山村から来た「小さなお客さん」
――幸手が招いた許亭郷の中学生訪日記
 
                                        魯忠民=文・写真

桜の下で親交を深める

幸手市の人々からの学校建設の募金贈呈式
高田哲郎さんは最近の支援金リストを孫玉方さんに託した。支援金は山村の子どもたちに贈られる

 2004年4月8日午後、埼玉県幸手市の公園は、桜の花が錦のように満開だった。中国河北省賛皇県の許亭郷中学から来た曹珊さん、于沢くん、馬智勇くん、王芸斐さんの生徒四人は、日本で知り合いになった臨時の「保護者」と身ぶり手ぶりで談笑し、楽しいひとときを過ごしていた。公園にいた花見客たちも、彼らが中国から来た「小さなお客さん」だとわかると、次々とやって来てはあいさつしたり、親しく記念撮影をしたりした。曹珊さんたちは、まるで小さなスターになったかのよう。日本の人々の友好的で温かな対応に、深く感動したのであった。

 曹珊さんたち4人はこのほど、幸手市日中友好協会の招きで日本を訪れた。

 中国・太行山の東のふもとに位置する河北省賛皇県は、いわゆる貧困県であり、文化も教育も立ち遅れている。1997年、幸手市の人たちがそこを視察後、許亭郷中学に新しい校舎を建ててもらいたいと300万円を募金し、贈呈したのである。日本の友人の支援に感謝の気持ちを表すため、許亭郷中学はその名を「幸手市許亭郷中日友好中学校」に改めた。現在、全校生徒600人あまり、教師32人が在籍している。

日本の花見客が次々と中国の中学生と記念撮影した

 旅立ちの日、しらじらと夜が明けるころに中学3年の曹珊さんは起床した。両親が忙しそうに昨日準備した荷物を運ぶのを手伝ってくれ、おじいさん、おばあさん、叔父さん、叔母さん、それに近所の幼なじみたちも、彼女を見送りに来てくれた。みんな羨望のまなざしで見つめていた。おじさんはトラックを運転して、賛皇県城(県庁所在地)まで彼女を送った。曹珊さんは貧しい農村に暮らしており、外に出る機会などめったにないし、省都の石家荘ですら行ったことがなかった。首都の北京などもってのほか、初めての遠出が飛行機に乗り、日本を訪問することになろうとは、思いもしなかったのである。それはどんなに興奮し、感動する出来事だったろうか! 同行者は、ほかに3人の生徒がいて、中学3年の于沢くん、2年の馬智勇くん、1年の王芸斐さんだった。

西中学校の入学式に参加した中国の中学生たち

 4月8日午前、4人は幸手市西中学校の招きにより、入学式を参観した。黒の学生服と紺のスカートで正装した男女の生徒が、厳粛で神聖なふんいきの式典に参列しているのを見て、彼らは大きなショックを受けた。生徒として持つべき心構えと責任を感じたのである。また、入学式で一番印象深かったのは、校長先生が新入生一人ひとりの返礼に深々とお辞儀をしたこと。そこには生徒に対する尊重と信頼の気持ちが込められていた。校長は壇上でなんと、170回以上ものお辞儀をしたのである。

 7日間の日本滞在中、子どもたちは幸手市にある小・中・高の三校を参観し、それぞれの生徒たちと交流した。また、日本の学校にはいずれもグラウンドや体育館、プールが備わっているのを目にし、学校の制服やきれいな校内なども見た。日本の生徒は礼儀正しく、先生と生徒は互いにうちとけあっていた。実行能力が重視され、生徒たちの自立心が強いこともわかったという。

疲れを知らない渡辺さんは、いつも先頭を歩いていた

 学校参観のほかには、日光東照宮などの名所旧跡、江戸東京博物館を参観し、日本のすぐれた歴史文化に理解をよせた。さらに、東京湾や海浜公園、NHK、東京のオフィス街などを見学し、新幹線や地下鉄に乗り、日本の近代化文明を肌で感じた。異国の風土や人情、進んだ交通システム、公共の場での衛生、日本人の礼節文化などはいずれも中国の子どもたちに深い印象を与え、彼らの目を開かせた。馬智勇くんは、何度もこう語っていた。「これから必ず日本語をマスターして、日本に留学します。将来は外交官になって、中日友好のために働きます」と。

温かな「家」に暮らして

東京湾を見学

 中国の生徒たちに日本の社会を理解してもらおうと、日中友好協会の会員たちが心のこもったスケジュールを立ててくれた。ホームステイやさまざまな活動を手配し、四家族がこの「小さなお客さん」を受け入れた。馬智勇くんの「保護者」は、竹内翠さん、幸手市日中友好協会の会長である。馬くんがスポーツ好きと知り、野球場に試合や練習を見に連れていってくれたり、同齢の女の子たちを毎晩招いて、テレビゲームでいっしょに遊ばせてくれたりした。ある日、馬くんはアイスクリームの食べ過ぎで、夜中にお腹を壊してしまった。竹内さんはそれを知り、大急ぎで病院へ連れていった。

 于沢くんは渡辺さんの家に泊まった。朝5時に、ゴロゴロという洗濯機の音に驚き、目が覚めた。見ると、渡辺夫人がちょうど彼の洗濯物を洗っているところだった。

会長宅でテレビゲームに浸る馬智勇くん

 曹珊さんは、協会の事務局長・大竹さんの家で過ごした。今でもよく覚えているのは、大竹さんが毎日彼女を起こし、ともに食事し、日本語を教え、水族館へ連れて行き、浜辺でいっしょに貝殻を拾ったことだという。

 王芸斐さんの「保護者」は、相良実夫妻であった。王さんのかわいらしい笑顔が好きで、毎日どんなことをするときも、相良実さんが自ら付き添ってくれた。日本食が食べ慣れないのを知ると、夫妻は彼女を中国料理店に連れて行った。ホームシックにかかり、食事ものどを通らないのを見ると、夫人は困って涙を浮かべた……。

 こうしたお父さん、お母さんのような「保護者」のほか、多くの友好協会会員たちも、たとえば教育長の柴田さん、医師の石塚さんらも満足のいく接待をしようと苦労された。甄凱さんは80年代に日本へ渡った中国人で、中国料理のレストランを経営している。記者自身も、彼の自宅に泊めてもらった。この訪問団が幸手市にいる間じゅう、彼は毎日、自動車で記者を送ってくれた。レストラン経営のほか、集会があると料理を提供、重要な親善活動には通訳として参加するなど、毎晩遅くまで忙しく働いている。

給食を取りながら両国中学生が楽しく交流した

 子どもたちが忘れられないのは、空港で別れるそのとき、大竹さんと渡辺さんが涙を流しながら、いつまでも見送ってくれたことだ。日本に着いてから離れるまで、毎日のスケジュールには、必ず日本人が二人ずつ付き添ってくれた。彼らは自動車の運転手であり、活動のリーダーであり、ガイド役であった。渡辺さんはいつも先頭をスタスタと歩き、疲れなどまったくない様子だった。大竹さんはやさしくて、慈愛に満ちた笑顔を絶やさなかった。七日という短い間であったが、中日友好の種は、子どもたちの心に深く埋め込まれたのである。

「里親里子」活動が進む

地元紙記者の取材を受ける曹珊さん

 「飲水思源」(水を飲むときは、その源を考える)――。賛皇県への教育支援活動は、10年前に高田哲郎さんが発起人となってスタートしたものである。高田さんは今年69歳。埼玉県秩父市の中学校を定年退職した、元教師である。

 95年夏、高田さんは在日の中国人画家・孫玉方さんを伴って、太行山のふもとの賛皇県へ視察に行った。貧しい山村の老朽化した学校を見て、大きなショックを受けたという。帰国後、すぐに教え子だった笠原さんとともに募金活動を始めた。そして、しばらくして賛皇県瞶石岩に、最初の小学校を建てたのである。三階建ての校舎の側面には、孫玉方さんが心を込めて日本三大祭りの一つ「秩父祭り」の壁画を描いた。

 この出来事が日本で広く報道された後、さらに多くの友好的な人たちが、幸手市の人々も含めて支援活動に加わった。この十年来、彼らは募金の全額出資や協力で、軟棗会小学校、桑園中学校、許亭郷中学校、南延荘中学校、黒石小学校、東方中学校の六校を建てた。

王芸菲さんは相良実夫人と抱き合って別れた

 高田さんはまた、中国の山村の児童に学校や学用品を贈る協会を設立、自身が会長に就任した。近年はさらに「里親里子」という、中国の貧困地区の児童に日本の「里親」から学費を送る活動を進めている。毎年百人以上の参加者があるが、今年は118人が活動に加わっており、合わせて170万円が集まった。この支援金は、賛皇県やその他の貧困地区の児童・生徒たちに贈られるという。

 高田さんや多くの日本の民間支援者に感謝の気持ちを表そうと、孫玉方さんは彫刻家の線天長さんに依頼して、高田さんの彫像を作ってもらった。それは、十数年来にわたる日本の支援者と中国側との往復書簡、活動の写真、支援金リストなどとともに、北京市平谷区の小山村(高田さんの支援先の一つ)にある記念館に、永遠に収められ、展示されることになっている。