化粧に対する意識の変化

出かけるときは化粧をするのが、陳竹さんの習慣となっている

 陳竹さん(21歳)の部屋は狭く、ほとんどが勉強机で占められている。その勉強机の半分には本が、もう半分には化粧品が置いてある。「これは私の勉強机でもあり、化粧台でもあるのです」

 陳さんは現在、大学4年生。中国では一般的に学生は化粧をしないものと思われているが、陳さんは出かける前に必ず薄化粧をする。就職活動が目前に差し迫っているからだ。就職活動や面接試験の際は、自分の身なりをきちんと整えなくてはならない。これは他人に好印象を与えるだけでなく、他人を尊重することでもあると考えている。しかし実は、もう一つ大きな理由がある。数年前に知り合った男性と交際を始めたのだ。「彼のために自分をきれいに装いたいの」。こちらがホンネのようだ。

どこへ行くにも、陳竹さんは化粧道具を入れた化粧ポーチを欠かさない

 中国人の生活の中で、化粧をすることはすでに普通のこととなった。年齢や職業が異なれば、化粧の好みや要求も違う。

 陳さんのような若い女性は、年齢とともに自然と化粧品に接するようになる。陳さんは中学生までは母親が買ってくれた子供用のスキンクリームを使っていた。高校生になると、ニキビができ始めた。その頃、北京市には大型のスーパーマーケットができたばかりで、化粧品の専門カウンターはもっとも興味をひかれた場所だった。一つ一つの商品を自由にじっくりと見ることができ、これまでの店のように、販売員にお願いして棚から持ってきてもらう面倒がない。陳さんはニキビ専用の化粧品を見つけ、家に帰って使ってみた。本当に効果があり、うれしくなった。そしてそのときから、化粧品に関心を持ち始め、買って試してみるようになったのだという。

陳竹さんは自分の小さな化粧台をいじるのが好きで、1年に2000〜3000元は化粧品の購入に費やす

 陳さん自身はそのときの経験によって化粧品が好きになったと思っているが、彼女の母親に言わせると、子どもの頃から「美」に興味を持ち、他の女の子よりいい匂いですべすべの化粧品をみると喜んでいたようだ。

 好きなことを、試してみたり追求したりすることができる。これは非常に幸せなことだ。この幸せは、その中にいる陳さんにはそう簡単に感じられないかもしれない。

 筆者が陳さんと同じくらいの年だった30年前は、若い人は化粧をしてはならず、化粧をしたいと思うことさえできなかった。質素倹約が称えられた社会で、化粧はブルジョア階級の象徴とみなされ、人々はそう思われるのを恐れていたのだ。店に「化粧品」と呼ばれるものを置いてはいたがとても少なく、ワセリンや油脂性のスキンクリーム、化粧用クリームしかなかった。一般的に油脂性のスキンクリームは円形の小さな鉄の容器に入っていた。ワセリンはハマグリの貝殻を容器にしていたので「ハマグリ油」と呼ばれていた。化粧用クリームは口の広い瓶に入っていて量り売りされ、客は自分で小さな瓶を持ってきて買う。このような化粧用クリームはとてもお買い得だった。

美しい化粧品の広告は、デパートに時代の息吹を添える

 当時の女性にとって、スキンクリームや化粧用クリームの香りは、それが乾燥を防ぐ効能があるのと同じくらい重要だった。香水を使うなんてことは絶対にありえず、化粧用クリームの香りが自然と体から漂っていれば、「ブルジョア階級の生活をしている」と誤解されることはないからだ。化粧用クリームは、彼女たちにとって、美を追求する唯一の方法だったのである。

「ハマグリ油」から進展

欧米の化粧品や美容用品のメーカーは、さまざまなセールス・プロモーションで中国市場に進出しており、目がくらむばかりである

 1978年、改革開放が中国の門戸を大きく開いた。これまで受けていたさまざまな制約も少しずつなくなっていった。

 81年、北京市の友誼商店に、資生堂の化粧品や石けん、歯磨き剤などを専門的に販売する、オシャレなカウンターができた。これは外国の化粧品が中国に進出する始まりとなり、このときから、市場には国産は言うまでもなく、中外合資生産や外国ブランドの化粧品がだんだんと増えてきた。

 「ハマグリ油」や化粧用クリームをずっと使ってきた中国人の化粧品に対する認識は、とても単純なものだった。化粧とは眉を描き、頬紅や口紅を塗ることで、化粧用クリームのようなスキンケア用品は、肌を乾燥させないようにするだけだと思っていた。そこで、新しく出てきたリンクルケア(しわ予防)、保湿、美白といった言葉は、新鮮で魅力的だった。今まで見たことがないファンデーションやアイシャドー、マスカラそして色とりどりの口紅は、若い女性を虜にした。

休みの日に化粧品コーナーを見て廻るのは、陳竹さんの楽しみのひとつ

 市場にたくさんの化粧品が出回るようになっても、1980年代の女性は化粧品に大枚を払うことにはまだ抵抗があった。倹約という観念だけではなく、当時の生活レベルにはやはり限度があったのだ。化粧品を買うときは、まず新製品に注目し、価格を調べる。価格が適当だったら、新しい効能につられて買う。もし高いと思ったら、どんなに新しい効能があっても買わなかった。

 1990年代初期までは、都市住民の平均月収は約500元で、スキンケア用品の価格は5、6元から30元前後だった。そして、90年代以降、化粧品市場は急速に発展する。改革開放の初期、制約がなくなったばかりの頃は、美を追求する素朴な願望がよみがえっただけだった。しかし市場経済の実施から数年後、思想がかなり解放されたため、美や化粧品への関心は高まった。

 開放された社会では、きちんとした振る舞いと美しい姿かたちを重視する人がますます増えてきた。このことは、自分の教養や素質を示すばかりでなく、自分の中でも精力ややる気がみなぎり、物事を行うときのよい促進作用となる。経済状況も大きく改善されたので、美の追求にお金を費やすことができるようになった。

化粧品専門カウンターの販売員は細かく丁寧に商品の効能を説明してくれる

 化粧品市場にも大きな変化が現れた。単純だったスキンケアが細かく複雑化した。

 かつては顔に塗るクリームを一つ持っていれば、それでことが足りた。しかし現在は、スキンローション、しわ取りクリーム、アイクリーム、さらには日焼け止めクリーム、デイクリーム、ナイトクリーム、フェーシャルマスクなど、必要な化粧品は瞬く間に増えた。これを面倒だと思う女性はおらず、逆に美しさと自信を手に入れるようになった。

 しかし、化粧品に対する知識は非常に少ない。広告をみて盲目的に買ったり、他の人が使っているからと自分も買ったりする。そこで使った化粧品が合わず、トラブルが発生することも珍しくない。

都市では、化粧品を使うのは若者だけではない。中高年も自分の容貌や若さを維持するために努力する

 80年代半ばから、エステティシャンを育てる専門の美容学校ができた。エステティックサロンも発展し始めた。海外ブランドの化粧品が中国市場に進出し、「顧客の具体的な状況に合った化粧品を紹介する」という伝統的な方法で販売されるようになった。客は自分の肌の特徴や必要としているものを知り、化粧品を選ぶことができるようになった。

 陳竹さんは大学1年生のとき、偶然、ある化粧品のセールスマンと知り合い、その会社の化粧品講座に参加した。勧められた商品を買うはめにはなったが、スキンケアをどのように行えばいいかなど多くの知識を得て、自分に合った化粧品を選ぶことができた。陳さんは「これは女性にとってとても大切なこと」と、意義がある経験だったと考えている。

 現在、市場に出回っている化粧品はまさに百家斉放だ。価格は数十元から数百元と異なり、効能もさまざまなので、選ぶのにはかなり神経を使う。「体に良い」や「環境保護」などと謳った、天然成分や植物性の商品が人気で、特に漢方薬や海洋生物を原料として作られた化粧品は、消費者に安心感を与えるようだ。

老若男女に広がる美への関心

化粧品メーカーが養成した美容顧問は、顧客に化粧を施しながら基本的な知識を教え、各商品のそれぞれの働きを直接理解させる

 陳竹さんの母親の高さんは、今まで化粧をしたことがない。最近ようやく陳さんが買ってくれたモイスチャークリームを使うようになったくらいだ。陳さんに洗顔料も買ってもらったが、使い慣れなかった。使うと顔がツルツルし、きれいに洗えていない感じがしたのだ。だから今でも毎日、水だけで顔を洗う。それでもモイスチャークリームを塗った後はとても気持ちがよく、べたつかないのにかさつきもせず、昔の化粧用クリームよりいいと言う。

 筆者の周りには、すでに定年退職していても自分の容貌を気にかけている女性が少なくない。高さんと同じように、多くの人は中高年になってからスキンケア用品を使い始めた。化粧をするようになった人もいる。彼女たちが化粧品を選ぶときは、価格だけを気にするのではなく、アンチエイジングや保湿、美肌などさまざまな効能に注目する。「現在の生活は以前より良くなっているだけではなく、社会的にも化粧をすることは普通のことだと考えられています」と高さんは言う。若い頃に形成された考え方を変えるのは容易なことではないが、「健康のために投資する」「美のために投資する」という消費観、人生観はますます多くの人に影響を与えている。

 大都市の化粧品市場では、もう一つ、これまでになかった現象が起こっている。男性用化粧品の専門カウンターを設けているデパートが少なくないことだ。

改革開放の初期には、ほとんどの人にとって化粧品とはよく分からない言葉だった。当時の国営デパートのカウンターには顔に塗るだけの油脂性のスキンクリームや「ハマグリ油」のような商品しかなく、現在のようにたくさんの商品が並ぶ様を見ることはできなかった

 中国人の「郎才女貌」(男は才能、女は美貌)という伝統的な考え方では、男性への評価は中身が重要で外見は二の次、男性が化粧をして女性のようになるのを嫌った。しかし物的条件が改善され社交活動が増えるにつれ、「内も外も共に整える」という考え方に取って代わられた。男性用化粧品を使っているのはやはり若者が主であるが、これに対して多くの人は反感を持っていない。

 上海市の資生堂の化粧品カウンターには「俊士」という男性用化粧品のシリーズがあり、リンスや洗顔料、オーデコロン、スキンローション、汗止めローションなど何でもある。資生堂華南地区のマーケットマネージャーである劉さんは、これらの商品は男性を一新させると話す。しかし商品の普及にはまだ不安を感じている。すべての男性が洗顔料を使い、オーデコロンをつけて出かけるようになるには、時間がかかると考えているのだ。上海市の男性がこのような習慣を身に付けるのはたやすいが、全国的には、たった10〜15%のホワイトカラーの男性だけにしか普及しないのではないかと推測している。「他の地方は伝統的で保守的ですからね。特に北方の人は、こういうものを使うのは『女性化』であると考えています」と劉さんは話す。

偽物ブランドの化粧品は、消費者の健康や権益に著しくダメージを与えるので、人々は偽物防止の意識を高めた

 資生堂は始め、男性用化粧品の専門カウンターを設置し、女性用と分けて販売してきた。しかし販売員はすぐに、これは賢明なやり方ではないと気がついた。「男性用スキンケア用品の半分は女性が買います。一般的に女性が恋人または夫に買ってあげるのです。男性はこういうものを買うのを気恥ずかしく思っています。中国ではまず女性の消費観念を変え、彼女たちに自分の恋人または夫はスキンケアをする必要があると思わせることが大切なのです」と劉さんは言う。現在、資生堂の「俊士」シリーズは、女性用化粧品と一緒に並べられている。



 ▽ 中国の化粧品市場は1980年代に始まり、90年から急速に拡大し始めた。90年代初めは年平均35%の伸び率で成長した。

 ▽ 中国の化粧品市場の売上げは、1982年に2億元だったのが2001年には400億元に増加した。2003年には760億元、2004年には850億元近くに達した。経済学者の推測によると、2004年から2007年までの売上げの平均伸び率は約10%で、このスピードで成長し続けると、2010年の売上げは1500億元になる。

 ▽ 中国人の1人当たりの平均化粧品消費額は1980年に0.2元だったのが、1989年には2元に増加。1998年は16元、2003年は22元になった。しかし現在、先進国の1人当たりの平均化粧品消費額は400米ドルなので、その差は150倍近くある。

 ▽ 中国には現在、3000ぐらいの化粧品メーカーがあり、そのうち58%が私営企業、32%が外資系企業、10%が国営企業。輸入されたものと中外合資で生産されたものを含む外国ブランドの化粧品は、2003年までに中国の化粧品市場の68%を占め、ここ数年の売上げの伸び率は15%に達している。

「新浪」(中国の大手ポータルサイト)の不動産コーナーは、北京市の不動産発展の詳細な情報を提供している

  本社:中国北京西城区車公荘大街3号
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。