日本ドキュメンタリー映画 北京で放映  


 2004年北京国際ドキュメンタリー映画放映展の期間中、山形国際ドキュメンタリー映画祭の日本ドキュメンタリー映画の名作11本が中国で初めて放映された。日本ドキュメンタリー映画の旗手の一人である土本典昭氏の『水俣――患者とその世界』『ドキュメント・路上』が表現した経済高度成長期における日本社会の問題と監督本人の講演は、中国ドキュメンタリー映画界を共鳴させた。他にもドキュメンタリー映画の先駆者である亀井文夫氏の『上海』『戦う兵隊』、小川紳介氏の『日本解放戦線――三里塚の夏』『三里塚――第二砦の人々』『牧野村――千年刻みの日時計』、原一男氏の『ゆきゆきて神軍』、森達也氏の『A』、佐藤真氏の『Self And Others』などにより、中国の観客は日本ドキュメンタリー映画発展の脈絡を初めてしっかりと理解した。

日本が中国人観光客の人気スポットに

 日本の観光市場が中国のより多くの地域在住者に開放されたのに伴い、ますます多くの中国人観光客が自費で日本に赴いている。日本政府は先ごろ、中国人の団体観光客のビザ発給対象地域について、これまでの北京、上海、広東の3地域に続いて、山東、遼寧、天津、江蘇、浙江の5地域を新たに加えた。

 山東省では、日本観光が開放される前、ともすれば訪日旅費が1万元以上に跳ね上がった。今回の開放後、山東省の住民たちは旅費がそれ以下に抑えられることを切望している。  (『青島晩報』)

承徳の避暑山荘 72景観の半数以上を修復

 中国に現存する最大級の皇室庭園・避暑山荘が、長年にわたる修復を経て現在、清の康熙・乾隆時代の風格が見事によみがえった。同時代の72景観中、55景観がすでに修復されている。

 康熙・乾隆時代の72景観は、避暑山荘の精華であると称えられる。承徳市文物管理部門によると、涌翠岩景観など古建築プロジェクトの完成によって、同時代の55の景観が修復された。また、「望源亭」「晴碧亭」「水心鯀牌楼」など72景観以外の20カ所の文物古跡も、当時のままに修復された。       (新華社)

来年、故宮が新たに3カ所の重要景観を開放

 北京の故宮博物院の建設80周年の式典を迎えるにあたり、故宮博物院では来年、観光客に開放する場所を増やす。観光客は、これまで未開放だった「武英殿」「文華殿」「建福宮花園」の3カ所の景観を楽しむことができる。開放されるのは、来年8月の予定。それによる故宮の入場料は変わらない。

 武英殿は明代初めに創建された。故宮博物院の西南部に位置する。目下、武英殿の修復工事はほぼ終わり、今年末には完工する予定。文華殿は、武英殿の東西方向に離れている。清の康熙22年(1683年)に再建されたもので、黄色い瑠璃瓦が施され、「工」の字型をしている。建福宮花園の「西花園」は、養心殿の西北角にある。清の乾隆5年(1740年)に建てられ、当時の皇帝・皇后の休憩と娯楽の場所だった。(『北京日報』)

人口と発展の国家報告書

 このほど公布された『中国の人口と発展国家報告』は、中国が人口と発展の分野において得た10年来の成果と、現在及び将来立ち向かっていく挑戦について率直に述べられている。

 報告は次の通り9分野に分かれている。人口計画と人口発展戦略、生殖健康と計画出産、貧困の撲滅、エイズの治療と予防及びエイズ患者への思いやり、青少年の性と生殖健康、妊婦死亡率と児童死亡率の低下、女性の権利と社会の性差別問題、非政府組織の役割、政府の発展援助と世界とのパートナーシップ。(『新華毎日電訊』)

石炭の直接液化プロジェクトを着工

 中国の西部大開発の重点プロジェクト、石油代替戦略の筆頭にあげられる「神華石炭直接液化プロジェクト」が内蒙古自治区オルドスで着工された。石炭の直接液化は、固体の石炭を液体燃料に変換する技術をいう。この技術を使った工業化装置の設置は、世界でも初めて。プロジェクトによる年間石油生産量は500万トン。建設は2期に分けて行われ、第1生産ラインは2007年7月に、また第2生産ラインは2010年ごろにそれぞれ完成する予定だ。

 現在、アメリカが採用している間接液化技術による石炭液化工場は、生産量が日に5000バレル。「神華プロジェクト」の建設では、日に1万バレル近くが生産されることになる。プロジェクトは目下、世界でも最大規模の石炭液化工場となっている。        (『人民日報』)


鉄道の第6次スピードアップ

 中国の鉄道は、今年の全面的な第5次スピードアップによって、既存レールで列車運行時速を160キロの大台に乗せた。さらに先をめざした第6次では、時速200キロの目標を実現させる計画だ。

 現在、中国の一部の既存レールは、列車の時速200キロ運行が基本的に可能である。しかし、そのすべてで時速200キロのスピードアップを実現するには、条件がまだ整っていない。スピードアップ実現の条件を満たし、安全で質の高い機関車車両を装備しなければならない。

 長年の努力を経て、中国の機関車車両工業は大きく発展した。「中華の星」「先鋒号」などの機関車が現在、まさに中国企業によって研究開発されている。(『北京青年報』)

北京五輪の馬術競技 香港が共催を希望

 香港オリンピック委員会の霍震霆会長は先ごろ、北京オリンピックの関係方面に対して、「香港で、2008年オリンピックの競技種目の一つを共催したい」という要望を出した。北京オリンピック組織委員会の劉淇主席は記者会見で、香港同胞のこうした願いに対して、「中央政府も、北京オリンピック組織委員会もよく理解している。本件の決定権は北京オリンピック組織委員会だけにはないが、(共催権を)得る努力をするのは不可能なことではないだろう」と明らかにした。

 北京オリンピックの馬術、バレーボール、卓球などの競技においては、香港でも実施条件が整っている。なかでも馬術競技の共催は、成功する可能性が最も高いと予想される。    (新華社)

近代詩文書展を開催

 8月20日〜24日、中華全国青年連合会と日本の社団法人創玄書道会が主催した「金子鴎亭と現代の書北京展」が北京の中国美術館で開催された。中国文化部、在中国日本国大使館、中国書法家協会などの機関もその計画準備に参与した。

 創玄書道会は、金子鴎亭氏(1906〜2001)が1920年ごろに提唱した「近代詩文書」を中心とする現代書の芸術運動に賛同した書家が集まってできた団体だ。中国から伝わった古典書道を尊崇し、さらに現代的な感覚で日本独特の現代詩歌を表現していて、「近代詩文書」と称される日本書道の一大分派となっている。

 創玄書道会理事長の金子卓義氏は「書道の故郷である中国で、現代詩文を素材とした近代詩文書展を開催することは非常に大きな意義がある」と話した。

 今回、創玄書道会会員の作品195点と金子鴎亭氏の遺作9点が出展され、訪れた観客を魅了した。

 創玄書道会副理事長の女性書家・内山玲子氏は「中国から伝わった書道を日本人が継承し発揚することで日本独特の『近代詩文書』を形成しました。この展覧会の最大の目的は中国で日本の書道芸術を披露し、『日本人の心』を表現することです」と話した。また、中日両国の若い世代が書道を学ぶことを願い、キーボードでの文字入力が、大切な芸術である書道を衰退させるようなことになってはならないと語った。

中国に50余年の「老専家」
川越敏孝氏の告別式しめやかに

 日本人専門家として、戦後50年余りにわたって中国に滞在、『毛沢東選集』など数々の中国文献の日本語翻訳事業に従事してきた川越敏孝(かわごえ・はるたか)氏が8月26日午前、北京市内の病院で死去した。83歳だった。

 告別式は9月3日、北京市西郊外の八宝山革命公墓で、小雨の降る中、しめやかに行われた。生前最後の勤務先・中国共産党中央編訳局による葬儀委員会が執行、遺族の妻・河野八重子さんらが参列した。

 生前の幅広い交友関係を示すように、告別式には中日両国の要人や関係者らが多数参列。祭儀場の中央奥には「川越敏孝先生を永遠にしのぶ」と映し出された電光掲示板が掲げられ、祭壇には慈愛に満ちたまなざしで微笑む氏の遺影が、また中央には白木のひつぎが置かれた。参列者たちは次々と拝礼をして、その傑出した業績と新中国の発展、また中日友好のために捧げた生涯をしのんでいた。

 1921年、神戸市出身。京都帝国大学(現・京都大学)卒業後、大蔵省入り。44年に徴兵され、朝鮮半島へ。翌年、中国・ハルビンで敗戦を迎えた。旧ソ連軍の捕虜となったが、八路軍(中国人民解放軍の前身)に引き抜かれ、新中国成立後は東北軍区衛生部などでロシア語文献の中国語訳にあたった。

 52年に北京に移り、『人民中国』『中国画報』『北京週報』など外文出版社(現・中国外文出版発行事業局)発行の日本語雑誌の翻訳に携わった。その後、「文革」期の70〜75年に帰国したほかは、一貫して中国に滞在。後年は中央編訳局に勤め、それと相前後して『毛沢東選集』『オヒ小平文選』をはじめ、例年の全国人民代表大会の『政府活動報告』など重要文献の翻訳に力を注いだ。

 中国政府から特別に中国永住居留権を与えられた数少ない一人であった。94年に退職後は、北京友誼賓館の自宅で執筆活動にあたっていた。「中国人民の忠実な朋友」と称えられ、「外籍老専家」(外国人のベテラン専門家)として中日両国の多くの関係者から慕われていた。

 人民中国雑誌社からは訪日中の于明新社長に代わり、王衆一副社長・編集長らが参列した。