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じわりと変わる北京っ子の気性

北京の典型的な四合院

 北京っ子の気性を論じたエッセイは多い。そのかなりが、上海っ子との対比に触れられているのはおもしろい。

 北京でも、上海でも生活の体験がある中国の文豪、魯迅は、1934年に「北人と南人」というエッセイを書いているが、ここでいう北人には北京人が、南人には上海人がふくまれているとみていいだろう。

 このエッセイで魯迅は「私の見るところでは、北人の優れている点は重厚さであり、南人の優れている点は機敏さである」と書き、「北人が重厚である上に機敏であること、南人が機敏である上に重厚であること」を希望し、さらに「機敏が過ぎると狡猾になり、重厚が過ぎると愚鈍になる」とも戒めている。

 北京人と上海人に対する魯迅の評価は、おおむね公平で、的を射たものだと思う。北京人は、やたらに大声を上げて口論するようなことはあまり好まない。生粋の北京人には、相手に対する包容力と自己に対する自制力が感じられる。

 千年も昔から、遼、金、元、明、清と、さまざまな民族が北京に都を置き、この地で農耕民族、遊牧民族、狩猟民族が一つに溶け合って暮らしてきたという歴史的背景が、こうした包容力と自制力を育んできたのかも知れない。孔子の言う「和而不同」(和して同ぜず)が、事にあたって、また人に対して採るべき指針として、北京人の心にじわり、じわりと根を下ろしてきたともいえよう。

北京の公園で太極拳を楽しむお年寄り

 高い壁に囲まれた北京の代表的な住宅様式である四合院の慎ましさ、この四合院と四合院をつなぐ胡同(横町)の静けさ、森の都といわれる街のなかの緑の濃さ、そこに聞こえてくるゆったりとした、美しい抑揚の北京語……ここには喧嘩をするには不似合いな重厚さが漂っている。

 一方の上海は、宋末の咸淳3年(1267年)にすでに貿易港として開かれ、早くから中国指折りの近代的大都市で、新中国誕生前にすでにビルが林立し、交通や通信も先進国並みに発達していた。こうした環境が上海人の機敏さを培ってきたのだろう。

 上海人は話し方から歩き方まで、北京人と比べ、一テンポも二テンポも速い。北京人が一分間で話すことを上海人は50秒で話し、北京人が十分かかるところを上海人は8、9分間で歩くという。

 ところで改革・開放の政策が始まってからの20余年。北京にも高層ビルが林立し、交通や通信も日進月歩の発展を見せている。かつての自転車の波は自動車の波に変わってきた。北京の携帯電話はなんと千五百万台を超しているという。北京で働く上海人も増えている。北京の街角で上海語を聞くこともあり、あちこちに上海料理の看板を掲げた店が姿を見せている。

 こうした激しい変化の中で、北京人の気性にもじわり、じわりと変化が現れている。魯迅が提唱した「重厚である上に機敏である」が、少しずつ北京人の気性になりつつあるようだ。

上海の近代的なビル街

 北京人の仕事のテンポ、生活のテンポも、かなり速くなった。だが、友人の上海人に言わせると、「仕事の打ち合わせなのに、仕事と関係のないあいさつが多すぎる」とか、「要領を得ない電話が多く、おしゃべりが長すぎる」とか、「食事に時間をかけすぎる」とか、まだまだ無駄が多いという。こうした上海人の言い分を聞いていると、なにか重厚という北京人の気性の優れた点が裏目に出てしまったような感じがしないでもない。

 まあ、あせることはあるまい。気性は一朝一夕で変わるものではない。魯迅も例の「北人と南人」というエッセイで「欠点は改めることができる。長所は学びとることができる」と書いて、北京人が上海人の機敏さを身につけるのを、上海人が北京人の重厚さを身につけるのを励ましている。じわり、じわりと重厚さという気性を身につけてきたように、じわり、じわりと「重厚である上に機敏である」という新北京人の気性を培ってもらいたいものだ。

 北京人の気性の変化については、別の面での心配の声も聞く。北京に長いお年寄りは、重厚プラス機敏はたいへん結構だが、機敏が過ぎて狡猾にならないよう、高いビル、自動車の流れを眺めながら心配しているようだ。重厚なしに機敏ばかり追っていたら狡猾になってしまうというのだ。一理あるように思う。杞憂であってもらいたいが……。



 
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