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「焦りや不安」から「身近な日常」歌う 中国揺滾の20年
                                                                                       高原=文

 中国ロックが生まれたのは、今から20年前。1961年生まれの崔健が、1986年5月の国際平和年のコンサートで歌ったのが最初だ、言われている。

 当時の社会に溢れていた焦りや不安を歌ったロックは、時代の変遷の中で、その表現やスタイルが変化している。それはまさにロック自身が、時代を反映しているということなのかもしれない。

「二手バイ瑰」の登場

ステージ上の崔健

 2005年、「二手バイ瑰」のロックグループが突然、幸運に恵まれた。彼らの独特な姿や演奏スタイルは、多くの人の注目を浴び、また論議の焦点にもなった。

 「二手バイ瑰」の一番の特徴は、東北伝統の曲芸である「二人転」とロックを一つにしているところだ。歌詞はユーモアや冗談を交えた会話調で、東北の方言で歌い、着ているのは伝統的な中国服。チャルメラ、弦楽器など中国民間の音楽の要素を合わせることで、「二手バイ瑰」の音楽は、色濃い中国テイストとポストモダンの趣を持っている。

 ある人は、ロックグループが奇をてらったことをして、何が不思議なのだと言うかもしれない。しかし中国のロックミュージックにすれば、これはとても特別な現象だった。

1986年から1995年

 20年前、北京で、国際平和年を記念した百人の歌手によるコンサートが開催され、その中で名前の知られていない男性歌手が新曲を歌った。会場の人たちは、その曲のリフレインの部分を聞くうちに、いつのまにか彼と一緒に歌い始めていた。

 何年も経ってこの歌手は、中国ロックの代表とされ、この曲は中国のポップミュージックのスタートを表すものになった。その歌手こそ崔健であり、歌われたのは『一無所有(俺には何もない)』だった。

 その後、中国のロックは、まるで雨後の筍のように現れた。ロックはオリジナルポップミュージックの大半を占め、10年も経たないうちに、ものすごい勢いでピークを迎えた。

 その時期はまさに、中国が開放に向かっている時代だった。若者は、内外の様々な情報や思想に接して、目がくらむような思いだった。そして自分はその中から何を選択しなければならないのか分からず、空虚感やどうやって前に進むのかという焦りに満ちていた。こうした気持ちが、ロックを通して率直に表現された。

 当時、中国のロックのメロディーはとても簡単で、特徴は歌詞とセリフにあった。様々な社会現象に対しての考えや、自分に対する反省を歌詞やセリフに込め、歌は深刻な考えを表現し伝えるものだった。

 例えば何勇の『鐘鼓楼』、張楚の『老張』など、その強い社会批判のロックは、多くの人を引きつけた。しかし、そこに込められたメッセージなどは、音楽自体が背負うにはあまりにも重い荷物だった。

1995年以降

「二手バイ瑰」のグループ

 1995年以降の中国のロックは、激しい前の時期と比べて、とても控え目だった。それはその当時の人たちが、声をからして大きな声を上げたりする音楽や、真面目な考えを必要としなくなったからかも知れない。そのため多くの人は、穏やかな音楽で時を過ごすことを選んだ。

 1997年、「清醒」というグループが現れ、これが本当にロックグループなのかと人々は不思議に思った。それまで人々が持っていたロック歌手のイメージは、だらしない格好をして、社会に憤る「外れた」青年だった。しかし「清醒」のメンバーは、とてもかっこよくおしゃれで、おとなしそうな男の子たちだった。歌もとても軽やかで楽しく、ただ日常生活の中のちょっとした思いを表現しているに過ぎなかった。

ロックの再興はなるか

 その後、「子曰」や「羽泉」などのロックグループが現れ、彼らのスタイルも様々だった。前の世代の人たちと比べると、彼らは更にロックの音楽性を重視し、より個人の生活体験に関心を持っている。そのため多くのかつてのロックファンは、今のロックは80年代の真剣さや思想がなく、俗っぽい傾向があると批判する。

 特に「二手バイ瑰」の、大げさで、ユーモラスな表現は、80年代の「ロックの経典」の反抗でもあり、多くの人が好んでいるが、常に低俗と非難されてもいる。

 しかし論議がいくら多くても、様々なロックグループは、様々な場所で次々と誕生し、彼らのは音楽ファンの手に渡っている。

 中国のロックが生まれ、今に発展するまで20年が経った。現在すでに多くの人に注目されることはないが、一部の確実な音楽ファンの中では流行している。しかし重い思想を逃れたロックは、より音楽の本質に近づいてエネルギーを持ち、勢いを盛り返してくる日も近いかもしれない。



 
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