【放談ざっくばらん】


これでよいのか 日本の教育としつけ

       青森明の星短期大学 現代コミュニケーション学科 助教授 藤巻啓森

 
 近年、日本では学生の学力低下、学校崩壊あるいは学級崩壊という現象などが起こり、問題になっている。一般人も教育関係者も、その深刻さを十分意識しているはずである。何とかしなければ、将来大変なことになってしまうであろう。大学の非常勤講師として私が見た教育現場の状況を報告したい。

知識欲はどこに?

 全体的に多くの学生は、教科書などから得る知識はもちろんのこと、日常生活における一般常識もかなり乏しいということは否定できない。とにかく学生自身の勉強に対する熱心さが足りない。

 物欲・食欲・睡眠欲は充分過ぎるほど旺盛であるが、いわゆる知識欲というものはほとんどないといっていい。授業中の私語が多く、注意しても五分もしないうちにまた繰り返す。その私語とはほとんど授業の内容と関係がないものである。

 遅刻は日常茶飯事、授業中なのに平気でトイレに行ったり、携帯電話をしたりとまったくの傍若無人である。まさに「身在曹営心在漢」(心ここにあらず)という状態である。

 当然、注意をしたり、その対策を考えたりしているが、効果はほとんどない。さらに厳しく注意するといろいろと問題になる。たとえば、ある教師が私語をやめない学生に向かって、「喋るなら出て行きなさい。もし、あなたが出ないなら、私が出るよ」と厳しく注意すると、次の授業から欠席してしまった。

 このようなことはしばしばある。どうも自分のために勉強するのではなく、しかたがなく勉強するような印象を受ける。

警備会社の社員がイラクへ?

 勉強したくなければ、わざわざ授業料を払い、学校に来なくてもいいのにと学生に言うと、驚くような回答が返ってくる。「好きで来たわけではない。親に押し付けられしかたがなく来ている」、「家に居場所がないから、とりあえず学校にいる」、「就職するためには学歴が必要なので、その手段として入った」、「高校のときに猛勉強したから疲れた。大学でゆっくりやすみたい」などである。

 そもそも皆、知識を身につけ、将来それを仕事、もしくは人生の中で生かしていくために、大学に入るというようではないようだ。

 レポートの提出についても締め切りを守らない学生がたくさんいる。提出を促すと「書き方が分からない」、「どういう内容を書けばいいか分からない」などという。毎回その要項を全員に配っているが、どうもまったく読んでいないようである。

 また、提出されたレポートも、誤字・脱字はまだいい方で、ふざけているとしか思えない内容、明らかにどこからか丸写ししたと思われるものなどで、半分以上は小学生並の文章力しかないのである。

 また、以前日本の学生を連れて北京を訪れたとき、一九三七年七月七日に日中の全面的戦争の発端となった蘆溝橋に案内したが、中には、「この橋は何なの? どうして皆ここにくるの?」と聞いた人がいた。

 中学校、高校の歴史などで、この橋での事件には、必ず触れているはずである。たとえそれを忘れていても、日本と関係が深い中国を訪れるのであれば、その場所のことを簡単にでも調べておくのが普通であろう。

 イラク戦後復興のため、日本は自衛隊を派遣するかしないかということをめぐって、国内では随分論争をしていた。その時、中国人留学生が自衛隊をイラクに派遣することはどうしていけないかについて聞きに来た。答える前に、いっしょに来た日本人の学生に、「もし分かれば教えてあげてください」と言うと、「自衛隊って、警備会社? SECOMとかいう……」と、とんでもない答えが返ってきた。

 そもそも自衛隊とはどういうものかということさえも分からない学生がいるのだと愕然とした。

教師と家庭の責任

 

 近年、日本では18歳人口が減少しているため、大学などの教育機関では定員割れの現象が起こっている。それに対し、政府は数年前、国際化を進めるために、20世紀末までに10万人の留学生を受け入れるという計画を打ち出し、それに呼応し各教育機関はより多くの中国人の留学生を受け入れるようになった。

 しかし、留学生の中には、母国で充分な基礎教育を受けていない学生も少なくない。「満州国」がどこにあったのか分からない学生もいる。結局、日本の学生と同じように一般的な常識も分からない中国人学生も確実に増えている。

 一方、学校では教えないことは家庭で親がきちんと教えていると思ったら、大間違いである。昨今、携帯電話がかなり普及しているが、そのマナーをきちんと守る人はどのくらいいるだろう。

 授業中に受信をする学生も結構いる。注意すると、廊下に出てそのまま続けて喋っている。公共の場所では回りの迷惑などかえりみず大きい声で話す。

 また、就職ガイダンスの説明会を欠席する学生がかなり目立っている。積極的に就職活動をせず、仕事が見つからないと泣き言をいう。ようやく就職ができ、ほっとしたと思ったら、一カ月も立たないうちに辞めてしまう。その理由も「新入社員の私に電話当番ばかりをやらせる。電話の受け方が分からないからいやになった」という。

 19、20歳になっても、自分で学んだり考えたりできず人を頼るばかりの自主性のない学生は、社会人になってもなんら変わることなく、耐えることなく投げ出してしまう。なぜ、勉強しなければならないのかと小学生が問うのは分かるが、ほぼ大人である学生たちが、学ぶことや労働の意義を自ら見つけられないことは、本当に不幸で情けないことである。

 学校教育はいろいろと改良するべきだと思われるが、家庭での親のしつけはそれ以上に必要である。親は常に自分の子どもに対してもっと関心を持ち、大人になって必要な智恵(礼儀なども含める)を子どもに授けるべきである。

 また、教師側もいまの学生は全然勉強しなくて、本当に困ると責めるだけでなく、自分自身も興味を持たせるような講義をするよう工夫するのも重要なことである。