【上海スクランブル】

古い洋館、工場跡がクリエーティブなオフィスに
                                        文・写真=須藤みか
                 

 新しい高層オフィスビルがこれでもかと言うくらいに次々に姿を現わす上海だが、高層オフィスビルで働くのはいまやOUT(流行遅れ)になるらしい。では、どういう場所がINなのかと言うと、上海の朝刊紙『新聞晨報』によれば、古い洋館や工場跡、有名人の故居などだという。

IN、OUTなオフィス

工場跡を改装し、入居したCM制作会社 2階部分は屋根裏部屋の趣き

 パーテーションで細かく仕切られたオフィス、見知らぬ人とぎゅうぎゅう詰めになって乗るエレベーター…。そんな無機質な高層ビルよりも、花の香りが漂い、ふと目線を上げれば窓からは緑や人々の日常の営みが見える。こういった場所で働くのが上海っ子の憧れになっているようだ。

 紙面で紹介されているのは、古い洋館を使う不動産会社や、アーティストたちが集まる泰康路のロフト(倉庫)を改装したブランドコンサルティング会社や貿易会社。それに、静かな永嘉路にたたずむ宋靄齢の夫・孔祥熙の故居をオフィスにした茶葉貿易会社などなのだが、読み進むうちに思い出したのが、日本人クリエーターたちのオフィスだ。彼らもまた一般のオフィスビルではない場所を選択し、クリエーティブな発想を生み出す空間を造り上げている。

 ある日系のCM制作会社は昨年末、それまで借りていた高層ビルの一室が手狭になったこともあり、物件を探していたところ延平路の工場跡を見つけた。オフィスビルの家賃とそう変わらない値段で、何倍も広いスペースを借りることができるというので、思い通りに改装。高い天井と温かく差し込む陽光で、開放感あふれるオフィスが誕生した。

街のコントラストが想像力を刺激する

建造された頃の質感そのままに 赤レンカがの外観

 蘇州河の両岸に立ち並ぶ倉庫群の一棟にスタジオを設けたのは、服飾デザイナーの北原圭三さん(42歳)だ。

 路地にひっそりとたたずむこの赤レンガの建物が建てられたのは、1912年。江蘇省無錫出身の栄宗敬と栄徳生兄弟が、上海への足がかりとした場所だ。同兄弟は、綿紡績業の申新、製粉業の茂新・福新からなる栄家企業集団の創始者で、中国近代企業の開拓者として歴史に残る。ちなみに、弟の徳生はCITICグループの現会長・栄毅仁の父である。

 解放後は中国政府の管理下に置かれ、一時は国営服装工場となっていたが、02年末に日本人オーナーがこの風情ある建物に惚れ込み、リース権を取得した。

対岸には、杜月笙の建て倉庫も

 北原さんは上海の街を、「世界でいま一番パワーがあって、コントラストを感じられる場所。すべてが均質化してしまった東京では得られない刺激をこの街は与えてくれる」と評する。その上海の中でも、栄兄弟が建てたこの建物と周辺が、彼にとって最もコントラストを感じられる場所なのだという。

 外観が古いだけに、内装は徹底的にモダンに再生。250平方メートルを三つに仕切り、オフィス部分と和室、さらにクリエーターたちが集まれる空間にしたいとサロンを造った。サロンには白と黒のタイルを張り、シャッターに縁をつけて大きな額に見立てた。額に掛かるのはもちろん、北原さんのデザインしたスポーツカジュアルブランドだ。

 入口で出迎えてくれるのは童男童女の中国人形で、そのわきには当時のクリエーターたちに敬意を表して上海第一服装工場の看板も飾られている。

「ヌーベル」と名付けられた和室、和楽というテキスタイルブランドを発信していく

 モダンに再生させた北原さんとは対照的に、三階には古い建造物の質感をそのままに事務所として使っている日本人女性グラフィックデザイナーもいる。

 光をふんだんに運んでくるたくさんの窓と高い天井、そして目の前には蘇州河。「気」の通りも良いようで、集中力が高まるのだという。ところどころきしむ床や少しカビ臭い匂いさえも風情となっていて、彼女の想像力を刺激しているようだ。

 対岸の倉庫群にも台湾や欧米のクリエーターたちがそれぞれスタジオやオフィスを構えており、市当局によって両岸四キロの倉庫群は保存されることが決まっている。