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日本貿易振興機構企画部事業推進主幹 江原 規由
 
 

世界一の外貨準備をどう生かす


 
   
 
江原規由 1950年生まれ。1975年、東京外国語大学卒業、日本貿易振興会(ジェトロ)に入る。香港大学研修、日中経済協会、ジェトロ・バンコクセンター駐在などを経て、1993年、ジェトロ大連事務所を設立、初代所長に就任。1998年、大連市名誉市民を授与される。ジェトロ海外調査部中国・北アジアチームリーダー。2001年11月から、ジェトロ北京センター所長。
 
 

 ハムレットの名セリフは「生きるべきか、死すべきか、それが問題だ」ですが、2006年2月に日本を抜いて世界第1位の外貨準備保有国となり、同年10月末に外貨準備高が1兆ドルを突破した中国はいま、ハムレットの心境でしょう。「貯めるべきか、貯めざるべきか、それが問題だ」

 21世紀に入ると、中国の外貨準備は急速に積み上がりました。2000年末の外貨準備残高が1655億7000万ドルでしたから、新世紀の6年間でその6倍余に急増したことがわかります。外貨準備の蓄積は、国際経済活動の当然の成果であり、家計の貯蓄同様に問題はないはずですが、今の中国ではその急増が「両刃の剣」となりつつあります。

最大の課題は

  外貨準備が巨額になると、通貨切り上げ圧力や貿易摩擦、インフレ圧力にさらされるなど、通商上や経済運営上のリスク要因も抱えることになります。中国は外貨準備が急増した2005年7月に人民元をドルに対し2%ほど切り上げました。その結果、1ドル=8.11元になりました。

 その後もじわじわと元高が進み、一兆ドル超となった直後の2006年11月には、対ドルレートの中間値が1日、9日、23日、27日にそれぞれ7.88元、7.87元、7.86元、7.85元の関門を次々突破し、2005年7月の切り上げ時に比べほぼ5%の元高となりました(注1)。

 それでも対中貿易で巨額の赤字に悩む米国を中心に再切り上げ圧力は減ってはいません(注2)。中国は、1985年のプラザ合意で円高調整を受け入れた日本が、その後長期間、経済が停滞したこと、また国内産業の国際競争力の低下などへの懸念から、再切り上げには慎重な姿勢をとっています。

 実際、国家や地域間の経済連携が進む今日、レート調整だけで外貨準備が減るかどうかは、やってみなければわかりません。ただ、巨額さゆえにリスク要因が増えつつあり、これにどう対応するかが、中国経済の最大課題の一つとなっていることだけは確かです。

アジア対欧米

 外貨準備の急増の主因は、貿易黒字と直接投資(注3)の拡大です。2005年は貿易黒字が1019億ドル、直接投資が603億ドルでしたから、同年の外貨準備の増加(2090億ドル)に大きく貢献したことがわかります。

 【表】をみると、中国は米国とEUに対し黒字で、東南アジア諸国連合(ASEAN)や日本には赤字になっています。一概にはいえませんが、ASEANや日本からより多く輸入し、米国やEUにより多く輸出することで貿易黒字分の外貨準備が積み上がっているわけです。

 現在、東アジアは世界の成長センターとして、世界経済の成長を牽引しているとまで言われています。この点、中国の市場開放が大きく貢献しているわけです(注4)。

 中国は、1997年のアジア通貨危機では、人民元の切り下げが時間の問題と注目されましたが、「東アジア経済の安定のため」にとの理由で切り下げを踏み留まりました。当時、切り下げ回避の舞台裏には自国の事情もあったわけですが、元高傾向の今日、中国は外圧で人民元の切り上げはしないと明言しています。

 また、外貨準備の急増には、中国の輸出全体の約6割を担っている外資系企業(注5)の存在も無視できません。2001年のWTO加盟から6年を経た2007年には、中国の市場開放はさらに進み、直接投資もM&Aの時代を迎えているなど、新たな展開を見せつつあります。中国の巨額な外貨準備の蓄積に、東アジア諸国・地域と中国に進出した外資系企業が貢献している状況はさらに深まっていくでしょう。巨額な外貨準備にかかわるリスクを背負っているのは、中国だけではないわけです。

中国のリスク

 さて、巨額な外貨準備の行方はというと、中国はその70%をドル資産、20%をユーロ資産、残り10%を日本円や韓国ウォンなど各国通貨資産で所有しています(注6)。米国は、こうした還流資金で巨額な貿易赤字を穴埋めしているわけです。

 現在、長期的なドル安傾向が予想されていますが、そうなると中国の外貨準備は目減りすることになります。かといって、ユーロや日本円の資産比率を増やそうとすると、さらにドル安が進行してしまうというジレンマを中国は抱えています。この点が、外貨準備にかかわる中国最大のリスクといえます。

 では、どうするか。対外貿易では輸入拡大(注7)、構造的な黒字要因となっている加工貿易(貿易総額のほぼ半分を占める)の見直し(注8)、輸出増値税還付率の引き下げ(少ないが、引き上げられた品目もある)など貿易収支差の縮小に向けた措置が最近、矢継ぎ早に採られています。外資系企業にも現地調達の拡大や輸出製品の調整などの機会が増えてきそうです。

 直接投資受け入れでは量から質への転換が提唱されており、労働集約的、資本集約的投資からサービス産業やハイテクなど知的・高付加価値部門への投資が歓迎され、内陸部への投資が優遇されつつあります。その一方、近年急拡大している外資による戦略的産業のM&Aや不動産投資は制限する方向にあります。注目すべきは、中国企業の海外展開が積極的に推進されている点で、長期的には、対内投資と対外投資は均衡化していくでしょう。

 このほか、教育、医療、社会保障、環境保護の充実、金の保有増(現在600トン)など、外貨準備活用の多様化が検討されています。外貨準備額は世界一でも、1人当りでは700ドル余りで、日本の10分の1程度です。巨額の外貨準備の使い道は大いに残されているというわけです。

 これまで、外需(輸出と投資)が高成長を支え、中国を世界一の外貨準備保有国の座に押し上げてきました。その過程で中国経済にリスク要因が顕在化しているのも事実です。目下、中国は外需から内需主導の経済運営に舵を切りつつあります。世界一の外貨準備を内需拡大などにどう役立たせるのか、世界第3位の経済大国となった中国の手腕が試されているということでしょう。


【表】 2005年の中国の対主要国・地域別貿易    収支の実情(単位:億ドル、△は入超)
アジア: △ 751(うち、日本△165、ASEAN△196、韓国△417、台湾△581、香港1123)
北 米: 1184(うち、対米国1142)
欧 州: 692(うち、対EU 701)
大洋州・中南米・アフリカ: △106
合 計: 1019 (出典:中国税関統計など)

 注1 管理変動相場制下の中国は1日の許容変動幅を前日終値の上下0.3%ずつに制限している。

 注2 2005年の米国の統計では、対中貿易赤字は2015億ドル。

 注3 このほか、海外工事請負および華僑送金、建設銀行、交通銀行など中国企業の海外上場による調達資金の一部、人民元高や中国経済の好調を見込んだ不動産購入などに向けられた海外からの投機的資金、そしてホットマネーなどがある。

 注4 中国の市場開放が東アジア経済の持続的発展につながっているという「新雁行型発展」という説。雁行型経済発展は、日本を雁頭としその生産拠点の段階的地域的移転が東アジア経済の時間差的発展をもたらしたというもの。

 注5 認可ベースで58万余社。その全てが輸出を行っているわけではない。

 注6 『中国経済時報』 2006年11月20日

 注7 米国からは、ハイテク製品、不足原材料、原油など戦略性資源などの輸入増をはかる。

 注8 2006年11月、804品目が新たに加工貿易禁止品目となる。


 
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