土蕃国王ティソンテツェンの時代に仏教が国教化されると、周辺の国々から、僧侶、仏像、経典など仏教文化が続々とチベットに流入した。まずサムイェ寺の建立に際してシャーンタラクシタ、パドマサンバブァがインドから招かれ、完成するや寺は一種の仏教センターとして機能し、インドからもたらされた経典が次々チベット語に翻訳された。梵文・蔵文の『八千頌般若波羅蜜多経』3種に、請来本と翻訳本の双方を具体的にみることができる。

 また土蕃王国が滅亡して分裂の時代に入ると、西チベットのグゲ王国はリンチェンサンポをカシミール、ネパールに派遣して仏教を学ばせた。帰国したリンチェンサンポは翻訳官として多数の経典をチベット語に翻訳するとともに、カシミールから連れてきた工人たちと西チベット各地に寺院を建立した。

 また同時代に東北インドのヴィクラマシーラ寺院から招かれたアティーシャ(982~1054)の果たした役割は更に大きかった。ヴィクラマシーラ寺院パーラ朝におけるインド仏教の中心であり、123年、イスラム教徒の軍勢によって滅ぼされたインド仏教最後の寺院であった。アティーシャによって、インド仏教は後継の地をチベットに見出したといえよう。彼の主著『菩提道灯論』の教えは、カルマ派のドムトゥン、更にゲルク派のツォンカバへと受け継がれ、チベット仏教の本流を形成した。ミンドゥリン寺のサキャ派祖師像群が、インド伝来の密教がチベットに根を下ろしていく過程をよく映し出している。

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