静かに広がる「国学」ブーム
                                                                             丘桓興=文 楊振生=写真

 中国でいま、「国学」が見直され、静かなブームを呼んでいる。「国学」とは、孔子、孟子だけでなく中国の伝統的な思想や文化、学術のすべてを含んでいる。

 いま、なぜ「国学」なのか。

 生活にゆとりが出てきて、人々が伝統文化の精髄を吸収したいと思い始めたこともあろう。また、市場経済の発展につれて、一部には金銭万能主義が生まれ、商業道徳の堕落が大きな社会問題になってきた。国民の資質や公徳心を高め、社会の空気を浄化して、調和の取れた社会の発展を促そうというのが「国学」ブームの背景にある。

 「国学」ブームの現状と将来をレポートする。

孔孟の里で「国学課」開設

2005年10月、中国人民大学国学院が設立され、開校の式典が挙行された(国学院提供)

 山東省は、孔子、孟子の故郷である。近年、省都の済南では、多くの学校に「国学課」が開設され、子どもも親たちも喜んでいるという。

 大明湖路小学校で使われている「国学」の教材は、ワンセット12冊。『四書五経』の精髄となっている章節や名言、警句、それに古典文学の名編が収められている。国学の授業は、試験はなく、ある状況を設定して学習する「状況学習」の教育の形が採用されている。優秀な伝統的文化を学ばせることによって、子どもの思想や道徳を育てることを重視している。

 五年生の鄭晨君は、クラスメートと喧嘩したことがある。彼は『論語』の「朋あり、遠方より来たる。亦、楽しからずや」という孔子の名句を読んだ時、顔を赤らめた。彼は自分の過ちを認めようと思ったが、恥ずかしくてとうとうできなかった。しかし『左伝』の「過ちを知り改めれば、これより善いことはない」というところを読んで、ついに勇気を出して謝ったのだ。

開校式で挨拶する紀宝成・中国人民大学学長(国学院提供)

 また小学校3年生の男の子は、真面目に宿題をやらなかったため、母親は怒って、彼をたたいた。次の日、母親がそのことを尋ねると、子どもの答えは意外なものだった。彼は『礼記』の一節を引いて「君子は親の過ちを忘れ、親の長所を敬うべきだ」と答えた。これは「国学」の授業で学んだという。若い母は「国学のおかげで、私たち親子はコミュニケーションが取れました。感謝しています」としみじみと言った。

 経五路小学校は「国学」の精華を五つの特定のテーマに分けた。それは@礼儀、孝行、節操を含む伝統的美徳A文学や古典B書画や民間工芸、民間風俗習慣、伝統演劇、歌舞などの民族芸術C武術D斉魯文化などである。これらを「民族文化に親しむ課」の授業で講義する。面白い課目なので、子供たちが待ち望むコースとなっている。

 学校は、対象に応じて異なる方法で授業を行っている。1、2年生には古い詩文を読ませ、伝統演劇を鑑賞させるほか、身をもって体験させる授業もある。

 国際婦人デーの3月8日、先生たちは児童に、自分が生まれたときの体重を聞いて、学校へ行く時、その重さの穀物や砂の袋を身体に縛りつけて来るようにと要求した。子どもたちは親の自転車の後ろに座っていても、へとへとになった。そして「ママが自分を妊娠したときは、本当に大変だったのだ」と言うのだった。これは、「母親の恩に感謝する」孝道教育の一つで、子どもたちに深い印象を残した。

紀宝成学長(右から3人目)は国学院院長の馮其庸教授(右端)と常務副院長の孫家洲教授(中央)に国学院の旗を授与した(国学院提供)

 3、4年生の授業は、手作業が主である。凧を作らせたり、年画や扇子の絵を描かせたり、古い雑誌や発泡スチロールなどの不用品で民族的な衣装を作らせる。こうすることで、審美眼を育てるとともに、環境保護の意識も強めることができる。

 5、6年生の授業は、分析と実践に重点を置いている。済南の伝統的な建築を研究するため、児童たちは先生の指導の下で、グループに分かれて古い町並みを歩き、古い横町を訪ね、資料を調べ、写真を撮った。

 調査研究が終わった後、みんなで討論し、済南市政府の計画局に手紙を書いた。その中で、済南の古い建築の保護について、法律を制定し、説明板を設置し、一部の古い民家を修繕するなどの提案を行った。思いがけないことだったので、先生や親たち、都市計画の関係者は大喜びした。

「国学」の普及のために

北京大学の西門の外にある「一耽学堂」

 日曜日、北京大学の西門の外にある古びた二間の平屋に、20人余りの青年たちが集まって、首都師範大学教師の王瑞昌博士の『孟子』の講座を静かに聞いている。それは「一耽学堂」という「国学」の講座である。

 2000年12月、北京大学哲学学部の大学院修士の衫飛さんは、ドイツへ行き、博士課程に進むチャンスを放棄して、いくつかの大学に求人広告を貼り、「伝統的文化を発揚し、民族精神を奮い立たせ、社会の気風を改良し、個人の心を浄化する」ことをモットーとする「一耽学堂」のために、ボランティアの先生を募集した。

 2001年1月、「一耽学堂」が発足し、北京大学や清華大学などの大学や中国社会科学院からの三十数人の修士が、最初のボランティアとなった。彼らは北京の十数校の小学校で、「国学」の初歩を教え、中学生には伝統的文化の知識を講じ、大学生には特定のテーマの「国学」講座を開設した。

『孟子』を講ずる「一耽学堂」のボランティア、王瑞昌博士(左端)

 この5年来、前後150人の博士、300人以上の修士、550人以上の大学本科生、さらに牟鍾鑒、裘錫圭、楼宇烈、呉小如ら有名な専門家が、『論語』や唐詩、宋詞、明・清の小説、古代文化史、法制史、建築史、思想史などの知識講座で授業を行った。

 大学に開設された「儒学と人生」「老子道家の知恵」の講座や古琴、書法、京劇、民間歌謡などの芸術講座の聴衆は、のべ25万人以上に達した。この2年間、学堂はさらにボランティアを河北、山西、江蘇、甘粛、安サユなどに派遣して、講義を行っている。近年、人々の要求に応じて彼らは、北京の一部の公園や大学のキャンパスで、朝の運動をする年長者を集め、朝日の中で『論語』や『孟子』、古典の詩や詞を朗読するのを指導した。

 「一耽」とは、毎日一時間、何かにふけるという意味である。しかし、彼らが払ったのは一時間にとどまらない。ボランティアの大学生も、授業をする教授も、だれもが一銭も取らず、逆に交通費を自ら払った。「一耽学堂」を創設するため、衫飛さんは母親が出してくれた結婚費用さえつぎ込んだ。だから彼は、2001年の1年間、「一耽学堂」の台所で寝、冬は白菜、漬物、醤油に漬け込んだネギばかりを食べていた。この話は『論語』の「賢なるかな、回や……」(なんとすぐれた男であることよ、顔回という男は……)という孔子の言葉を思い起こさせる。

国学院の専門家たちは日本から来訪した学者と、漢代の『算数書』の研究成果を討論した

 この数年、経済の発展や物質生活のレベルの向上につれて、一部の人の社会道徳観念が低下する現象に直面し、「国学」の中から「徳」の力を復活させようという世論が起こってきた。このため、「一耽学堂」の「国学」普及活動は、社会から広く賞賛されるようになった。

 『中国青年報』と新浪ネットが1万8722人を対象に行った調査によると、約75%の人が、「国学」が修養を積むのに大いに役立つと考えている。ネットの上には「『国学』の蘊蓄は、現代の中国人が心のよりどころを得る根本である」「『国学』を伝承することによって、一滴の水が一滴ごとに人の心を潤すことができるようになる」といった書き込みが見られる。

 また、現代の人々が、古代の名言として認める言葉は、多い順に次のようになった。

 一位:「達則兼善天下、窮則独善其身」(出世すれば天下をよく治め、苦しいときには独りその身をよくする)」(『孟子』尽心章句上)

 二位:「天下興亡、匹夫有責」(国家の興亡に一般の人もみな責任がある)(顧炎武の『日知録』)

 三位:「富貴不能淫、威武不能屈」(富貴も淫するあたわず、威武も屈するあたわず )(『孟子』滕文公下)

 四位:「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」(天下の憂いに先立ちて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ)(范仲淹の『岳陽楼記』)

隋・唐の歴史の授業を受ける中国人民大学国学院の学生たち

 社会で沸き起こった「国学」ブームに続いて、北京や各地方の大学で「国学」の授業や講座、フォーラムが相次いで開設され、人々は先を争うように参加している。北京大学に開設された「乾元国学教室」は、学費が高いにもかかわらず、企業家たちがわれ先にと参加して教えを請い、需要に応じきれない。また「国学ショートメッセージ」が設立され、このショートメッセージを受けた人は毎日、携帯電話で一つの「国学」の名句やそれに関する専門家の解説を読むことができる。

 中国の「国学」ブームは世界にも波及している。全世界に中華文化を広め、世界の平和的発展を促進するため、2004年、中国政府は海外に孔子学院を百校設立すると宣言した。現在、日本や韓国、シンガポール、米国、フランス、カナダなどの国で、すでに四十校以上が設立されている。

「国学」研究の人材育成

国学院常務副院長の孫家洲教授

 しかし現在、「国学」の授業や講座、フォーラムで教えているのは、ほとんどがお年寄りの教授だ。「国学」は、教師と研究者の欠乏という局面に直面している。

 中国人民大学は人文と社会科学を主とする名門大学である。紀宝成学長は、企業家たちによる「国学」の再建の呼びかけを聞いてから、入念に準備し、2005年10月16日、中国人民大学に国学院を創立した。これは現在、高いレベルの「国学」の教育・研究人材を育成する最初の機構である。開学時には、全国人民代表大会、国務院から祝詞が届けられた。一部の国家指導者や多くの学界のオーソリティー、企業界の名士たちが開学の式典に参列したことから、「国学」の振興に対して社会各界が非常に注目していることがわかる。

 国学院の常務副院長の孫家洲教授は、「国学」は中国の伝統的文化と学術の略称である、と述べている。中国にはもともと、「国学」を研究する伝統があったが、近代になって、西洋の学問が次第に東洋に伝わって来て、中国は各段階の教育で、科目に分けて教育する西洋の教育体制を実施した。その結果、文学、歴史学、哲学などが「国学」に取って代わった。

 しかし、文学、歴史学、哲学の一体的な研究を特色としている「国学」は、伝統文化の研究において、依然として役割を発揮している。清華大学の国学研究院は1930年代に、4年間しか開設されなかったが、その間の王国維、梁啓超、趙元任、陳寅恪ら大家による国学の研究成果は、今日の学術にも深い影響を及ぼしている。

瀋陽市寧山路小学校の「国学」の授業

 現在、人民大学の国学院は、同大学の文科系の1年生と2年生から、優秀な58名の学生を採用した。6年制で、卒業すれば修士の学位が授与される。国学院は、専任教師の他、同大学の文学、歴史、哲学の各学院から兼任教師も招き、さらにさまざまなルートを通じて、国内外の「国学」の専門家も礼を尽くして招聘している。

 馮其庸教授は国学院の初代の院長に任じられた。彼は長期にわたり古代文化、芸術史の研究に力を尽くし、古典的名著である『紅楼夢』研究の権威である。近年、彼は西域学の研究を提唱し、10回も新疆へ行き、西域文化を研究し、玄奘法師のインドへの取経ルートなどを考察した。

蘇州のある私塾は「淑女学校」を開設し、学生たちは「国画」を描いている

 彼は国内外の「国学」専門家と繰り返し研究した後、「国学基礎」「国学文献」「国学思想」の各研究室を設立する以外に、さらに西域歴史言語研究所、竹簡や木簡、絹に書かれた文書などを研究する簡帛研究所、海外中国学研究所などを設立することを決めた。

 同時に国学院は「国学フォーラム」を開設し、定期刊行物『中華国学』を編集し、『西域の歴史と文化研究』『チベット学研究』などの叢書を出版し、こうした学問の発展を推進した。

 学問の基礎を固めるため、国学院は1年生と2年生に対して「国学通論」「国学入門」「中国通史」「海外漢学研究」などの専門科目を開設した。同時に、学校の内外の有名な先生を招聘し、『論語』『孟子』『左伝』『楚辞』『孫子の兵法』など40種以上の原典を講義して、学生たちに深く詳細に読ませている。

陝西省で挙行された児童の「国学」朗読会

 隋唐の歴史の授業では、孟憲実教授は、関連する史籍、辞典や年鑑、研究論文を全面的に紹介し、陳寅恪ら大家の学術的観点を重点的に論評し、その後で「隋唐時代はどうしてみな、北方から全国を統一したのか」との問題を提起した。これによって、南北の地方政権の政治制度や経済的実力、民族政策、文化の特徴、民衆の性格、自然環境などの相違から、みなに討論させた。このような討論形式の教授法は、学生が文史哲の一体的な学習と研究に従事する能力を高めるのに有益である。

 毎週日曜日の午前中、簡帛研究所は北京の各大学と研究機関の簡帛の専門家と博士、修士の院生を招き、国学院で、各地から出土した古代の簡帛を研究・解読する。そうした細かい研究の気風は、積極的な反響を呼んだ。今年の3月10日、日本の古代文字の専門家である大川俊隆氏と吉村昌之氏が、日本の研究グループによる張家山出土の百九十数枚の漢簡『算数書』についての研究成果を持参した。そして国学院に来て、中国の研究者と討論した。中国側の意見を聞いた後で、正式に出版する予定だ。

「国学」と調和が取れた社会

 日本の東京大学の特別招聘教授であるキン飛氏は、日本在住の中国の学者で、主に中国の伝統文化と中日文化交流について研究している。近年来、東京大学の代表として北京に常駐している。

 現在の「国学」ブームについて、キン飛氏は次のように語っている。

 「『国学』は、代々の先賢たちの知恵の結晶である。2500年以上前に、孔子は諸国を周遊した。孔子は高官に就くことはなかったが、彼の思想と知恵を『論語』に凝集した。現在の人々が『論語』を読むときは、落ち着いてまじめに読むならば、その中からいっそう多くの養分を汲み取ることができる。

東京大学の特別招聘教授のキン飛氏(写真=王衆一)

 青少年が『国学』を勉強するときに、重要なのは国学の精髄を理解し、優秀な思想と美徳を吸収することである。日本の清水寺の長老の和尚が毎年、年末になると、一文字でその一年を総括する。それと同じように、国学の精華である『仁』『義』『礼』『智』『信』などの内包しているものを深く掘れば、それぞれ一字について一冊の本を書くことができる。国学の核心的価値観は『調和』である。これは、今日提唱されている調和のとれた家庭、調和のとれた社会、調和のとれた世界の建設に、非常に積極的な意義をもっている。

 『国学』を研究するときは、経書、史書、諸子の書、詩文集以外に、古代の農学書や医学書も入念に読むべきである。『斉民要術』(賈思キョウが著した農書)『夢渓筆談』(沈括が著した自然科学書)『天工開物』(宋応星が著した産業百科全書)も読み、『国学』を自然科学と結合させれば研究はいっそう深くなる。

 『国学』には精華もあればカスもある。漢代の『経学』から発展変化してきた宋代の『理学』の特徴は、『造化を奪い、精神を移す』ことである。それによって人と自然の関係がねじ曲げられた。例えば、梅はまぎれもなく暑さにも寒さにも弱い植物なので、気候の寒冷化とともに、黄河流域から長江流域へ自然に移って行った。それなのに『理学』では、梅は『雪と闘い、厳寒に屈しない』と称賛され、桃や菊などの多くの花はしりぞけられた。

 また宋代の『理学』は、人間と人間の関係をもねじ曲げ、人間性もねじ曲げた。『天理存して、人欲を滅す』と提唱した。そして人々に『完全無欠な人』を標準として追随して行動するよう要求し、人間のもろもろの情欲を束縛し、人の個性を抑圧した。

 宋代の『理学』の長期にわたる影響によって、中国人は自らを縛り、言行と考えが一致しない性格を特徴とするようになってしまった。

 だから我々は、宋代の『理学』の『造化を奪い、精神を移す』を批判し、自然の法則を尊重し、それによって人間と自然とが調和のとれた共生をし、人と人の調和のとれた社会を構築するために、『国学』研究が貢献するようにしなければならない」

     
 

メモ

 「国学」という言葉は、日本から伝わった。中国の伝統的な文化と学術の研究を主な内容とする中国の「国学」は、20世紀の初めに興り、1920年代から30年代にかなり急速に発展した。

 その後、「国学」は低調になり、とりわけ1960年代から70年代にかけての「文化大革命」では、古い文化と孔孟の道が批判され、これによってさらに「国学」は低迷した。

 改革・開放後の80年代から90年代には、社会・経済の発展に伴って、人々の間で自らの文化のルーツを探すブームが起こり、「国学」を再建し、「国学」の中から伝統文化の精髄を吸収したいと人々は望むようになった。しかし、現在の「国学」ブームに対しては、学界の中に違った見方もある。

 「国学」の内容は広範囲にわたり、孔子、孟子を代表とする儒学や老子、荘子を代表とする道学、諸氏学を含み、さらに古代の辞賦、詩や詞、小説、歴史学、仏学などをも含んでいる。

 
     

 
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