世界遺産登録を目指す
「中国南方カルスト」の奇観
泉 京鹿=文 泉 京鹿 カク慧琴=写真

 昨年1月、中国は「中国南方カルスト」として、雲南省石林、貴州省茘波、重慶市武隆のカルスト地形をユネスコ世界自然遺産への登録を申請した。中国の急速な経済発展の波は山間部や森林地帯にも迫り、日々刻々と自然環境をおびやかしかねない昨今、自然景観や生態系を守り続けるのは、容易なことではない。

 そんな中、世界自然遺産への登録を目指す現地のそれぞれの取り組み、人々の生活、そして大自然の神秘の魅力を追った。

世界遺産に申請する南方カルスト(撮影・李瀟)

 カルストとは、石灰質の大地が、長い年月を経て雨水などにより浸食されてできた地形。海洋動物の化石などを多く含み、ヒマラヤ造山運動などの地殻変動で徐々に隆起し、今では海抜の高い土地も、かつては海底にあったことがわかる貴重な地質資料でもある。

 2つの省と直轄市にまたがる「中国南方カルスト」は、中国全土のカルスト地形の55%を占め、総面積は1460平方キロメートルに及ぶ。

探検家たちを魅了する秘境

左からダンカン・カリスさん、エリン・リンチさん、朱学穏教授(武隆)

 1997年に四川省から直轄市として独立した重慶の市街地から170キロ、車で4時間ほど烏江に沿って下ってゆくと武隆県にたどり着く。烏江は長江に注ぐ支流で、その流れに沿った道路脇には少なからぬ石灰採掘現場やセメント工場が並んでいるが、一部を除き、その多くが稼働していない様子だ。

 「武隆県内のセメント工場はほぼ閉鎖しました。今でも稼働しているのは、比較的規模の大きな工場や隣県の工場です。若干時間はかかりますが、重慶市政府の協力を仰ぎながら、閉鎖、移転の方向で調整しています」と重慶市武隆県風景名勝区管理局の葉成礼局長。

(左)天井に向かってまだまだ伸びてゆく石柱(撮影・李瀟)(武隆) (中)まるで谷の上を覆う橋がかかったような天生三橋(撮影・李瀟)(武隆) (右) 炎竄ゥら染み出る水に青々とした植物がまぶしい(武隆)

 世界遺産登録が観光に結びつき村が活性化されることに、地元の人々も熱い期待を寄せる。仙女山鎮白果村の農民・馬雲光さん(69歳)は「世界遺産申請を支持しています。自然を保護することは、我々の務めです。世界遺産に登録され、観光客がたくさん来て村が豊かになれば嬉しい。村では百人余りが自主的な奉仕活動として、自然保護のパトロールにあたっています」と語る。

「自然を保護することは、我々の務め」仙女山鎮白果村の農民・馬雲光さん(武隆)

 総面積3.7平方キロメートル、日本の秋吉台のおよそ3倍の壮大な芙蓉洞、水が上から注ぎ込む形で浸食されてできた「天が開けた穴」といわれるこの地の最大の特徴である天坑、天生三キョウなど大自然のさまざまな面容が見られる武陵は、カルスト地形の宝庫だ。

 天坑風景区は、昨年中国全土で公開され、日本でも今年公開予定の張芸謀監督の最新作『満城尽帯黄金甲』の撮影現場にもなった。鬱蒼とした森林の中、橋を架けたようなトンネル状の断崖を谷底から見上げると、武侠映画も似合うが、仙人が住んでいても不思議でない気配さえ漂う。

 この地に魅せられたのは、映画監督だけではない。

国語と算数が大好き、というシュイ族の呉国攀君(茘波)

 「長い間、村人たちは彼らの存在を知っていたのに、私たち(県政府の役人)は知らなかったんですよ。ある日、数百メートルの洞穴の底に機材を運び込むのに、自分たちだけではどうにもならないからと支援を求めてきた彼らが、実は何年も前から活動していたと聞いて、驚きました」と劉旗武隆県委書記は笑う。

 アメリカ人の大学院生エリン・リンチさん(30歳)、イギリス人のダンカン・コリスさん(32歳)らは武隆県内の村に住み、洞穴の調査、発掘を続け、情報の整理や地図の作成をしたりして6年になる「洞穴探検家」だ。洞穴情報を少しでも多くの人に知ってもらおうと「紅瑰洞穴探検倶楽部」というサイトを通じ、世界に向けて発信する非営利の愛好家グループのメンバーで、これまで延べ200キロ余りを歩き、調査を重ねてきた。ホテルではなく、民宿や農家に泊めてもらうという生活を続ける。

清代に造られた小七孔古橋(茘波)

 「武隆のカルスト地形は、とてもファンタスティック。まだ発見されていないところもたくさんあるはず。興味は尽きません。村の人たちはみんなとても良くしてくれます。世界自然遺産に登録され、観光などで村人の収入も政府の財政も潤って、人々がより良質な教育を受けられるようになれば」とエリンさん。

 今や村人や地元政府と手を携えて、武隆のカルスト地形が世界遺産に認定されることを強く願う2人。その横で中国地質科学院溶岩地質研究所の朱学穏教授が、まるで息子や娘を見るように目を細め、誇らしげに彼らの勇気をたたえる。

マイナスイオンをたっぷり浴びたい表情豊かな滝(茘波)

 「ここには世界最大の天坑があり、中国では他の国より比較的早くから天坑の研究が進められています。今では外国でもそのまま中国語のピンインを用いて〈Tian Keng〉と呼ばれるようになりつつあります。エリンたちは実に勇敢で、さまざまな発見をしてくれたんですよ」

 これまで920メートルとされていた国内で最も深い竪穴状洞穴を、983メートルまで測定したのも彼らだ。外国人探検家たちの活動に、朱教授ら国内の専門家の研究もをさらに刺激され、世界遺産申請のための「ソフト」となる豊富なデータが揃い、高度な分析、研究が進む。

神秘的な文字をもつ少数民族

シュイ族特有の象形文字「水書」(撮影・李瀟)(茘波)

 貴州省の省都・貴陽から車で4時間余り、広西チワン族自治区に隣接する茘波県。県の総人口の90%以上をプイ族、シュイ族、ミャオ族、ヤオ族など漢族以外の少数民族が占める。

 中でもシュイ族は独特の象形文字「水書」を持つことで知られている。水書は父から息子へ、男子にのみ受け継がれ、もともと「水書先生」と呼ばれる「鬼師」や「師人」、すなわち神との対話や占術ができ、人々から尊敬される存在のみが使用する神秘的な文字であった。

 生活環境の変化に伴い、現在水書の読み書きができるのは90%以上が60歳以上のお年寄りで、若い人はほとんど水書を解さなくなってしまったことから、維持・保存への声が高まり、「世界の記憶」プログラムにも申請された。

色鮮やかなもぎたての木いちご(茘波)

 そんなシュイ族の人々が暮らす村のひとつが、亜熱帯カルスト地形に稀少な動物や原生林が残る茂蘭自然保護区内にある。

 人口百人に満たないその村では、1人当たりの平均年収は650元、日本円にして1万円足らず。茘波県全体の平均が1700元というから、現金収入の手段を持たない、県内でも極めて貧しい地域だ。74歳のおばあさんも毎日畑仕事に出ている。一部、保護区内からの移転を余儀なくされた家や耕作を禁止された土地もあるが、基本的に村はそのまま保存の方向だ。

茅台酒の有名な貴州だが、ほかんも少数民族のさまざまなお酒がある(貴州・青岩)

 ここでは生活による環境汚染を防ぐため、伐採を禁じ、家畜の糞尿などを利用したメタンガスによる発電や、煮炊きが可能な設備の導入が推進されている。設備は2000元余り。半額を政府が負担するが、莫大な出費には変わりない。それでも、自然を守り、世界遺産に登録されることで、自分たちの生活もよくなると信じる人々の身を切るような投資で、少しずつ普及率は上がっている。

マーケットには、民族衣装を着た人たちの姿も(貴州・青岩)

 「自然保護って知ってる?」

 「知ってるよ。火に気をつけなくちゃいけないし、山の木を切っちゃいけないんだよ。木の根っこは石をつかんでいるから、木を切ってしまったら雨が降ったとき、山が崩れてしまうんだ」

 この村で生まれ育った呉国攀君(9歳)は、胸を張って元気に答えてくれた。世界自然遺産に申請、といわれても何のことかピンとこない年端のいかない子供でも、自然を大切にすることを知っている。

高山植物の豊かな貴州ではさまざまな漢方薬が揃う(貴州・青岩)

 さらに奥へと分け入り、樟江風景名勝区を歩くと、どこか懐かしさを覚える光景が目の前に広がる。豊かな水をたたえた森の中の、水中に沈む木が透けて見える湖に、日本人なら上高地の風景を思い出すかもしれない。小七孔と呼ばれる橋の下を流れる水は、翡翠のような色がまぶしい。その上流では勢いよく流れる滝の水が頬を打ち、マイナスイオンに癒される。身も心も清められるような秘境だ。

自然に優しいハイテクで捲土重来

水の底に沈む木が見える澄みきった湖(茘波)

 雲南省の省都昆明から約80キロの所にある石林は、早くから観光地として国内外に知られている。

 昨年9月、石林風景名勝区内に阿詩瑪生態文化園がオープンした。「阿詩瑪」とは、この地域に生活する少数民族イ族の伝説の美女のこと。現在でも美しい女性を指して使われるイ族の言葉を冠して作られた園内にある石林旅客センターには、地質博物館が設置されている。カルスト地形がいかに形成されたかという過程から、そこに生きる植物、生物、生態系を解説する展示が並ぶ。石林のみならず茘波や武隆を含む南方カルスト全般に関する写真、影像、地図、中英二カ国語の説明で総合的に丁寧な紹介がされており、一見に値する。

人に優しく、自然に優しい「生態トイレ」(石林)

 また、ここで誰もが感嘆するのは「生態トイレ」だろう。微生物の力で排泄物を分解し、自然採光が生かされ清潔で明るく、子供用トイレやヘアドライヤーなども備えられた、人に優しく自然に優しいこのトイレは、風景名勝区内に数カ所設置されている。このトイレに代表されるように、一級から三級に分けられた保護区では観光客が入れるエリアを限定し、ハイテクのマネージメントシステムと400人以上のスタッフによるネットワークで環境管理と自然保護に全力を挙げる。80年代や90年代前半にこの地を観光で訪れた人がこの現状を見たら、あまりの変化に目を見張るに違いない。

中国人なら誰もが知っている悲恋の伝説「梁祝」の愛し合う二人になぞらえられる岩(石林)

 実は、石林は過去に単独で中国の「世界遺産暫定予備リスト」にリストアップされ、1991年に正式に世界自然遺産への登録を申請している。しかし、翌年IUCN(国際自然保護連合)の現地視察が行われた後、各方面の準備が不十分であることが問題視され、最終的に申請を撤回した経緯がある。石林風景名勝区管理局・観光局の李正平局長は振り返る。

 「都市に近く、自然の美しさと少数民族文化が注目され、早くから観光地として開発が進んでいたために、自然保護の点からは問題もありました。何より、世界自然遺産に関する国際交流経験も他国の研究もほぼ皆無だった状態では、無謀なものでした」

色鮮やかな「五色梅」などさまざまな美しい植物にも出会う(石林)

 その後、現地政府は観光開発以上に環境保護に重点を置き、ヨーロッパの国々やブラジルなど海外のカルスト地形も視察、研究し、過去の教訓を胸に再挑戦を図った。

 92年から14年間という歳月を経て、再び世界遺産登録に挑む雲南・石林の経験に基づく自信と意気込みが、南方カルストとしてともに挑む貴州、重慶を牽引する。

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硬い石の表面に走る横一線のラインは、かつての水面を示す(石林)

 「南方カルスト」と一口にいっても、重慶、貴州、雲南、それぞれが広大な面積を有し、異なる地形、気候の中に異なる民族、多彩な文化が生きている。そんな三つの地域とそこに生きる人々が心を一つにして、世界自然遺産登録を目指し、自然との共存の道を探ってきた。この軌跡が、この6月下旬、第31回世界遺産委員会の決定にまっすぐに続いていることを、誰もが固く信じている。

ガイドをしてくれる民族衣装を着たイ族の「阿詩瑪」(石林)

 「世界遺産登録に向けた努力の過程そのものが、私たち一人一人に自然保護の意識を植えつけ、浸透してゆく意義のある過程です」と語ったのは武隆県政府関係者。各地の人々に共通する思いだ。

 世界遺産の登録の可否の決定は6月末。しかし、決定如何に関わらず、その切なる願いに応えて与えられた大自然というご褒美は、その地に暮らす人々だけのものではなく、紛れもない人類の宝物だ。



メモ 「中国南方カルスト」は、2006年中国政府が申請した唯一の世界自然遺産プロジェクトである。雲南石林の剣状、柱状、塔状カルスト、貴州茘波のカルスト原生林、重慶武隆の天 、地縫、天洞などを主とするカルストで構成されている。50万年から3億年の間に形成されたもので、長江三峡の形成過程などを知るうえで、貴重な地質学上の証拠となっている。


 
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