復帰後10年 香港はどう変わったか
                                      侯若虹=文 馮進=写真

 香港が中国に復帰して10年。

 「一国二制度」政策で、その社会制度を残しながら、祖国に復帰した香港は、果たして繁栄と安定を維持し続けられるのか、と世界中が注目してきた。

 混乱を予想して、海外に居を移した住民も少なくない。

 確かにこの10年は、平坦な道ではなかった。アジア通貨危機が降りかかり、重症急性呼吸器症候群(SARS)にも襲われた。

 しかし香港は、したたかに生き抜いた。経済は以前にも増して繁栄し、安定している。

 その結果、海外に移住した住民が続々と戻ってきている。中国大陸からの旅行者も急増し、大陸経済との一体化が進んでいる。「普通話」(標準語)の普及や大陸の大学への進学など、教育・文化の交流も盛んだ。

 祖国復帰後十年の香港、その素顔を探った。


特集1          終の棲家はどこにあるのか
 

戻ってきた渡り鳥

香港に帰ってきた梁述経さん

 もうすぐ夏になろうとしているある日、73歳になる王炎さんと奥さんの侯道玉さんは、香港からカナダへ行く支度をしていた。

 「香港の夏は暑過ぎるからね。カナダは涼しくて、部屋も広い。それに孫たちがいるしね」と王さんは言った。中学校に入学したばかりの孫のことになると、王さんの顔は緩む。

 王さん夫婦は1993年にカナダに移民した。それ以来、ほとんど毎年、夏になるとカナダへ飛び、冬には香港へ帰ってくるという生活を続けてきた。

 王さん夫婦の香港の住宅は、香港島の東部にあり、道路を隔てて海に面している。周囲は林立する高層ビルばかりだが、王さんの住む団地は、真ん中に芝生や草花、樹木が植えられ、美しくて快適である。

香港の家で父母と、香港に引っ越すかどうか相談している王康さん(右)

 「当時、息子がまだ香港にいたおかげで、この部屋を売らなかった。そうでなければ、当時の値段で、こんな良い場所に、こんなに広い部屋を買うことなんてできないよ」と奥さんは言った。

 「あのころは香港復帰前の過渡的な時期で、これからどうなるか、実のところ少し心配していた。だから、まず香港を出て様子を見てみようと思ったのです」と王さんは正直に認めた。

 息子の王康さんも、1994年にカナダへ移民した。当時、この団地から引っ越してゆく家がたくさんあった。団地のビルの下には、引っ越し会社のトラックがいつも来ていたことを、王康さんは記憶している。

 だが王康さんは部屋を売らなかった。カナダと中国を行き来するのに便利なためだ。現在、彼はカナダと中国の間の、機械関係の貿易に携わっている。香港は、その中継地となっている。

人の波で埋まるモンコック(旺角)

 今後、王さん夫婦はどこに定住するのか、2人はいつも話し合っている。奥さんは、香港の家の方が暮らすのに便利なので好きだという。「野菜を買うにもショッピングをするにも、ちょっと歩けば行ける。カナダでは、主人に車を運転してもらわなくては行けませんからね」と言う。

 「けれどカナダは、医療の条件が香港より良い」と王さん。カナダの病院のサービスは素晴らしいという。

 息子の王康さんは、2人の子どもがカナダの中学校で学んでいるので、子どもが1人前になるまでは彼もカナダを離れられない。だが、王康さんはこっそりとこう言う。「親父もお袋も、最後は香港に帰って来ると思うよ」

娘に引かれて移動する

香港では街角にも株取引のマーケットがある

 カナダに留まろうか、香港に帰ろうかとためらっている王さん夫婦とは違い、65歳になる梁述経さんは、2005年、10年間も住みなれたカナダのバンクーバーから香港に引っ越してきた。

 梁さんは香港生まれの香港育ち。夫婦には1人娘がいる。1995年、娘を外国に留学させるため、一家を上げてカナダへ移住した。

 しかし、数年もしないうちに奥さんは、カナダの寒い気候になじめず、香港に戻ってきた。そして商売を始め、香港にずっと住むようになった。梁さんは仕方なく、1人娘がカナダの大学を卒業するまで、ずっとそばについているほかなかった。

ノースポイント(北角)の団地の近くにあるマーケットには品物があふれている

 梁さんにとって思いがけなかったのは、1人娘が、同級生や友だちが香港にいるので、大学を卒業すると、香港で自分に適した仕事を探し、そのうえ好きになったボーイフレンドにめぐり合ったことだった。この結果、カナダにある200平米もの庭付き住宅には、梁さんだけ残されることになった。

 そこで梁さんは、カナダの住宅を売って香港に帰る決意をした。バンクーバーで近くに住んでいた隣人や友人の中には、彼のように香港に「回流(Uターン)」した人も少なくなかったと、梁さんは言う。それぞれ「回流」の理由は異なるが、いずれも現在の香港に対し安心感を持ったので、こうした選択をしたのだった。

北京の新鮮な野菜が香港に運ばれ、団地の市場で売られている

 香港に戻った梁さんは、六十数平米の住宅を買った。10年間も大きな家に住んでいた梁さんにとって、はじめはまったくなじめなかった。だが、「私はここで生まれ育ったのだし、小さいころはこんな部屋に住んでいたのだから、まもなく慣れました。いわんやここでは一家がいっしょに暮らせる。仕事があり、お金を稼ぐこともできる。将来性があるというものです」と梁さんは笑った。

 香港を留守にした10年の間に、何がどう変わったのか。梁さんはこう評価する。

 「香港の生活は、前と同じように便利だ。けれど社会は前よりずっと静かになった。私が香港を離れた当時は、今日はこんな騒ぎがあったかと思うと明日は変な噂が広がるという時代だった。今の香港人は金儲けに忙しく、人心は比較的、安定している」

 すでに定年退職した梁さんは、友だちといっしょに商売を始め、香港と中国大陸との間をよく往復している。「今の生活は、金を稼ぐことができるし、充実している」と梁さんは言っている。

 

 
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