秘境アバの自然と民族 I

かつての栄華を物語る  チャン族黒虎寨の砦

劉世昭=文・写真
 
  チャン族の村は、茂県の黒虎峡谷を流れる鷹嘴河の岸辺の山地にある。その一平方キロ近くの所には、31の「チョンロン」と呼ばれる石造りの砦がそびえ立ち、ここは古代、チャン族が建てた砦が最も多く保存され、完全な形で残っている場所である。


外敵から村を守る

母屋には、様々な神や祖先の位牌が祭られている

  中国の古い民族の一つであるチャン族は、現在、約20万人いる。そのほとんどが、四川省西北部の岷江の上流地域に分布し、その中でも茂県は9万人が住む、最も大きいチャン族の集落地だ。

 かつてチャン族は、一時とても栄えていたことがあり、その中の一部族であるタングートは、宋時代に西夏(1032〜1227年)を建て、西北地域を統一した。茂県の県城から28キロ離れた黒虎寨の人たちは、タングートの血を引いている。

村人は白石塔の下で、天神や山神、祖先を祭っている

 黒虎寨はかつて黒猫寨と呼ばれていた。漢時代(紀元前206〜紀元220年)には小さな村落で、村人たちは狩猟で暮らしを立てていたが、唐時代(618〜907年)以後になると、放牧や栽培を主とした。そして外からの侵略に抵抗し、自分の家を守るために、村人たちは山の上に9つの砦を築いた。

 黒虎寨の人たちの住居は、山地に点々と建っていて、それぞれの家は小道でつながっている。これらの石や木で出来た住居のほとんどが砦の近くに建てられ、その堅固な石の壁や小さな窓は、外敵の侵入を防ぐことができるようになっていて、実際これらの住居は、戦時には砦として使われた。

黒虎寨の英雄

山地にある黒虎寨

 耕地と砦の間では、白い布を頭に巻いた女性を多く見かけた。その人たちは、亡くなった親族の喪に服しているようだった。

 村には、知識豊かな祈祷師の任永清さんがいる。村のことについて話を聞くために、今年80歳の任さんを訪ねると、彼は村についてこう語り始めた。

黒虎将軍の墓

 明代、村からは知勇兼ね備えた英雄が出た。彼の功績はとても顕著で、朝廷から黒虎将軍と封じられた。黒虎将軍は故郷に錦を飾ったあと、村のチャン族の人たちを指導して農業生産を増やし、砦を増築して外からの侵略に抵抗できる力を強め、村は日増しに強大になっていった。しかしそれは朝廷の不安を引き起こし、黒虎寨は攻められる。黒虎将軍はチャン族の人たちを率いて抵抗したが、衆寡敵せず、勇敢な最期を遂げた。この時から婦人たちは白い布を頭にかぶり、この英雄をしのぶようになったという。そしてこの白い布は、「万年孝」と呼ばれている。

祭事に忙しい一年

住居の下の部分にある窓は、敵が入ってきた時に射撃口として使っていた

 任さんは、黒虎寨と谷間に向き合った山腹に住んでいる。いつも黒虎寨やそれ以外の村で行われる祭祀に行く時は、谷間を渡り山を越えて行くため、体はとても丈夫だ。祈祷師は、豊富な知識と占いの技術が必要で、任さんも12歳から祖父について学び、26歳でやっと祈祷師になった。黒虎寨では1年に、どのぐらい大切な祭祀をするのかと尋ねた。

任さんが祭祈の時に使う様々な法器

 「旧暦正月9日の上陽会、2月19日の観音会、真武大帝の誕生日の3月3日の娘娘会、4月8日の灌仏会、5月5日の端午の節句、6月13日の竜王会、7月15日の玉帝会、9月19日の観音会、10月18日の地母会、11月19日の太陽生など、この日になると、村の人たちは鶏をしめ羊をつぶしてお礼参りをします。私もその行事を中心に執り行い、神に願い事をするのです」

 話に熱が入っていた任さんは、祭祀に使う法器の響盤や、卜骨、鷹の頭骨、豹の頭骨、熊の牙、イノシシの牙、人間の骨、卦、法螺貝などを、一つ一つ出してきた。任さんはその他にも、山林がむやみに伐採されないために、毎年村で山神を祭る行事や、各家の冠婚葬祭にも呼ばれる。

49日の供養

祈祷師の任永清さん

 任さんは山の上の住居を指差しながら、先日、村人の楊万成さんの母親が亡くなり、今日はちょうど49日に当たると言う。親戚や友人が墓に行くというのを聞き、楊さんの家を訪ねた。

 楊さんの家の入り口には、祖先をしのぶための対聯と、家を守る二枚の護符が貼ってあった。上には、「勅令竜吟福宅伏コウ鎮位 勅令虎嘯祥門伏コウ鎮位(竜と虎が勅令を受けて、悪魔を払い家を守る)」と書いてあり、それは、任さんが書いたものだということがすぐに分かった。

  母屋の正面には、「天地親師」と書かれた位牌が安置されていた。楊家の人は供え物の準備に忙しそうで、野菜を洗いご飯を炊いて、供養が終わったあとの食事も用意していた。門前には、弔いのために使う線香や爆竹などを持った親戚や友人たちが、多く集まってきた。

49日の供養の様子

 お昼の12時、爆竹やチャルメラ、銅鑼、シンバルの音が響き、49日の供養に行く人たちの列が出発した。山腹に着くと、持って来た供物を並べ、楊家の人たちは墓の前にひざまずき、泣いて故人を弔った。

 麓には黒虎将軍の墓と、当時、村を守った戦いの跡が、うっそうとした林の中にそのまま立っていて、ひっそりと昔の歴史を語っているようだった。


 

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