木と石と水が語る北京Q 歴史学者 阿南・ヴァージニア・史代=文・写真
泉のほとりに水を求める
 
 
ペットボトルに水をくむ人々

 伝承によると、龍王一族が北京の甘い水をことごとく盗んだとされている。彼らは水をすべて近くの丘に運び去り、一族の私用に供した。高亮という若い勇者が後を追ったが、やったことといえば苦い水の樽を壊しただけだった。苦い水は急流となって北京に逆流し、勇者も馬もおぼれてしまった。このため首都の井戸水も泉水も苦くなり、甘いまろやかな水を飲むには、近くの丘に登らなければならないのだと伝説は語る。

 どんな日でも、夜明け早々にハイカーたちが北京西郊の丘にある、名の通った泉に群がる。あらゆる年齢、階層の人々が、おいしい飲み水を求めてすり減った敷石道をとぼとぼと歩いて登る。彼らはリュックに、空の一リットル用ペットボトルを詰め、いつでも水が満たせるように準備している。こうした泉は、辛うじて水がぽたぽた落ちる程度のものが多く、いきおい水を集める人は、早朝にやって来て列を作らねばならない。
 
 「私は朝4時の動物園行きのバスに乗り、そこでさらに香山行きに乗り換えます」と「老劉」の名で仲間内に知られる老紳士が言った。72歳の老劉はゆっくりと自分のボトルに泉水が満たされるのを待っていた。
 
 「私は週に3〜4回来ます。新鮮な空気に触れていいハイキングですよ。ほかの人より先にここに来たいのですよ」。やがて老劉は大きな岩の後ろにしゃがみこんで、ハンガーの先にプラスチックのコップを取り付けた手製の柄杓で新鮮な泉の水をくんだ。「近頃はここじゃほんの少ししか水が出ません」。彼はぶつぶつとつぶやきながら、注意深く水をコーラのボトルにいれた。

 

 6時半までに、老劉は20リットルの水をボトルに満たした。他の人たちは辛抱強く待ち、なかには、水を満たしたボトルがうまく老劉のリュックに収まるよう手伝う人さえいた。老人ばかりではなく若いカップルもいて、長い列ができていた。水くみの人々の間には思いやりがあり礼儀をわきまえていて、仲よくおしゃべりしたり、水にまつわる情報を交わしたりして、穏やかな雰囲気であった。
 
 「待っている間に、私のボトルの水を一口いかがですか。ここの水はきれいでお腹をこわすことはありませんよ」と老劉が言った。水くみがこれほど大変な仕事であったにもかかわらずだ。
 
 初め、私はボトルに口をつけずに飲んだ。「ご遠慮なく、あなたのばい菌がついても私は気にしませんから」と彼は笑いながら私に言った。「私も全然気にしませんよ」と私も笑って答えた。やがて彼は石の道を降って行った。肩に大きな荷物を担いで世界を巡るサンタクロースのようであった。
 
 山中の古寺の敷地内に別の泉があった。同じように水をくむ66歳の王慶善さんは、良質の水のことなら何でも知っていた。彼は中国西部の砂漠地帯で34年間、地質学者として働いてきた。そこで生きるには泉が頼りだった。「水のあるところに人あり、水が無ければ人も無し」。あの過酷な環境下での生活を、彼はこのように簡潔に表現した。

おいしい水を求め、リュックいっぱいにペットボトルを詰めてやってくる

 退職後、彼は北京北部の故郷に帰って息子一家と一緒に暮らしている。しかし彼は、清らかな泉の水の味わいが忘れられず、週に数回、片道45分の道を歩いて金山寺の泉までやって来る。「うまい水をつくるのは石です」と彼は断言した。「ここはいい水ですよ。この付近にはほかにもいい泉がありますが、ここのも劣りません。それに無料です」と冗談を言った。
 
 彼は空のボトルを「金山泉」の傍らに並べて、ほかの人が来ないうちに自分の場所を確保した。ここの泉は源泉から水路を分岐させ、管を通して流れてくる。「普通の生活をするのに、人はそれほど多くの水を必要としません」と王さんは思いを述べた。彼は現在の都市生活で肥大化する消費主義に対して、簡素な生活を良しとしていた。
 
 王さんが苦労して集めた17リットルの水をパックに詰めていると、大きなドラム缶を持った人たちが車で乗りつけた。彼らは水を売ろうというのだ。しかし、王さんがくんだ水は家族が使う分だけだった。彼は数日後に再びここを訪れるだろう。人は谷から谷へと泉を求めて移動する。そしてそこにはいつも同じように、ペットボトルに水を集める人々の列が見られるだろう。彼らは老龍王などものともしない。

(訳・小池晴子)五洲伝播出版社の『古き北京との出会い』より

 
 
     
 
筆者紹介
阿南・ヴァージニア・史代 1944年米国に生まれ、1970年日本国籍取得、正式名は阿南史代。外交官の夫、阿南惟茂氏(現駐中国日本大使)と2人の子どもと共に日本、パキスタン、オーストラリア、中国、米国に居住した。アジア学(東アジア史・地理学専攻)によって学士号・修士号取得。20余年にわたり北京全域の史跡、古い集落、老樹、聖地遺跡を調査し、写真に収めてきた。写真展への出品は日本、中国で8回におよぶ。
 

 
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
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