木と石と水が語る北京N  歴史学者 阿南・ヴァージニア・史代=文・写真
昔日の水の輝き
 
 
修復された湖

 18〜19世紀の清朝離宮「円明園」は、1860年に外国軍によって破壊されるまでは庭園全体が水の風景であった。なかでも壮麗な噴水の一つは「華麗水鯀」と呼ばれる、贅沢な洋風建築の池亭であった。

 現在では、一部修復された公園の中央部分にある湖と堀を除けば、大部分の水路は干上がり、周辺は自然に帰している。全体をもとの景観公園に再建しようという計画案が最近提出された。そうなれば当然水も、干上がった湖や河床に再び流れ込むだろう。

 円明園の洋風庭園が放置されていた頃には、草むす小丘や忘れられた石庭を歩き回って、昔はここに何があっただろうなどと想像することができた。私は何度か円明園の古い地図を頼りに探索し、19世紀に見られたであろう景観と現状とを比較した。

卍形池亭の屋根付き回廊を描いた18世紀の絵画

 地図上に仏教の聖なる象徴、卍の形があった。これは池の中央にこの形で設計された池亭であった。何もかもが生い茂っているため、この位置を正確に知るためには、古地図に示されている近くの石庭跡を探すしかなかった。今や干上がって雑草の生い茂る湖底を歩いていると、陽光を様式化したこの古代文様の形に盛り土された細い土手を発見することができた。曲がった腕は皆同じ方向に廻っていた。

 別の湖は比較的簡単に見つかった。今では広い畑地になっている場所の片隅に大理石の船着場が残っている。すでに退職した老人たちが石段に腰掛けて、湖に水があった頃を思い出していた。彼らは若い頃ここで釣りをしていた。土に埋まった大理石の柱は、かつてこの湖に流れこむ小川に架かっていたアーチ型の精巧な大理石橋の名残だった。

 地図に従ってぶらぶらと、この広大な庭園の北までやって来ると、驚いたことにそこに高さ15メートルほどもある重厚な土壁の一部が残っていた。かつて庭園を取り巻いていた堀が干上がり、深い溝となって今でも塀の外側を走っている。

石段に腰掛けて、湖に水があった頃をしのぶ老人たち

 しばらく後に私は、湖全景と卍形池亭の屋根付き回廊を描いた18世紀絵画のコピーを見つけ、その時初めて完全な建築全容がわかった。卍形の腕の先端には、それらを結ぶ小さな木造の橋があり、そこを廻ればいちいち中心まで戻らなくても、全方位の水の風景が楽しめるようになっていた。単孔の石橋も描かれていて、水はそこから隣接する湖へと流れていた。それは私が想像した風景とほとんど同じであった。(訳・小池晴子)

五洲伝播出版社の『古き北京との出会い』より


 
 
     
 
筆者紹介
阿南・ヴァージニア・史代 1944年米国に生まれ、1970年日本国籍取得、正式名は阿南史代。外交官の夫、阿南惟茂氏(現駐中国日本大使)と2人の子どもと共に日本、パキスタン、オーストラリア、中国、米国に居住した。アジア学(東アジア史・地理学専攻)によって学士号・修士号取得。20余年にわたり北京全域の史跡、古い集落、老樹、聖地遺跡を調査し、写真に収めてきた。写真展への出品は日本、中国で8回におよぶ。
 

 
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
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