか、値段は当地のリンゴ「紅富士」の二倍の高さであったが、珍しく、しかも何の汚染もない天然の果実を見つけると、みなが競って買うようだ。畢九子はあっという間に売り切れていた。

 
  【客家】(はっか)。4世紀初め(西晋末期)と9世紀末(唐代末期)、13世紀初め(南宋末期)のころ、黄河流域から南方へ移り住んだ漢民族の一派。共通の客家語を話し、独特の客家文化と生活習慣をもつ。現在およそ6000万人の客家人がいるといわれ、広東、福建、江西、広西、湖南、四川、台湾などの省・自治区に分布している。