【放談ざっくばらん】


「建築時代」むかえた中国

                                        隈 研吾(建築家)


 すべての人に青春時代があるように、すべての国、すべての都市に「建築時代」があるというのが、僕の説である。その時代、人はむやみに建築をたてたくなる。そのためには、いろいろな要因が重なる必要がある。社会のシステムが大きく転換しつつあり、人々の考え方が大きくかわりつつあり、既製の建築や都市が、それらにふさわしくないと感じられる事。しかも落ち込んでいくネガティブな転換期ではなく、社会経済全体に活気が満ち溢れているポジティブな転換期である事。そういう条件がかさならなければ建築がどんどんたてられる事はない。そして今中国は、その青春時代=建築時代の真っ只中にいるように、見えるのである。

 その中国の青春時代=建築時代はどんなものになって、そこではどんなものがたてられるのだろうか。その答えを出すためには、その人や都市がどんな時代の中で、青春時代をむかえたかという事に注目しなければならない。平和な時代に青春をむかえた人と、戦争の時に青春をむかえた人では、青春も全く違ったものになるだろうと思うのである。

 たとえばパリという都市が青春時代を迎えたのは十九世紀中頃、ナポレオン三世の治世である。一説によればその時代、パリの建築の80%がたてかえられた。同じ高さ、同じ形態、同じ素材に揃えられたそれらの建築のかもし出す統一感。同時に整備された、広場と大通りを中心とする放射状の美しい道路網は、すべての都市的ハードウェアを統制する能力を持ち得た当時の中央集権的権力の強度と、新興のブルジョアジーの経済力とを思い知らせてくれる。このナポレオン三世の街づくりによって、パリは19世紀の世界を代表する都市となり、この光り輝く青春があったおかげで、20世紀のパリは、悠々とした見事な壮年時代を送る事ができたのである。

 一方、ニューヨークは1929年の大恐慌に先立つ10年間、まぶしいほどに輝く青春時代を迎えた。第一次大戦を契機としてヨーロッパから経済の覇権を奪い取ったアメリカの企業群が、誰よりも高く、めだつ超高層ビル(スカイスクレーパー)をたてて自らの存在を誇示しようと、競いあったのである。それは様々な意味で20世紀の資本主義を象徴する建築であり、その後、その「青春」は世界の各都市でコピーされ続け、20世紀の都市景観のひとつのモデルとなったのであった。

 そのような19世紀、20世紀の後に中国は青春時代を迎えている。そこがとても重要な点である。その青春時代がどんな姿をとり、どんな形態を持ったハードウェアを生み出すかは、21世紀の世界の都市、建築の動向をうらなう上でも、大変参考になる。それゆえに僕は中国の建築に対して、とても関心があるのである。

 中国の都市の青春は一見矛盾した二つの方向性が共存したユニークなものになるのではないか。最近訪れた北京、上海の建築、インテリアを観察しているうちに、そのような考えを持つようになった。ひとつの方向性はスカイスクレーパーへの指向性である。近代指向といってもいいし、自己顕示的な建築への指向性といってもいい。市場原理の導入と並行して、資本主義が生み出した最も典型的な建築形態であるスカイスクレーパーの建設が一気にはじまったわけである。今までの長いブランクを取り返すかのようなその勢いは、間違いなく世界の都市の中で随一であろう。政治においても経済においても、中心部に力が集中する、中国社会の求心的な性格が、このスカイスクレーパーブームをさらに加速させた。この巨大な多民族国家を統一するには、中心部に強い象徴が必要とされたのである。さもなければこの大きな国のコントロールは不可能であった。スカイスクレーパーはその中心の象徴の現代版である。移民による多民族国家で、同じように広大な国土を持つアメリカも、同じ動機にもとづいて、無数のスカイスクレーパーを生み出したのである。

 しかし、中国の「青春」のおもしろさは、このスカイスクレーパーへの指向の一方で、それとは全く正反対であるかのように見える、路地的で迷路的なものへの指向性が大きなブームとなっている事である。スカイスクレーパーをモダニズムと呼ぶならば、路地ブームは懐古主義であり、反近代主義といってもいい。スカイスクレーパーの建設ラッシュの一方で、胡同と呼ばれる古い路地空間をめぐるツアーに多くの人々が集まり、湖をめぐる観光船の上では胡弓がせつないメロディーを奏でる。

 スカイスクレーパーに仕事場をもつ若いビジネスマンは、すすでよごれたような薄暗いインテリアの中で、ひびわれたアンティークの食器を使って、老北京のなつかしい味の高級料理を楽しむのである。

 僕は今、北京のレッドストーン社のディベロップメント事業に携わっているが、そこにも、近代指向と反近代指向という二つのベクトルが共存している。彼らは一方で、北京の中心地区に超高層の集合住宅のタワーを建設し、一方では万里の長城のすぐ脇の林の中に、素朴な自然素材を用いて、環境と一体化した「村」を計画しているのである。僕が依頼されたのは、この村の中の一軒の住宅の設計である。その住宅で僕が選んだテーマは竹である。竹は中国と日本の双方の文化の中できわめて重要な役割を担っている。竹を用いることで、二つの文化の同質性と異質性を浮き彫りにするような家を作りたいと思った。具体的には可能な部分にはすべて竹を用いて、竹の家を作るのである。竹の壁、竹の床、竹の家具など、様々な可能性がある。鉄、ガラス、コンクリート、アルミなどの近代的素材にはない、なつかしく、心やすらぐ空間が生まれるはずである。

 近代と反近代。未来志向と懐古主義。この二つのベクトルは中国のさまざまな部分で共存し、今日の中国の活力の源となっているように思われる。その共存の意味するところは、何なのだろうか。

 ひとつには、今という時代の中に内蔵された二面性である。冷戦は終息し、IT技術は各国の資本主義を世界資本主義というひとつのシステムに接合した。しかし資本主義の世界化は、逆に、資本主義の様々な欠陥を浮き彫りにしてみせる事になったのである。新しいテクノロジーによって獲得された資本の過剰な流動性、今や実体経済の数十倍、数百倍ものスケールをもつといわれる投機的な国際資本市場。それらによって、90年代の人々の生活は翻弄され、大きなダメージをこうむった。資本主義はもはやわれわれの生活を豊かにするシステムというよりも、われわれの生活を破壊する元凶ではないか。人々はそのような懐疑的な目で、資本主義を見るようになったのである。そのような時代の中で、資本主義のモニュメントとしてのスカイスクレーパーに対してもまた、人々は懐疑的で批判的にならざるをえないのである。そのストレスを補完し、人々をいやすための隠れ家としての路地、迷路。そのようなものを、人々が切実に求めはじめたのである。資本主義の一応の完成と、その限界の露呈。現代は そのような時代であり、この二面性の時代の真っ只中で「青春」を迎えることになった中国建築の中に、この二面性は深い影を落とさずにはいられないのである。

 そしてこの二面性はそもそも中国文化の中に、遺伝子のように内蔵されていたものでもある。中国文化は対照的なこの傾向の共存にその特徴がある。この国は歴史的に中央集権的で求心的な社会を構成してきた。しかし、その一方で、そのようなシステムから逃れ、そこから距離をとるための思想、生活技術においても、中国はきわめて高いレベルのものを持ち合わせていたのである。それが道教であり、老荘思想であった。いわば求心的システムと、そこから逸脱し隠遁するためのテクノロジーとが補完しあってこの国の文化を作ってきたのである。二面性は中国の伝統であり、それが今日の世界資本主義の二面性と共振したのである。

 実は、竹の家にはそんな僕なりの中国観も、こめたつもりなのである。竹は中国において隠遁のテクノロジーのシンボルであった。七賢はそれゆえに竹林の中に隠遁するのである。21世紀には飽和状態にある求心的テクノロジーに対抗し、隠遁のテクノロジー、隠遁の建築が切実に求められるはずである。その時、われわれは中国文化からもっともっと学ぶべきなのである。(2001年7月号より)