【放談ざっくばらん】


「バラエティーの日本」で考えた

                   文・写真 王小燕

 

 

 2002年秋。ポカポカとのどかな陽が射す日曜日の午後だった。日本研修中の私は、北京放送の古参の視聴者(リスナー)の坂田さんに誘われて、東京に出かけていた。ちょうど二人で亀戸駅前のドラッグストアーで、買い物をしていた時だった。

思いと行動のバラエティー

 突然、スピーカーを通した耳ざわりな音が響き渡った。びっくりして音の響く方向を見やると、私の目に「徴兵制度導入」と書かれた右翼の街宣車が飛び込んで来た。

 「やっぱり日本はいやな国だな」。

 私の心の呟きを聞いてしまったかのように、坂田さんは申し訳なさそうな顔で「ごめんね。行こう」と言い、私を引っぱるようにして駅に向かった。旧満州で青春時代を過ごした坂田さんは、大の平和主義者であることを私は知っている。知りながら、さっきまでたわいのない世間話をしていた二人の間に、何となく不自然な沈黙が漂った。

 電車が錦糸町駅に到着。坂田さんは、行きつけの店を案内するからと言って、歩き始めた。と、そこには「有事立法改憲反対 百万人署名運動」と書かれた看板を掲げ、通行者に署名を求めている人たちがいるではないか。スピーカーでがなりたてる街宣車もなく、みな、静かな表情で、黙々と。

 たった一駅しか違わない距離に、正反対の考え方で行動をしている人たちがいる。しかもそれぞれ、まじめに取り組んでいる。私たちは思わず顔を見合わせて笑い出した。

 この出来事は、今の私の日本理解に、根源的と言えるほど役立っている。さまざまに異なった考え方や行動パターンを持った人たちが共生し、そのバラエティーが社会のバランスを保っている。日本はこういう社会なのだと認識した。

 私は過去に短期留学や旅行、出張などで、数回、日本に来ている。しかし昨年、初めて日本の一般家庭でホームステイし、日本の会社で研修を受け、極めて日常的な角度から日本を味わうチャンスに恵まれた。

 18年前、北京放送のリスナーで、『人民中国』の読者でもある甲府在住の神宮寺敬さんが橋渡しをしてくれたのがきっかけで、地元のテレビ山梨が北京放送アナウンサーの訪日研修を年に一回、半年間ずつ受け入れ続けてきた。つまり私は歴代18人目の研修生として、大都会ではなく地方都市で、ごく普通の庶民の生活を体験できたのだった。ホームステイ先は、武田信玄ゆかりである神宮寺敬さんのご自宅だった。

 考えてみると、こういう恩恵を享受できたのも、日本が多様な考えと行動様式の共生を許容する国だからかもしれない。

美のバラエティー

署名するリスナー坂田さん

 美しさと忙しさ。この二つの言葉が私の持つ日本イメージに占めるウェイトはとても大きい。

 春先、霞のように咲き誇る桜。夏、満天の星の下、蛙の合唱の中をそよ風が運んでくる稲の匂い。秋、清冽な空気の中を漂うキンモク セイの香り、心奪われる紅葉の鮮やかさ。冬、雪がちらつき、白い帽子をすっぽり被る富士山。日々大きくなっていく甲州野梅の小さな命の膨らみ。

 こういった季節の変化を盛り上げるかのように、年中行事がひしめいている。伝統的な祭りに加えて、新しくできたイベントも多い。かつて、一月末に日本を訪れた時は、節分の豆まき、バレンタインデーのチョコレート商戦、ひな祭りの飾り付けなどが一気にやってきて、その目まぐるしさが今も忘れられない。

有事法制に対し「ノー」という運動をしていた人たち

 日本は秋が素晴らしい。昨年、私は初めて見た日本の秋。山を幾重乗り越えても、見渡す限り赤や黄色に染まった紅葉。唱歌「紅葉」の「♪山の麓の 裾模様」は、こうやって生まれてきたのだと納得した。

 しかし、自然の美しさにとどまらず、秋に、もう一つ私の心を強く打ったものがある。それは日本全国の各地で開かれている文化祭だった。どこの町に行っても、文化会館で地元住民の芸能発表会や作品展示会が開催されている。老若男女が芸を披露し、陳列品には生け花、絵画、書の他にドライフラワー、刺繍などの手工芸品、はては古着のリフォームまで……。美術の専門家ばかりではない。ごく普通の人たちが「美」にかかわっている。

 洗練され、完成度が高いことで知られる今日の日本製品は、こういう底の厚い社会的背景で作られたものだったのかと、私は心底から納得したのだった。

時空間のバラエティー

 移り変わり続ける気候の影響だろうか、日本人は年中、忙しくしている。山梨では「無尽」という会合に、年齢や性別、職業に関係なく、人々が参加している。「まじめに会合にでると、毎日のように何か日程が入ってしまうよ」とやや困った顔で言う人もいるほどだ。

 しかし、「忙しさに負けたくない」という根性が日本人にはあるらしい。昨秋、プロ野球の阪神・巨人戦は12回の延長戦となり、テレビの生中継は予定より大幅に延長された。やっと中継が終わり、画面に流れたテロップを見て仰天した。「この後の番組」は「26:00ニュース」だった。

 後日、研修先のテレビ局でその意味を確認したところ、「日本のテレビ局は、予定の番組が全部放送されないと、その日がまだ終わらないことになっている。だから 時を過ぎても、そのまま数えていくことにしている」とのことだった。時間の数え方ほど客観性を求められるものはない。それを、必要に応じて主観的に変えていく発想に、中国人の私は驚いてしまった。

 もっと驚いたのは、日本人が十分忙しい社会を生きながらも、忙しさを自ら求め、それを楽しむ人たちの多いことだった。

 中国では大学での専門を生かした仕事に就く人が圧倒的に多い。いったん社会人になると、たいていの人は仕事や家庭が生活の中心になり、仕事とまったく関係のない趣味に時間をかけることができなくなる。

 しかし、日本は違うのである。

 例えば、甲府で知り合ったOLのヒロミさんは、工学部の卒業だが、会社では会計の担当。27歳で、いつも静かに微笑み、勤務中は口数が少ない。そんな彼女が、余暇では自主制作の映画を作っている。すでに入賞作品を何本も発表し、県内の自主制作映画上映会の企画を手がけるほどだ。

「ヒロミ監督」が指揮する映画の撮影現場

 年末、会計の仕事が忙しい時期と新作映画の撮影開始が重なったとき、「ヒロミ監督」は残業の後、すぐ撮影現場に出かけ、徹夜を続けて映画を撮った。「好きでやっていることなので少しも苦にならないのよ」。ヒロミさんは静かに微笑みながら、目を輝かせる。

 二つ目の例は、表参道地下一階のライブハウス。「アジアの友人たち」というテーマで、中国大陸、香港、台湾及び日本のアーティストたちによる共演ライブがあり、500人の日本、中国、モンゴルの観客が会場を埋めた。

 トップで会場を盛り上げたのは、私が北京でも会ったことのある「GYPSY QUEEN」という中国好きを自認するロックバンドだった。プロフェッショナルな音響とステージ、息のぴったりあったチームプレーで、メンバーの多くが、その日の昼間、会社でせっせと仕事をこなしてきたサラリーマンやOLたちだとはとても思えなかった。

 「GYPSY QUEEN」のメンバーは心から音楽を楽しみ、音楽に打ち込んでいた。北京の三里屯でも「GYPSY QUEEN」のライブを見たことがあるが、気のせいか、表参道では、その時とは比べ物にならないほど、彼らが眩しく輝いていた。

 「趣味をやり通すには、仕事を絶対おろそかにしないというのが原則です」。バンド専属マネージャーで大手情報会社に勤める鵜飼さんは言った。彼らはまったく欲張りだ。一人の人生なのに、二人以上の人生体験しているからだ。

 不況の波にかぶり、なかなか抜け出せない日本。誰もが仕事のプレッシャーを強く感じているようだ。それでも常に自分の限界に挑戦して、忙しさを楽しんでしまおうという彼らの積極的な生き方に、私は心からエールを送りたい。

◇  ◇  ◇

 「中国の学生さんは本当によく勉強する。日本の大学生は遊んでばかりで困る」――これは日本の知人たちからよく聞かされる感想である。しかし、本当にそうなのだろうか。

 人間が生きていくうえで必要なのは、教科書や授業の「勉強」ばかりではない。「勉強」しかできない学生は、むしろ受験教育の被害者かもしれない。それより、サークル活動に没頭する日本の大学生は、趣味を極め、先輩や後輩の縦社会の中で、一生役立つ人生術を身に付け、人格を形成していく。これこそ真の意味での「勉強」ではなかろうか。

表参道で開かれたライブの舞台

 甲府市の駅前で、大学の文化祭の仮装行列に出くわしたことがある。初冬の冷たい小雨に降られながら、学生たちは神輿を担ぎ、お囃子を奏で、パレードを一生懸命盛り上げていた。髪の色も服装も異なり、女装した男性さえ紛れ込み、突拍子もなく奇妙な人たちの群れだった。

 しかし、何もかも忘れて、心から遊びを楽しんでいるその姿は、少し前までの中国の大学生には欠けていたものだ。人生を楽しみ、自分を伸ばすことに努力している日本の学生に、中国の若者が学ぶことも多いのではないだろうか。 (2003年6月号より)