生活環境を守るために

謝桐洲さんが水田で飼っているアイガモは、稲の生長を助けるため、村人たちから「アルバイトくん」と呼ばれている

 江蘇省南部の丹陽市延陵鎮西洲村に住む謝桐洲さん(56歳)の水田は、青々とした稲の上を数羽の白鷺が軽やかに飛んでいて、絵画のように美しい。差し出された名刺には嘉賢米業有限会社社長という肩書きが記されていたが、使い古した麦わら帽子をかぶり、真っ黒に日焼けした顔をほころばせる姿は、素朴な農民そのものだった。

 しかし謝さんは普通の農民とはひとあじ違う。1970年代から生産隊(人民公社の基礎となった農村の生産組織)の農業技術員を務め、その後、独学で専門学校卒の学歴を得た。「うちの水田はほかとは違いますよ。アイガモ農法をいかし、有機米を作っているんです」と自分の水田を指差しながら話す。

 確かによく見ると、緑鮮やかな水田には雑草がなく、苗が整然と勢いよく伸びている。そして水田一つ一つを緑色の巻き網で囲んであり、その中を茶色のアイガモが泳いでいる。畦には小さな鴨小屋もある。巻き網はアイガモが迷子になったり、野良犬に襲われたりするのを防ぎ、鴨小屋はアイガモが休んだりエサを食べたりするところだと言う。

鎮江市水禽研究所の戴網成所長(右)が育成した優良品種のアイガモ。当地の水田での成育率は98%に達した

 アイガモ農法とは、アイガモを水田で放し飼いにし、米とアイガモを同時に育てる方法だ。中国語では「稲鴨共作」と呼ばれる。雑食性の家禽であるアイガモは、水田の雑草や害虫が大好物。アイガモが毎日、水田の中でエサをあさり、動き回ることで、中耕(畝を浅く耕すこと。空気の通りをよくし、地温を高め、根の呼吸や吸収を促すために行う)の働きをし、稲の生長を促す。また、アイガモの糞もよい肥料となる。

 謝さんは2000年からアイガモ農法を始めた。当初は30ムー(1ムーは6.67アール)の水田でのみ行っていたが、この技術が成熟し完璧なものになるにつれ、アイガモ農法を行う水田を徐々に広げていき、今では430ムーに増やした。アイガモ農法に関わるようになったのは、農業技術員を務めたことがきっかけだと謝さんは語る。

 西洲村の農民は1960年代から、化学肥料や農薬を使い始めた。最初の頃は、化学肥料や農薬の量が少なく、その供給は計画的だった。「うちの村はモデル村だったので、供給量はほかの村よりずっと多かった」と謝さんは当時を振り返る。化学肥料や農薬は手軽に使えるし、増産効果も高かったため、すぐに農民たちの間に普及した。しかしその科学的な使用法や合理的な使用量についてはほとんど知られていなかった。

しっかりと自分の持ち場を守るアイガモたち

 70年代から80年代にかけて、村人十数人がさまざまな癌によって相次いで亡くなった。「最初は何も気づかなかったんです。1985年に、化学肥料や農薬には発癌作用があると新聞で知り、びっくりしました」。

 それ以降、農業技術員である謝さんは、できるだけ化学肥料や農薬の使用を控えるよう、あるいは比較的安全な種類を選ぶよう、村人たちを指導した。しかしそれでも根本的な問題を解決することはできなかった。改革・開放以来、一部の先進国は自国で使用が禁止されている農薬や除草剤などを中国へ売り込んでいたのだ。これらが大きな危害をもたらし、長期にわたって人々の生活に影響を与えるとは、当時の中国人はまだ知らなかった。

アジア共通の技術

 「化学肥料や農薬を一切使わない農法を、私はずっと探し求めています。そうしないと、故郷の土地は私たちの世代で使い物にならなくなってしまいますよ!」謝さんは真剣な表情でそう話す。

 謝さんと同じように考える人は多い。1999年、丹陽市の隣の鎮江市の科学技術局に勤める沈暁昆さんは、偶然、除草剤の代わりにアイガモ農法を利用する日本の学者の研究文を読み、非常に関心を持った。そこで、日本の農文協(社団法人農山漁村文化協会)を通じて、その研究者と連絡を取った。2000年、日本の専門家である古野隆雄さんと萬田正治さんが鎮江市を訪れ、中国の農業技術科学研究者たちとともにアイガモ農法について意見を交わし、検討した。そして同市でアイガモ農法のテストを始めることになった。

日本合鴨水稲代表会世話人の古野隆雄さん(右から3人目)と萬田正治さん(同2人目)は2000年3月、アイガモ農法の視察のため、鎮江市を訪れた(写真・沈暁昆)

 実は、日本が中国に伝授したこの技術は、もともとは中国で発生したものだ。800年前、中国の農民たちはカモが害虫や雑草を食べることに気づき、水田でアヒルの放し飼いを始めた。日本の学者はこの発想に着目し、科学的な方法で水田やアイガモの各成長段階の管理基準を決め、新しく完璧なアイガモ農法を作り出した。このアイガモ農法は、日本では90年代から普及するようになった。

 鎮江市は2000年、アイガモ農法の研究にふさわしいアイガモの品種を育成するため、水禽研究所を設立した。研究所の戴網成所長は、中国の30種あまりのアヒルを調査し、最終的にカモと卵用種のアヒルを交雑させ、鎮江市のアイガモを育成した。このアイガモは体が小さく、順応性が高い。また、運動量が多く、野生の生物が好物だ。謝さんはさっそく、自分の家の30ムーの水田で、アイガモ農法のテストを始めた。

 水田でアヒルを飼う中国の伝統的な方法では、アヒルを昼間は水田に放し、夜には小屋に戻す。しかしアイガモ農法では、アイガモの雛を巻き網で囲まれた水田で昼夜生活させている。これは稲が穂を出すまで続く。

 現在、鎮江市でアイガモ農法を行っている水田はすでに一万ムーに達した。浙江、江西、江蘇、安徽、雲南、四川、広東、河南など他の省でもアイガモ農法の普及が始まっている。さらに、ベトナム、フィリピン、ミャンマー、マレーシア、インド、パキスタン、韓国など稲作が盛んなアジアの国々でも、この技術を進めている。

収入アップを実現

水田のアイガモたちは、害虫や雑草を食べるほか、毎日夕方にはエサをもらう

 謝さんの家は村の南端にあり、水田に接している。大きな平屋建ての家と花や木が生い茂った庭は、田野のさわやかな香りと静けさに包まれている。

 アイガモ農法の成果に謝さんは満足している。化学肥料や農薬を買う必要はなく、アヒルの雛を一ムーあたり15〜18羽購入すればいいだけだ。今年は、当地の政府がアヒル1羽あたり2.5元の補助金を支給してくれたので、自己負担は1羽あたり1元で済んだ。

 また、稲が穂を出したあと、アイガモは売りに出すことができる。中国人はアヒルを食べる習慣があり、江南の人は特に醤鴨(醤油煮込み)、板鴨(塩漬けにし板のように平らにして乾燥させたもの)、煮込みスープなど、アヒルの伝統的な料理が大好きだ。しかもアイガモ農法によって育ったアイガモは、カモの血筋を受け継いでいるうえ、水田で雑食し、十分に運動しているため、とてもおいしい。価格も普通のアヒルより500グラムあたり一元あまり高い。また、アイガモ農法で育てた有機米も普通の米の3〜4倍はする。「すべてを合わせて計算すると、一ムーあたりの収入は他の水田より200元ほど多いんですよ」と謝さんは話す。

「第4回アジアアイガモ農法シンポジウム」が2004年7月、鎮江市で開かれた。参加国や参加者の数はこれまでで最高だった(沈暁昆)

 謝さんは02年、自分の精米工場を建設し、有機米の精米、販売を始めた。さらに、自分のブランドまで作り出した。5年前からアイガモ農法を始めた隣村に住む張西川さんは、精米のことで相談をしに、ときどき謝さんの工場を訪ねてくる。張さんにはすでに、固定の取引先がついている。稲の刈り入れ時期になると、取引先が買い入れにやってくる。

 謝さんは3〜4人を雇って水田を営んでいる。水田のほとんどは、村人から賃借りしたもの。こうすることで、近隣の水田で化学肥料や農薬が使用されるのを防ぎ、効果的なアイガモ農法が行える。一家族の2〜3ムーの水田だけで行っていたら、もし近隣の水田で化学肥料や農薬が使われた場合、水が交じり合ってアイガモが死んでしまうのだ。

 しかし、みんなが水田面積を広げられるわけではない。改革・開放以来、働き盛りの男たちは農村を離れて都市へ出稼ぎに行き、家で農業を営んでいるのは老人や女性たちとなった。体力や気力、知識があまりない老人や女性にとって、技術性の高いアイガモ農法は簡単なことではないのである。


参考データ
 

 ▽水田でのアヒルの飼育

 水田でアヒルを飼うことは、中国の伝統的な農法で、1960年代にはその技術が確立した。しかしその後、アヒルが苗を踏んだり、稲穂を食べたりしてしまう、あるいは、化学肥料や農薬によってアヒルが毒されてしまうなどの理由により、この技術は普及しなかった。

▽アイガモ農法

 アイガモとはアヒルとカモを交配させたもの。

 一般的には、孵化後7〜10日の雛を水田に放し、毎日1回エサをやる。しかし鎮江水禽研究所は今年、孵化したばかりの雛を直接水田に放す方法を試験的に開始。この方法は、アイガモの野性的な本能を呼び起こすため、死亡率を大幅に低下させるだけではなく、体質もよくすることができる。来年にはこの新しい技術を普及させ、さらなるコスト減を目指すという。


農薬や除草剤を使用せず、アイガモが雑草や害虫を食べることで育った汚染されていない有機米

 
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