【放談ざっくばらん】


私の教えた東大生たち

北京大学中文学部教授 商金林
東京の高尾山に遊んだ筆者



 1997年3月から2年間、私は東京大学教養学部で学生たちを教え、東大生に対しいささか理解を深めることができた。

 東大生について私が受けた印象には、次の三つの特徴がある。その1、誇り高いこと、その2、自由、その3、時局の政治に関心が高いことである。

 日本では、東大に入学するのはたいへん難しい。1998年春の期末試験のとき、1年生のある学生は答案用紙にこう書いた。

 「先生、私たちが東大に入るのはたやすいことだったでしょうか。私たちは高校時代、一生懸命勉強しました。だからいまは、遊び、恋愛しなければならないのです。どうか私たちに合格点を下さい」

 当然のことながら教師は、勝手に点数を学生に与えることはできない。不合格ならば、追試や補講を受けなければならない。

 東大が難しいのは、受験生が同期に卒業した高校生と競争するばかりでなく、すでに大学に入っている大学生とも競争しなければならないからだ。私の受け持ったクラス学生の中には、高校から受験して入ってきたのではなく、他の大学から受験して入ってきた学生もいた。例えば西牧場一雄君は早稲田大学から入ってきたし、稲葉大和君は慶応大学からきた。この両大学とも有名な大学なのだが、彼らは東大を慕い、自分の理想を追求し、実現するために、決然としてこれまでやってきた学業をなげうって、東大を受験したのだ。

1998年夏、中国現代文学作品についての講義を聴き終わったあと、学生たちは私を下北沢のレストランに誘った(右から2人目が筆者)

 中国と違って日本では、他の大学の学生でも東大を受験できる。これが東大入試をいっそう難しいものにしている。東大に受かった者は英才ばかりだから、東大生があれほど誇り高いのも不思議ではない。

 おそらく、東大生の知能がかなり高いせいもあって、東大では相当自由な学問的雰囲気がある。学生たちは、どの授業を聴くか、自分で選択し決定できる。先生たちも学生の選択をかなり尊重する。

 ふだんの時は、学生たちの課外活動はさまざまあって、みな盛んだ。各種の学会や団体がある。私の知っている限りでも、三国志研究会、古筝演奏会、天文部、学生座禅会、演劇部、馬術部、野球部、古都古寺研究会、管弦楽団などなどがある。

 ある意味では、あらゆる学科がそろっている東大でも、それぞれの学術的な団体が凝集してできている。学生たちは教室や実験室で学ぶばかりでなく、課外活動の中からも学ぶのだ。

 授業以外の活動が盛んなので、学生たちは生き生きと物事を考え、各種各様の問題を検討するのが好きだ。ある学生は、私と雑談しているとき、日本政府の外交政策に対し不満だと言い出した。彼は「日本には外交政策がない。全て米国の言うことを聴くだけだ。日本は米国の51番目の州になっている」と言った。

 また日本の教育についてある学生は、日本政府が検討中の国立大学の民営化に対して不満だと言い、日本政府が大学予算を減らすから学費が年々高くなる、日本が使っている高等教育と全国民に対する教育の経費は、それぞれ国家予算の0・4%と3・7%を占めるに過ぎない、これは発展途上国の平均ラインより低い、と指摘した。

 日本の青年について論じたとき、ある学生は、東京の若者はみな西側の流行を追いかけ、部屋の中のインテリアまでもが西洋化している、多くの人は和服や下駄を捨て、伝統を投げうってしまった、と述べた。

 東大生はそれぞれ自分の理想があるが、彼らがもっとも多く考えるのは依然として国家や民族の将来についてである。日常生活の中で日本人は、周辺の国々に対し偏見を持っている。例えば我々中国人が「愛国主義」をちょっと言い出しただけで日本人はすぐ中国が「軍拡」をしていると考え、「中国脅威論」を撒き散らす。実際、日本国民の「愛国主義」はそれほど根が深い。

 東大生の「愛国主義」について言えば、北京大学の学生の「愛国主義」に決してひけを取らない。違うところは、中国では「愛国主義」を公然と、真正面から教えるのに対し、日本の「愛国主義」は、知らず知らずのうちに人々を感化し、連綿として絶えることなく、これを敬い、恐れさせるようにさせることだ。

 東大で暮らした2年間に、私も東大生の中できわめて例外的な、好ましくない現象を発見したこともある。例えば1年生のある女子学生は、ソープランドで働き、百万円の月収を得た。彼女は1997年夏、ある週刊誌に、彼女が見聞したことを書いて発表し、自分の経歴を公開した。しかし、大多数の学生は自分の尊厳を大切にし、比較的天真爛漫でかわいい。

 私の授業中に、もしある学生たちを多く指すと、どうしていつも自分たちばかりを指すのかと文句を言う。また、もしある学生たちをほとんど指さないと、指されない学生たちは自分たちが勉強ができないからなのかと、私に尋ねるのだ。

 もし彼らを叱れば、驚き慌てるが、もし彼らを誉めれば、拍手喝采する。彼らの大多数はまじめに勉強し、よく考え、礼節を重んじる。正月には私に年賀状をよこし、バレンタインデーにはチョコレートをくれる。学期が終わるときには、私のために感謝のコンパを開いてくれる。

 大学側が私の授業に関して意見を聞く時には、学生たちは意見の欄に「商先生は本当によい」とか「商先生、かわゆい」とか「商先生、いい人」と書いてくれるのだ。帰国前には、私の送別会を開いてくれ、私が帰国した後には、彼らが北京に旅行にきたとき、わざわざ北京大学まで私を訪ねてきて、いっしょに酒を飲んで旧交を温めた。

 東大にいたとき、とくに忘れがたいことがいくつかあった。

 毎年12月24日は、午後の授業は出席しなくてもよく、学生たちがクリスマス・イブを祝うという習慣が東大にはある。1998年のその日、午後5時から6時半まで、私の中国語の授業が組まれていたので、私は事前に学生たちの意見を聞いた。その結果、20人のクラスで2人だけが、いつものように授業を受けたいと希望した。

 そこで私は、この2人の学生だけが授業に出たらよいと決定した。しかし授業では、新しい課には入らず、復習をするだけで、雑談をしながら話し言葉の練習をすると言った。ところがその日の授業には、10人以上の学生がやってきた。「先生が授業をするからには、我々は聴かなければならない」と学生たちは言うのだった。

 授業は雑談にした。信仰や趣味の話をし、中国語の紛らわしい文字の発音を練習した。非常に愉快な時間が過ぎ、最後に私は二つの問題を出した。それぞれ答えは四択で、学生たちに正答を一つ選択させた。

 【第1問】 オーストラリアの幼児が入学するときに、親がまず用意するのはなにか。

 【答え】1、教科書 2、カバン 3、制服 4、サングラス
 
 【第2問】 アヒルの母親が孵化したばかりのアヒルの子に与えるものは何か。
 
 【答え】1、小魚 2、小エビ 3、小さな虫 4、アヒルの母親の胸に生えているきめ細かな羽毛

1999年1月、東京大学文学部の藤井省三研究室で、大学院生のために講演後、記念撮影(前列左から藤井教授、筆者)

 第1問の正解はサングラス。オーストラリアの入学の時期は、われわれが住む北半球では春だが、オーストラリアは真夏。太陽光線が特に強く、外に出るときには必ずサングラスをかけなければならない。

 第2問の答えは、アヒルの母親の胸に生えているきめ細かな羽毛。

 ある学生たちは、この二問とも正解だった。彼らは知識が広く、しかもよく考えている。

 1999年3月中旬のある日、私は東大へ行き、帰国のための手続きをしていると、学生の荒木達雄君が代田智明教授に頼んで、その日の夜、私が暇かどうかを尋ねてきた。彼は松永、金谷、竹元らの学生諸君とともに私と酒を飲みたいという。私の送別をしてくれるというその厚情に感じ入った。

 その日は雨が降っていた。夜、渋谷のあるレストランで鍋料理を食べた。大変愉快だった。この学生たちはみな私の授業を受けてから、中国に対しいっそう興味を持つようになった。今後、必ず中国語をしっかり学習し、がんばってさらに深く勉強するため北京大学に行きたい、北京大学で集まりたい、という。

 果せるかな、2000年の夏、荒木君が本当にやってきた。彼は北京大学歴史学部が行ったサマースクールに参加したのだった。我々は本当に、北京大学で再会したのだった。

 2001年2月には、荒木君が中国旅行に来て、特に北京大学の私のところにやってきた。そして彼は、北京大学中文学部へ留学し、中国古典文学を学ぶことを決めたと言った。彼の話す中国語は実に素晴らしく、私は本当にうれしかった。(2002年11月号より)