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楽しかった藪の中での勉強
 
 
新築された「悦春図書館」の閲覧室で本を読む、母校の「僑興中学」の学生たち
文・写真 丘桓興

 広東省蕉嶺県高思にある「僑興中学」での3年間は、ずっと「回」字形の校舎の南東隅にある大教室で授業を受けた。そこはどこの教室より明るく、最も暖かい教室であった。

 当時わたしは、背が低かったので、いつも最前列に座っていたため、一生懸命に授業を聞いた。先生が質問するたびに、すぐに手を挙げて、先を争って答え、よく褒められた。

 わたしは教科書以外の課外読物が好きだった。授業が終わるベルが鳴ると、教室を飛び出し、図書室へ走って行った。図書室は、いくつかの本棚で教室を半分に仕切って作られていた。その真ん中に、斜めの書見台がいくつか置かれ、その上に雑誌や新聞が並べてあった。

 壁に添って並べられた机には、絵入りの子ども向けの図書が積み上げられていた。図書室といっても、気の毒なくらい本の数は少ないが、山村の子どもたちにとっては非常に珍しいものだった。

 休み時間の十数分間では、新聞を少し読んだり、本をぱらぱらとめくったりすることしかできなかった。一番よく読んだのは、旧ソ連の作家、ニコライ・オストロフスキーの小説『鋼鉄はいかに鍛えられたか』を児童用に書き直した本であった。

 友だちが語る「評書」(講談)を聞くのも、楽しみであった。入学したばかりのある日の夕方、二年生の先輩が寮にやってきておしゃべりをしていたとき、彼はわたしたちがまだ魯迅の小説『阿Q正伝』を読んだことがないのを知り、阿Qの物語を話してくれた。彼の話は生き生きとしていて、七晩か八晩、連続で話を聞いたが、後になってラジオで本当の「評書」を聴いたときのように、十分に堪能した。

 音楽の授業はさらに楽しかった。学校には専用の音楽教室もピアノもなかった。オルガンも二年後にやっと購入されたが、それでも音楽の授業は本当に楽しかった。

 風が穏やかで日差しもうららかだったある日、音楽の黄国椿先生は、クラス全員を学校の東にある山の斜面に連れて行った。この東側の山の嶺は一面の松林になっていて、松の葉を揺らす風が一陣、また一陣と吹き抜け、松ヤニの香りも漂ってきて、心にしみた。

 わたしたちは、バスケットボール場とバレーボール場の間にある草地に座った。そこは斜面になっていたから、まるで階段教室に座っているようだった。豪放磊落な性格の黄先生は、非常に張り切って、わたしたちを男声、女声、高音、低音の四組に分けて、四部合唱させた。

 黄先生の指揮の下、にわか作りのわたしたちの合唱団は、田んぼや畑、青い山々、白い雲、青い空に向かって、思いを込めて歌った。歌声は時に高く、時に低く、時には輪唱し、非常に美しく、心地よかった。

 後に米国映画『サウンド・オブ・ミュージック』を観たが、あのかわいい家庭教師が子どもたちを連れて草原で歌っているシーンは、わたしの少年時代の、山の斜面で行われたあの音楽の授業を思い出させた。

恩師の湯兆文先生。「藪の中で勉強していた君たちが……」と昔を回想した

 先ごろ帰省した時、昔の先生だった湯兆文先生に挨拶に行った。わたしを見るなり湯先生は「喬仲生が戻ってきたぞ」と言った。「喬仲生」は「僑中生」(「僑興中学」の学生)の発音に近いので、わたしはかつて、母校を懐かしむ気持ちから「喬仲生」というペンネームを使っていたことがある。

 現在、定年退職した湯先生は、やさしくておっとりしている。目が不自由になり、足も悪いが、精神面ではまだ矍鑠としていた。話しているうちに、当時を思い出しながら「藪の中(草深い田舎)で勉強していた君たち学生諸君が、いまや天下を駆け回るようになるなんて考えもしなかったよ」と感慨を込めて言った。

 実は面白いことに、わたしたちは当時、本当に「藪の中」で勉強していたのだ。もともと学期末試験の前には、学校から一、二週間の復習の自由時間が与えられるのが通例だった。年齢が近く、気心の知れあったクラスメートは、自由にグループを作って、それぞれ山に行き、復習するのに適した場所を探した。

 わたしは、従兄の丘梅興や許梓銘と最も仲のよい友だちだったので、われわれ三人は教科書を持って、学校の周辺の林や藪の中を歩き回った。涼しくて静かな場所を見つけたら、山の民と同じように木の枝を折って屋根をつくり、さらに松の葉を折ってきて地面に敷き詰めた。満足のゆく山の小屋ができ上がれば、毎日そこにもぐり込んで勉強した。

 当時はまだ、伝統的な詰め込み式の教育で、試験も暗記力が試された。そこでわたしは、声を出して教科書の文章をそらんじたり、一問一答をしたり、ときには暗記能力を競争したりした。あるときは、植物の教科書から二つの段落の文章を選び出して、それぞれが三回読んだあと、誰がもっとも多く、もっとも正確に暗記できたかを競った。今から見ればおかしなやり方だが、当時のわたしたちは一生懸命で、これによって勉強に集中する習慣が養成された。

 藪の中での勉強には、当然、リラックスする時間もあった。わたしたちは順番に物語を語り合ったり、笑い話をしたり、なぞなぞを当てあったりして、あの手この手で楽しいことを探した。

 学校の校風が良く、教育の方法が当を得たものだったせいか、あるいは藪の中で一生懸命に勉強し、効果があったためかはよく分からないが、いずれにしても高思の「僑興中学」の卒業生は、第一回から第五回まで、高校入学試験での成績が全県各校のトップで、人々は目を見張った。

 実際、山の小屋で勉強したわたしたち三人組は、後に三人とも、県城にある高校に受かり、さらにいっしょに中山大学に合格した。そして三人はそれぞれ、文学、歴史、数学を専攻したのである。

 
  【客家】(はっか)。4世紀初め(西晋末期)と9世紀末(唐代末期)、13世紀初め(南宋末期)のころ、黄河流域から南方へ移り住んだ漢民族の一派。共通の客家語を話し、独特の客家文化と生活習慣をもつ。現在およそ6000万人の客家人がいるといわれ、広東、福建、江西、広西、湖南、四川、台湾などの省・自治区に分布している。