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ジェトロ北京センター所長 江原 規由
 
 

鄭和の時代と中国の海外展開

 
   
 
江原規由 1950年生まれ。1975年、東京外国語大学卒業、日本貿易振興会(ジェトロ)に入る。香港大学研修、日中経済協会、ジェトロ・バンコクセンター駐在などを経て、1993年、ジェトロ大連事務所を設立、初代所長に就任。1998年、大連市名誉市民を授与される。ジェトロ海外調査部中国・北アジアチームリーダー。2001年11月から、ジェトロ北京センター所長。
 
 

   中国は、今年上半期(1〜6月)に9.5%の高成長を遂げ、また、6月末時点の在中外資系企業は52万社(登記ベース)を超えました。現在、これほど高い成長を遂げ、多くの外資を受け入れている国は、中国おいて他にはありません。

   こうした高成長と外資受け入れの結果、中国は世界経済におけるプレゼンスを大いに高めています。一例でいえば、今年中に外貨準備高で日本を抜いて世界第1位になると予想されています。今や、中国が世界経済の成長に大きく関わっていることは、誰の目にも明らかですが、同時に、中国経済は調整と挑戦の時代を迎えたといえます。

   7月21日には、11年ぶりに人民元レートの調整が発表され、その先行きに世界の関心が集まっています。また、今年に入り、中国海洋石油が中国史上最高額の買収額(185億ドル)となるユノカル社(米国の石油会社)の買収をめぐり、米国議会はじめ世論を巻き込んだ賛否両論の中、やはり同社買収で先行していた米石油大手のシェブロンテキサコ社と虚々実々な駆け引きを演じました。

   この2つの事例は、中国の経済規模が大きくなったことを世界がどう見ているか、これに対し、中国政府や業界がどう対応しようとしているのかを如実に物語っています。

   今後、こうした中国が世界の関心を集める状況は、ますます増えてくることでしょう。高成長と外資導入を可能にした改革・開放路線が4半世紀経った今日、中国の問題が世界の問題に、世界の問題が中国の問題に直結してきたということです。

中国から世界へのメッセージ

   中国が世界を今日ほど意識している時代はないでしょう。中国は目下、「節約型社会」の建設を提唱しています。中国に「流行語大賞」があるとしたら、今年は「節約型社会」がその最有力候補となるのはまず間違いないといえます。この「節約型社会」の建設という姿勢には、世界に向けての中国のメッセージが込められていると思います。

   「節約型社会」とは、温家宝総理の言葉を借りれば、「以人為本(人間本位)と科学的発展観を打ち立て、資源の節約を第1に、経済成長方式の根本的転換の実現を軸にして、省エネ、節水、原材料土地節約と資源の総合利用および循環型経済の発展を重点に、節約型成長方式と消費モデルを構築し、経済・社会の持続可能な発展が図れる社会」となります。

   改革・開放の成長路線をひた走って来た中国は、豊かさを蓄積し、世界経済に大きく貢献してきました。同時に、格差の拡大や資源エネルギー問題、環境問題、元レート調整、繊維製品を中心とするダンピング問題など、成長に伴うマイナス要因や困難に直面しています。

   「節約型社会」の建設は、GDP(成長)至上主義から生じつつあるリスク要因や困難をこれ以上増やすことなく、世界経済への貢献を維持すること、そのために、これまでとは違った経済発展モデル、すなわち、「人」と「環境」重視の発展モデルの構築を目指すという現政権の意思表示といえます。

「走出去」への世界の風当たり

   中国の問題は世界の問題に直結してきています。このことは、中国経済の国際化の進展と大いに関係があります。その最先端には、中国が国家戦略として推進している「走出去」、即ち、中国企業の海外展開があります。

   2004年の中国の対外投資額(実行ベース)は前年比27%増の36億2000万ドルと急速に伸びました。対内投資額に比べると、6%足らずと少ないものの、今後急速に増加する情勢にあることは明らかです。

   ところが、目下、世界は中国の対外展開にやや警戒的です。聯想集団によるIBMパソコン部門のM&A、前出のユノカルM&Aの時には、国家安全上問題だとして、米国議会などから横槍が入りました。海南航空がハンガリー航空をM&Aしようとした時も、待ったがかけられました。

   オーストラリア、インドネシア、ブラジルなどの鉱物や森林資源の権益を確保しようとしたり、石油資源を大量輸入(中国は世界第2位の石油輸入国)しようとすると、世界の資源を買い漁っているとか、資源価格を吊り上げているとか、何かと注文をつけられるケースが目立ってきています。

鄭和の大航海からのヒント

上海で開かれた「鄭和の航海と国際海洋博覧会」で鄭和の帆船の模型が展示された

   「走出去」に代表される中国経済の国際化は、世界に何をもたらすのでしょうか。そのヒントを、600年ほど前に求めることができます。

   1405年、明朝の時代に、永楽帝の命を受けた鄭和が、「大宝船」といわれた大船団を率いて初航海に出ました。これ以後、7回に及ぶ大航海で、東南アジアからアフリカに及ぶ広大な地域に、当時としては最大といってよい友好的な地域通商交易圏が築かれました。

   バスコダガマ(喜望峰経由インド航路発見)、コロンブス(アメリカ大陸発見)、マゼラン(史上初の世界1周)らが活躍したヨーロッパの大航海時代に先立つことほぼ百年前のできごとです。現在、世界の注目を集めている中国とASEANとのFTA(自由貿易協定)の原型が、すでに構築されていたということではないでしょうか。

   鄭和の最大の業績は、各地との交易に当たって砲艦外交を行わなかったことです。行く先々で、交易のための官廠(倉庫)と宣慰司(領事館)を設置したといわれます。いわゆる、「厚往薄来」(ギブが多くテイクが少ないこと)とされる朝貢貿易が行われました。残念なことに、28年に及ぶ鄭和の大航海は1433年、突然、幕を閉じ、以後、中国は海外展開を本格化することはありませんでした。

   今日の「走出去」戦略の意味するところは、鄭和の処女航海から600年を経て、中国が第2の大航海時代に入ったということではないでしょうか。

   当時と現在では時代的背景は大きく異なりますが、国家の精神はそれほど変わらないでしょう。鄭和の「大宝船」は、陶器などに代表される中国製品と現地特産品などを、行く先々で交易しています。21世紀の現在、中国は52万もの外資系企業を受け入れ、ビジネス機会を提供してきています。今でも朝貢貿易の「共享太平之福」(ともに太平の福を享受する)の精神が生きているといえます。

   今日、中国製品に対するアンチ・ダンピング措置などを発動する国が増え、中国経済の国際化に対し風当たりの強い局面が増えてきていますが、中国が求めているのは「厚往厚来」、即ち、ギブとテイクが同等であるということだと思われます。




 
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