芸術的中国茶芸の興り
 
   

 明・清代に、古代からの団茶(茶葉を圧縮して固めたお茶)に代わって、散茶(茶葉を固めずに、そのままの姿で揉み乾燥させたもの)が主流になりました。飲茶法は、現代に繋がる「撮泡法」という淹れ方に変化します。一般的に「泡茶」と言われるこのお茶の飲み方は、従来に比べれば、茶葉を茶壺(急須)に入れてお湯を入れるだけですから、非常に簡単であると同時に、お茶の香りが素晴らしく、お茶本来の味が楽しめ、茶葉の姿も美しく見ることが出来ます。

潮州工夫茶の茶器セット

 現在、中国茶が世界的に美味しいと評価が高いのは、散茶が登場したことと、飲茶法が「泡茶」に変わったことが大きな原因ということが出来ると思います。

 「泡茶」の代表は、前号でお話しした「工夫茶」です。現在この様な独特なお茶の淹れ方の作法は、一般的に「茶芸」と言います。

 「工夫茶」は明代に始まり、清代に盛んになりました。現在も、福建省、広東省、台湾等の海がある地方では依然として盛んです。

 今日中国で行われている茶芸を見ると、全国の茶館や茶店で行われているお茶の淹れ方はこの「工夫茶」ですが、その手順を見てみると、烏竜茶の淹れ方だということが分かります。清代の寄泉著『蝶階外史』「工夫茶」を見てみると「茶壺は、皆宜興のものである。供春と時大彬が製作した壺はそれぞれ違ったデザインである。茶葉の種類ごとに茶壺が一個必要である。炉の上にやかんを置いてお湯が三沸まで湧くのを待つ。一沸は、蟹の目のような泡が湧き、二沸は魚の目のような泡が湧くようになる。更に連珠のようになったらお湯が沸いたのである。水はぬるければ若すぎるし、熱しすぎたら老いて不味くなる。丁度良い熱さにするのは難しい。それ故、丁度良い熱さのお湯は、天上の一輪の好月とか世の中で最もありがたいものであるとかいわれる。良いお湯は、美味しいお茶とも関係があるから、いい加減な気持ちではよいお茶にならない」

 「最初に沸いたお湯をからの茶壺に注ぎ、洗ってから捨てる。二回目のお湯が沸いてきた時、予め用意した茶葉を茶壺に均等に入れて、お湯を注ぐ。すぐ蓋をして、茶壺を銅の茶盤の上に置く。三回目のお湯が沸いたら、茶壺の外からお湯をかけて、香りを出すようにする」

 「茶杯は盃のような大きさで、客に一個ずつ用意する。飲む時には茶を口の中に含んでゆっくり味わうべきである。一気に飲んでしまうと茶の味が分からない人とされ、お客としてはいやがられ茶の席から追い出される」

 この様に「工夫茶」は烏竜茶の淹れ方であることがはっきりします。この泡茶法は、歴史的に見て、ビン(福建省)から粤(広東省)で行われていたものが、香港や台湾に伝わったものと考えることが出来ます。

 現在行われている中国茶芸といわれるものは、基本が台湾で1980年に発表されたもので、台湾茶芸と言われるものです。その代表が「茶海双杯法」です。

1980年代に入ってスタイルが完成した台湾茶芸

 私たち日本人は、中国茶というと烏竜茶を思い浮かべるのですが、烏竜茶つまり青茶は、福建省、広東省、台湾でしか取れないお茶で、中国茶全体からすれば、地方のお茶です。しかし、このように「工夫茶」から今日の茶芸発展の基礎がはじまり、台湾を中心に展開されたため、台湾茶芸が今日の中国茶芸の主流になったということなのです。但し、この茶芸は烏竜茶の特性を生かすのには素晴らしいのですが、緑茶や白茶、黄茶、紅茶、黒茶(プーアル茶など)、花茶(ジャスミン茶)等の淹れ方に適しているとはいえません。現代の様々なお茶の淹れ方は、今後の新しい淹れ方が考案されることが大事だと思います。この問題は、次回考えることにしましょう。

 故・趙樸初氏(前中国仏教協会会長)は明・清代以来のお茶のすばらしさについて、次のような漢詩を詠んでいます。
 
 七碗受至味、一壺得新趣。
 空持百千偈、不如喫茶去。 
 七碗 至味を受け、一壺 新趣を得る。
 空しく持つ 百千の偈、喫茶去に如かず。

 【通釈】

 七煎お茶を飲めば、味はきわまり、一つの急須が新しい趣を得る。空しく、多くの偈(仏の徳を頌えた漢詩)を得ても、お茶でも飲んで行く方がよいのだ。

 お茶について歴史上多くの詩人が詠いましたが、趙樸初氏の詩は、唐代盧仝の詩や「喫茶去」の逸話を踏まえてお茶の素晴らしさを見事に表現しています。

 現代の飲茶法に繋がる「工夫茶」の発展は、飲茶芸術の面からも大きな意義を持っていました。

 
 
 
 
  中国茶文化国際検定協会会長、日中友好漢詩協会理事長、中国西北大学名誉教授。漢詩の創作、普及、日中交流に精力的な活動を続ける。